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 職員室の扉付近で、呆然としている。

 距離を取って、杏は壁にもたれかかるようにしゃがみこんでいる。

 顔は伏せ、表情は読めないが、俺と同じように心の整理がつかないままだろう。

 どちらかと言えばこいつの方が傷が大きそうだが、心配するほどの間柄でもない。

「そういえばお前あんだけ俺に言ってたけど、第二美術部に入れるくらいの才能があるんだろうな?これで下手の横好きだったら相当恥ずかしいぞ」

「はあ?あんたと一緒にしないで」

「けど証拠がないんじゃそう思うのは順当だろ。現状お前と俺は一緒だ。いっしょ」

 俺はお前と違って、部活自体に興味はないけど。

 杏は挑発的な言い草に顔を上げて、額に青筋を立てている。

「証拠があればいいのね……あーあ、あんたの心が折れちゃいけないって気遣ってたのに。本当に頭が足りなくて嫌になるわ」

 表情を怒りに歪ませたまま、ポケットの中からスマホを取り出し、画面を見せつける。

 表示されたのは誰かのSNSのアカウント。

 アイコンは可愛らしい少女の画像、ヘッダーもアイコンと似た絵柄の少女が画角に収まるように服が多少はだけ、寝そべっている。フォロー数人に対して、フォロワーは十数万人越え。

「ね。私凄いの」

 そのまま画面をスワイプし、イラストが何十枚と流れていく。

 全て何かのキャラクターを二次創作として描かれた一枚絵で、左端には小さくサインが添えられる。

 いわゆる萌えイラスト。

 こんなむかつくファッショニスタがまさかオタクだったとは。

 こういう文化に造詣は深くない為素人意見にはなるけれど、構図や背景といったマクロな部分から表情や質感等細部に至るまで、こだわりがあるように思われた。

 馴染み深くないそれに一瞬身構え、顔をしかめてしまう。

 けれど絵は上手い。

 上手いことには変わりない、少しいやかなり癪だが。

 数万人がこのイラストを評価しているのだから、客観的にも丁寧な絵なのだろう。

「依頼は月に何件も来るし、もう働いていると言っても過言じゃない額稼いでる。企業からの依頼もあった。同人誌も売れてるし、私のこの名前を知らない人なんてそうそういないのよ。これで分かったかしら」

 高圧的によく分からない呪文を唱え、マウントを取る彼女。

 依頼とか企業とか同人誌とか……要はイラストでお金を稼いでいるということだろうか。

「いやお前の絵が上手いのは分かったよ。分かったけどさ……」

「なによ。今度は通帳見せろとか言うのかしら?その次は何を見せればいいのかしらね」

「そもそも俺は証拠を見せろなんて一言も言ってないけど」

「何か言ったかしら」

「…………」

 天才とは言い難い練度じゃないか、心の中で言い返す。

 絵の天才と聞くと、名だたる油絵の巨匠が数名思いつく。

 そのレベルに彼女が至っているとは到底思えないし、数段下にも杏のイラストはいないように思う。

 どこかで見たことあるような既視感のある絵、息を呑むようなリアリティも、否応なく感動するような独創性もない。

 上手いだけのイラストではないか。

 とか、本人に言うと怒るんだろうなあ。

 脳裏には頬を赤くしながら力の限り暴言を吐き続ける杏の姿があり、対抗したくなる気持ちをぐっとこらえる。

 どこかの偉い人は『争いは同レベルでしか発生しない』という名言を遺した。

 つまり俺が言い返さない限り、精神的有利は常にこちらにあるということ。

 真の勝者は俺だ。俺なのだ。

 ……そんなことを思い、なんとか耐えている。

 短く沈黙が続いて、「帰る」と杏は溜息をついた。

「おい、幽霊部員の件はどうするんだよ」

「はあ?」

 うざったそうに彼女は眉を顰める。

「そんなのどうでもいいわ。私、第二に入りたかったんじゃなくて、私に似合う部活に入りたかっただけだし。第一見学したけど、部員全員レベル低くて話にならなかっただけ」

「けどじきに廃部になるぞ」

「……どうでもいいって言ってるじゃない。聞こえない?」

「さいで」

 俺も流石に我慢の限界で、そこから何か言葉を交わすことは無く、杏は鞄を持ち、その場から去った。

 苛立ちが解消されるまで、腕を組んで足の裏でリノリウムの床を叩く。

 下駄箱で鉢合わせしたくなくて、そうして時間を潰していた。

 あれのことを考えているとどんどん腹が立ってくるから、別のことを考える。

 目下、幽霊部員について。

 こちらとて天才の花園を抜けた幽霊たちを捕まえるなど、そんな面倒なことしたくない。

 けれど本来の目的と合致する部分もあるのだ。

 俺の見立てでは、幽霊部員の中に幽霊少女はいるはずである。

 状況証拠ばかりで現在最も有力な説というだけだが、かなり可能性は高い――全校生徒から数名に絞れているのだから、そう見ると多少楽に見える。

 それに『一人の女の子を探して校内を嗅ぎまわる男子生徒』、というのは字面がかなりよろしくない。犯罪臭する。

 『第二美術部を守るため立ち上がった健気な新入部員』ならば、青春の香りがして、いかにも高校生らしいではないか。

 これを止めようとする者は正義の味方などではなく、反青春主義者とか青少年不愉快団員とかだろう。

 かなりスムーズに捜索ができるはずだ。

 第二美術部は”花園”らしく、唯一の男子部員となりそうなのが気掛かりだが、その程度ご愛嬌だろう。

 青春に二文字の前にはどれだけ鬱屈した感情も浄化する、らしい。

「やるかゴーストハント」

 不意に杏のことを思い出し、腹を立てながら、しかし思考は幽霊部員たちに向いている。

 サッカー部のこともある。

 早く見つけて、第二を辞めたいところだ。

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