第24話

 デイジー畑で遭遇した彼女が丘を下りてくるまでの間に、レオナルドは隣のシュウに声をかけた。


「貴公の知り合いですか? 見たところ、我々の同胞のようですが」

「カナデ=イガラシ四等兵だよ。先遣隊に選ばれた小隊の。それより、いつまで手を挙げてるつもり?」

「ああ、失礼」


 誰に対して詫びたのか不明だったが、当の本人は疑問を抱いていないようだった。


「ですが、彼女は脱走したはずです。どうしてこんな敵の支配地域に」

「脱走などしておりません」


 シュウに喋りかけた言葉を質問と受け取り、カナデが冷淡に答えた。

 レオナルドは彼女のほうに顔を向けた。


「なるほど。貴公も大儀のために行動したのですね」

「大儀……大儀といってよいかは、よくわかりませんけど」

「謙遜を。立派な決断をしたのですから、もっと胸を張ってもよいと思います」


 満足げにそういうと、レオナルドはシュウとカナデに背中を晒した。


「武器を車に忘れました。ついでにデイジー畑の巡回をしてきます。ここへ訪れるのは始めてですから、花を楽しみながら、ですがね」

「僕も一緒にいくよ」

「いえ。カナデ四等兵は貴公の友人なのでしょう? せっかく偶然再会できたのですから、どうぞ語り合ってください。貴公の武器は、私が一緒に持ってきましょう」


 友人と呼べるほど親しい関係ではないが、当人がすぐ横にいる状況ではそんなふうにはいえなかった。

 返答も聞かず、レオナルドは車を置いてきた方角に鷹揚とした足取りで歩いていった。

 自分は友人でよいのか。カナデに確かめようとしたシュウだったが、そう尋ねるより先に彼女は呟いた。


「不思議な雰囲気の方ですね。階級は兵長のようですが、あなたの小隊の方ですか?」

「そうです。同期でもあるんですが、特殊な事情があって四等兵からいきなり兵長になったんです」

「そうなのですか」


 淡白な反応に、カナデが本当に訊きたいことは別にあるのだと察した。

 シュウは無理に触れず、彼女が切り出すのを待った。〝その件〟について、自分からいいだすのは少し恥ずかしかった。

 一旦言葉を切ったカナデが、再び口を開いた。


「小隊の他のメンバーはどうされたのですか? 見たところ、あなたとあの兵長の方しかいないようですが」

「その、抜けてきたんです。僕も、レオナルドも、カナデさんと同じように」

「……なんのために、ですか?」


 疑念の眼差しに、シュウは一瞬口ごもった。

 だが、嘘をついてもしかたがない。


「このデイジー畑が無事であることは、昨日レングラードを訪れた際に確認してました。だけど、せっかく綺麗なまま残ったのに、この土地がまた戦場になれば今度こそ荒らされてしまうかもしれない。そう危惧して、軍の命令を無視して駆けつけたんです。レオナルドは僕に付き合ってくれました」

「昨日の遺体を運び出した行為に続き、これもまたお姉さまを想っての行動というわけですか?」

「そうじゃありません」


 カナデは端正な顔に、微かな皺を作った。


「違うのであれば、純粋に故郷の財産を守ろうというわけですか?」

「それも違います。あ、いえ、違うと断言するのも違いますけど……でも、僕がここへ来た理由は別にあります。……実は、さっき話した理由は、ついてきてくれたレオナルドに説明するために後から思いついたものなんです」

「じゃあ、本当はどうして?」

「それは…………カナデさんが心配だったからです」


 いざ本人を前にして口にすると、耳たぶが燃えるように熱くなった。告白したわけでもないのにこんな調子で大丈夫なのかと、シュウは自分の将来が心配になった。

 いまいち合点がいっていないカナデに、シュウは一つ咳払いをして、昂ぶる気を鎮めてから続けた。


「カナデさんのことは、誰もが脱走したのだと考えてました。僕も先遣隊としてレングラードに到着するまでは、そう思ってました。ですが、カナデさんの小隊の方から、作戦内容の説明を受けている際のカナデさんの様子が変だったと聞きました。それで、パズルのピースが繋がるみたいに、自分の勘違いに気づいたんです。カナデさんは命が惜しくなって逃げたわけじゃないのだと」

「小隊の人には気づかれていたのですね……。ですが、それだけではデイジー畑とまでは特定できないはずです」

「カナデさんはデイジー畑を知ってましたから。なんとなく、レングラードにいるとすればここだと思ったんです」

「なんとなく、ですか」


 小さく呟くと、彼女は観念したように嘆息した。


「その様子では、わたくしがここへ来た目的についても見当がついているのではないですか?」

「そんなことないです。だけど、もしも僕がこのタイミングで軍を抜け出してまでデイジー畑に来るとしたら、理由はひとつしかありません。さっき聞かれたとおりです」

「お姉さまの愛したこの場所を、戦争から守るため?」

「はい。違っていたのであれば、僕がカナデさんとここで会ったのは本当に偶然です」


 答えると、カナデはライフルを支えるスリングを背中にまわして、その場にしゃがみこんだ。

 足元に咲くデイジーを間近で眺めて、彼女は目を細めた。


「半分正解ですね。シュウさんの考えてるとおり、わたくしはこの素敵なデイジー畑を守りたいと思って行動しました。どうしてかわかりますか?」

「姉ちゃんは自分を庇って戦死してしまったから、姉ちゃんの好きだったデイジーを守って恩を返そうと思ったんですよね?」

「それも半分正解です。わたくしには、たった一人で軍を抜け出す度胸なんてなかったはずなんです」

「さらに別の理由があったから、行動できたと?」

「そうです。――あなたですよ、シュウさん」


 膝を抱えているカナデが、上目遣いでシュウを見上げた。


「わたくしは、お姉さまのために命を懸けて行動したあなたに嫉妬したんです。お姉さまを想い、お姉さまと心中しようとしたあなたが羨ましかった。それが叶ったらどれだけ幸福だろうと、あなたを自分に置き換えて想像せずにはいられませんでした」


 やはり彼女は自分の同類であると、シュウは思い知った。

 死ぬつもりなんてなかった。そんな嘘は、言葉にする気にならなかった。

 まっすぐに見上げてくる瞳を、逸らさずに視線を重ねる。

 口のなかで、なんだか苦い味がした。


「……デイジー畑に来た理由の半分は、ここで命を絶つため、ですか」

「身体は妙な存在に乗っ取られてしまいましたが、魂はあなたがデイジーを添えて弔ってくださったのですよね? でしたら、敵からこの場所を守れずとも、死後はお姉さまのもとへゆけます。これ以上の願いはわたくしにはありません」

「違います。死んだら終わりです。再会なんてできない」

「あなたにそれを指摘する権利はありません。〝代わり〟で満足してるあなたにっ!」

「代わり……ハルカのこと?」

「その『ハルカ』という呼び方も……おかしいとは思わないのですか?」

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