第12話

 駐留している軍隊の本部はリベックの中心にある。シュウは幹線道路を選んで移動していた。

 ハルカはつまらなそうな眼差しで街並みを眺めている。

 リベックは敵軍の空襲以外では未だに損傷を負っていなかった。その空襲も、アスタリアの首都への攻撃が苛烈さを増して以来、一度も行われていない。レングラードと比べれば掠り傷程度の損壊状況だ。

 無事であることが逆に違和感を与えている一面もあった。一般市民が疎開した街は廃墟と形容するには綺麗すぎる。建設途中の建物は放置されて、休日は人で溢れていたショッピングモールの大型駐車場にも当然車は一台も停まっていない。戦争が始まる数日前に開店した遊園地は、全てのアトラクションの電源が落とされている。


 歪としか表現できない光景だが、この街で生活を営んでいた人々が全員亡くなったというわけではない。別の街で存命しているはずだ。

 自分の姉を命がけで弔うと決めたとき、シュウは死を覚悟した。それがハルカに助けられて、決意が鈍った。まだ生きていたいと思うようになった。

 けれどもそれだけだ。敵軍への徹底抗戦の意識が芽生えたわけではない。生きるだけならば“一般市民”に戻るほうが適している。

 敢然と敵軍に立ち向かう姉の姿が脳裏に蘇った。情けない気持ちは、胸の奥へ押し隠した。


 女子寮の前について、ハルカは無言で車を降りた。

 夜の帳がおりていたけれど、寮にはまだあまり人がいなかった。各々の任務をこなしている最中なのだろうと予想しながら、シュウは彼女が着替えを終えるのを車内で待った。

 五分後、洗い立ての軍服に着替えたハルカが寮から出てきた。その彼女の後ろから、ぞろぞろと何人もの女性が引っ付いて出てくる。

 事前説明をすべきだったとシュウは運転席で頭を抱えた。だが、たとえついていったところで事態を避けることはできなかっただろうというのが、数秒で彼が下した結論だった。


 追尾してくる姦しい女性達を一喝して黙らせると、ハルカはさっと助手席に乗り込んで力強くドアを閉めた。助手席の窓からそわそわしている女性達の様子が窺えた。


「クソめんどくせぇ連中だなッ! 質問は後にしろって何度いっても聞きゃあしねぇッ! 人間の女ってのは全員あんな生き物なのか!?」

「死んだはずの人間が帰ってきたら男でも混乱するよ。それに、ハルカが姉ちゃんに口調を似せないから余計ひどくしてるんだって」

「まぁ現代の道理に反してるってのは認めてやってもいい。オレの槍(グングニル)が活躍した時代には、死者が戻ってくるなんざ珍しくもなかったんだがな」

「無茶いわないでよ……次に会う相手はもっとめんどくさいことになると思うよ」


 傷跡のない服に着替えたハルカは、皆が知るシュウの姉の容姿にさらに近づいた。

 艶やかな長髪を失い短髪になったが、それでも横顔は生前の彼女そのものだった。誰もが彼女が帰ってきたと思うのは仕方のないことだ。理屈はわからないが、とにかく帰ってきたのだと。


「これ以上面倒な奴を看過できる自信がねぇな。消しちまうかもしれねぇ」

「まさか危害を加えたりしないよね。ただでさえハルカは存在そのものが混乱の原因なんだから、変なことしないでよ」

「そうならないよう祈ってるんだな。重鎮どもがオレの気に障らない有能であることを」

 

 アスタリア軍第六大隊が詰めている作戦本部は、元々リベックの行政機関が集約された庁舎だった。住民達が疎開したあと、現在のような軍人のための施設に変わった。戦争が終われば元の役割に戻る予定だが、そんな日が来ることを現段階で確信している人物は、恐らく誰一人としていないだろう。

 税金の無駄遣いと非難されながら何度も改築された庁舎は、費用に見合った外観をしていた。併設された駐車場も改築とともに広くなり、百台は停められるスペースが確保されている。

 本部に到着したシュウは、駐車場の入口で誘導員に駐車スペースを指示された。その際に顔を見られたが、特に驚いた反応はなかった。シュウが脱走したという情報は、それほど大きな範囲に拡散しているわけではなさそうだ。

 誘導員は助手席には見向きもしなかった。


 車から降りると、庁舎の自動扉から出て歩み寄ってくる人物がシュウの目に映った。

 一目で誰かわかった。新兵時代にシュウを一人前の兵士とするために教育した人物で、レオナルドにシュウが帰ってきたら報告するようにと命じた張本人だ。年齢は三十台前半で未婚のパンチパーマ。周囲の空気を歪めているようにも錯覚する憤怒を放つその男こそ、シュウが最も恐れる上官であるルドルフ軍曹だった。


「シュウ=カジ五等兵ッ! よくものこのこと帰ってこれたなッ! この恥知らずめッ! いくつになってもママのミルクの味が忘れられない甘ちゃんがッ! 遺体の無断持ち出しッ! 作戦地域からの脱走行為ッ! 無許可の単独行動ッ! 一つにつき三十発、合計百発ぶん殴って鍛え直してやるッ! 十発は俺の奢りだッ! 感謝しろッ!」


 ルドルフはバキバキと骨を鳴らしながらシュウに近づく。

 少々無茶苦茶だが、シュウに弁明の余地はない。観念した彼は肩幅に足を開き、腕を背中で組み、歯を食いしばった。


「命令違反したわりにはやけに潔いな。心なしか顔立ちも前より少しはマシになったようだ。だがその綺麗な顔が気に食わんッ! 祝砲代わりにもう十発追加してやるッ!」


 振り上げられた拳は、次の瞬間にはシュウの顔面に振り下ろされる。

 一発で倒れないよう、シュウは足腰に力を込めた。

 シュウとルドルフの間に影が割り込んだ。ルドルフは拳を振り下ろす先を失い、体勢を維持したまま眼球だけを動かして、乱入してきた障害を鋭く睨んだ。

 それも束の間、鋭かった瞳は丸く見開かれて、眼光いっぱいに動揺を湛えた。


「な――貴様、何故……」

「質問には答えてやる。こいつを殴るのも好きにしていい。だがその前に部隊長と話をさせろ。お前軍曹だろ? オレみてぇな一等兵が懇願するより、お前がいったほうが早い」

「貴様……いい度胸だな。細かい事情は知らんが、舐めた口を利くようになった。再教育してやる必要があるようだ。ハルカ=カジ三等兵、貴様も連帯責任で百発殴らせろ」

「あァ? なるほど、確かにこいつは面倒な奴だ。殴りたけりゃあ殴ればいい。百発といわず好きなだけ。やれるもんならな」

「欲しがりな奴めッ! そんなに殴られたいなら殴ってやろうッ! 十年分でもッ! 百年分でもッ! 千年分でもなッ!」


 矛先を変えた拳を無感動に眺めながら、ハルカは右手を側面に伸ばした。

 七色の煌く粒子が彼女の掌に集まり、怪しげな存在感を放つ長槍が顕現した。

 ルドルフの鉄拳が、ハルカの顔面に到達する寸前で制止した。

 彼女の度胸に免じて制裁を中止したかのように見えたが、そうではなかった。

 状況を見れば、拳の止まった理由は一目瞭然だった。

 ハルカの握る長槍の穂先が、ルドルフの首元に突きつけられていた。


「……どこからこんなものを出した?」

「冷静だな。この状況でも表情を変えないなんてなァ」

「質問に答えろハルカ=カジ三等兵。どこからその槍を出した?」

「それを説明してやるから部隊長と話をさせろっていってんだよ。答えはイエスかノーだ。どっちなんだ? いうとおりにするか? ここで死ぬか?」


 瞼を閉じて、ルドルフは思考に耽るそぶりを見せた。

 互いに拳と槍を突きつけあったまま、沈黙が場を支配する。

 わずかな逡巡の末、ルドルフは瞼を開いた。

 寸止めした拳を引っ込めて、穂先を下げずにいるハルカを再び睨んだ。


「下ろせ。中佐には俺が話す。貴様が何者か、そこで俺も聞かせてもらう」

「好きにしろ。いずれお前の耳にも入る話だ。オレから直接聞くか、部隊長を経由して聞くかの違いでしかない」

「まるで別人のようだ。それでは貴様を慕っていた連中が幻滅するぞ」

「自分の足で歩く良いきっかけになるだろ。まさか、お前も〝連中〟の一人か?」

「……ふん」


 一歩身を引いて、ルドルフは背後の建物に振り向いた。

 翻った軍服の裾が落ち着くと、彼は首をまわしてシュウとハルカを視界に収めた。


「ついてこい。中佐は上層部を集めて会議中だ。会議が終わるまで待機する部屋を用意してやる」

「話を聞いてなかったか? 誰が部屋を用意しろだなんていった」

「中佐に用があるといったのは貴様だろう」

「いますぐ用事があんだよ。待つなんてありえねぇ」

「ありえないのは貴様だ。おいシュウ=カジ五等兵。黙ってる暇があるならこいつをどうにかしろ。貴様の姉だろう」


 額に薄っすらと青筋を立ててルドルフは説得を要求する。シュウを殴るといったことは頭から抜け落ちているようだった。


「いや、その……ハルカ、あまり無理いうなよ。会議中だっていってるじゃん」

「だから都合がいいじゃねぇか。第六大隊の面々が揃ってんなら話が早い」

「用があるのはシグムント隊長なんじゃ……」


 シュウの貧弱な制止を無視して、ハルカは歩き出した。

 ルドルフに注目されながら、彼女は長槍を収めた。

 収めたといっても、ルドルフの知るその行為とは異なっていた。握った掌を開くと、水平を維持して落下した長槍が地面に着く前に霧散したのだ。滅多に顔色を変えない厳格な男が、間の抜けた顔でハルカと彼女の足元を二度見した。

 驚きのあまり声を出せずにいる上官に、ハルカは平然とした口調で命じた。


「中佐のいる会議室に案内しろ。軍曹」

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