第8話 殺し屋と模擬戦、あとお片付け

 堂島さんと真島さんに、みつきを紹介して、ケーキ試食会がひと段落もついたそんな頃。


 「そういや、みつきちゃんはさ、実際、どのくらい強いんだい?」


 真島さんのふとした一言で、場の空気が少しだけ変わった。


 いかにも真島さんらしい、直情的でシンプルな質問。当のみつきは、特に興味を示すこともなくコーヒーをずるずる啜っている。牛乳も砂糖も入れないで、子どもの舌にはちょっと苦いと想うんだけど。気にしてないのかな。


 「さあ、どうだろ。私も結局、みつきの活躍は見てなかったからねえ。狙撃犯を捕まえたときはシェルターにこもってたし」


 ふうん、と真島さんが零した声は少しだけ、興味と好奇に染まっていた。


 「止めといた方がいいよ、真島君」


 だからだろうか、堂島さんもそう言って制止した。私もそれが正解だとは想う。


 どんな手段を使ったかは知らないけれど、私を狙撃から守った時点でみつきの動きは既に人間離れしていたから。まともな人間の範疇で測ったら大怪我しそう。


 それに私としては、みつきをあんまり殺し屋扱いしたくないのだ。なにせ、この徹底的に訓練された軍用犬みたいな女の子を、家庭用の愛玩動物まで変えてしまうのが、私の隠れた目標なのだから。あんまり、暴力的なことはさせたくない。


 ただ、そんな私達の思惑とは裏腹に、隣にいたおばさんはすっと顔を上げると口を開いた。


 「いいや、一回、見といたほうがいい」


 みつきを除いた私たち三人は、意外な言葉におもわず口を開けて、おばさんを見てしまう。おばさん、そういう荒事が人一倍苦手なはずなんだけど。


 「私も、その子が実際どれくらい―――調整されたのか知っときたいし。はきりもその子に護衛をしてもらう以上、どこまで出来てどこまで出来ないか、把握する必要はあるでしょう?」


 そう言った後、おばさんは自分のコーヒーを流しに片づけてしまうと、電子タバコを独りで吸い始めた。


 私は腕の中のみつきを思わず見てしまう。


 はあ、やだなあ。そういう扱いにしたくないのに。


 ただ、これがただの甘さだっていうのは重々理解はしているつもりだ。


 おばさんの言ってることはまさしく正論。正しい情報は、正しい状況判断に絶対不可欠だ。それに、どれだけ私がこの子を危険に晒したくなくても、危険の方からやってくることに変わりはない。その時、適切な対応が出来なければ、危うくなるのは誰よりもみつきの命なわけでして。


 「私は、あなたが命令するなら、何でもする」


 見下ろしたみつきはまっすぐと私を見上げて、色のない瞳でこちらを見ていた。


 はあ……そういえば、命令をたまにしてあげないといけないってのもあったね。どうにも一日一回くらいは、何かしら強制力のある命令をする必要があるみたいだし。


 これは……仕方ないかあ。


 「真島さん、ごめん、頼める?」


 「あいよ、俺は全く問題ねえよ、お嬢」


 「堂島さん、ここら辺、暴れていい場所あったっけ」


 「裏の公園とかいいんじゃないかな、人もあまりいないし。訓練用の道具を持っていこう」


 大人二人にそうお願いをして、私は腕の中で変わらず私を見上げる君をじっと見返した。


 「じゃあ、ちょっと食後の運動しよっか、みつき」


 ああ、現実ってやだやだ。まあ、愚痴言っても仕方ないからやるんですけどね。


 私の言葉に、君はじっと真摯に頷いた。







 ※





 近所の公園は街並みの中にひっそりとある、五メートルほどの金網で囲まれた小さなもので、街路樹と倉庫があるだけの簡易的な広場だった。遊具一つもないから子どもの姿も人目もなくて、今はそれが丁度いい。


 その公園の真ん中に、みつきと真島さんが二人で対峙して立っている。私とおばさん、それに堂島さんは公園の隅で見学。私も正直、緊張してるけどおばさんが一番神妙な顔をしてる。


 「二人とも、さっき渡したゴムナイフもってる? 使っていいのはナイフだけ。頭、首、胸、腹。どこかにナイフが当たった方の負け。判定が難しい時は堂島さんが審判してくれるから」


 私の言葉に、真島さんはエプロンを外して、腕まくりまでして、おっけーおっけーと軽く頷いている。


 対するみつきは聞いているのかいないのか、自分が持っているゴムナイフを不思議そうに曲げたり振ったりしている。そうしていると、本当にただの小学生くらいにしか見えないんだけど。


 というか、端から見たら酷い光景だ。


 180cmくらいある大の大人が、一見、十歳にも満たない小学生くらいの女の子を前に、訓練用とはいえナイフを構えている。しかもちょっとの隙もない、マジ構え。


 その姿は、いじめや虐待を通り越してもはや滑稽だ。だいぶ都合よく見て、子どもにナイフの使い方を教えているみたい。でも実際はそうじゃないんだよなあ。


 「悪いけど、俺、加減できないよ、お嬢」


 ここに来る前にそう語り掛けてくれた真島さんの声には、欠片ほどの冗談も含まれてはいなかった。


 力を誇示したいから? ううん、そんなわけない。だって、そんなことをする必要があるほど、弱い人じゃないんだから。



 ただ単に、そうしないと危ないからだ。



 正直、真島さんは私が今まで出会ってきた大人の中で、殴り合いの喧嘩なら間違いなく一番強い人なんだけど。



 「みつき、命令」



 お腹の奥に少しだけ力を込めた。



 「殺さず、怪我をさせず、真島さんを無力化して。当然、みつきも無事でいること。合図の後に始める、いい?」



 吐く息が冷えていくような、頭の奥が凍り付いてくような、そんな感覚を感じながら。



 私はみつきに『命令』を告げた。



 それにみつきは黙って頷いた。



 彼女の瞳の色が少しだけ変わったように見えた。


 

 「用意」



 真島さんは、間違いなく、私が出会った大人の中で一番強い人だけど。



 「始め」



 多分、これは勝負にならない。




 そんな確信にも似た何かが、きっと、この場にいる全員の頭の中に浮かんでいただろう。そして、真島さん当人がそれを一番、嫌というほど感じてる。




 そして、私の声と同時に、




 何の比喩でもなく、観戦していたはずの私達三人の視界から、忽然と姿を消した。




 今から行われるのは、勝負じゃない。




 ただの、一方的な、蹂躙だ。




 ※




 みつきと呼ばれた殺し屋が、取った戦術はいたってシンプルなものだった。



 真っすぐ飛んで、喉を潰す。



 ルール上はゴムナイフを当てた時点で終了するが、さらに呼吸を断つことで主人の命令通りの、完全な無力化を果たす。


 喉を完全に潰しきるかどうかのさじ加減は、幾多の経験から、彼女の中では既に想定されている。


 身体を沈み込ませる予備動作を挟まずに、足首と膝の力のみで突進する。


 ただ、そのフェイントに近い不完全な加速だけで、彼女は観戦していた三人の視線を容易に引き千切った。



 ただ、少し想定外なことがあるとすれば。



 真島と呼ばれた青年の、頭上斜め上を越えながら挿し込んだ、致命の一撃が。



 直撃する、0.1秒より更に前に。



 弾かれた。



 同じく、相手のゴムナイフによって。



 どうにもあの初撃に反応していたようだ。



 少女はその勢いのまま、公園を囲む金網の壁面に直接着地しながら、その事実を理解する。



 「いったっ!? いっったぁ!!??」



 少女が金網に着地するけたたましい音と、青年の声で、観客の三人はようやく何が起こったかを理解する。


 思いっきりナイフを弾いて首を掠めたので、現実であればその一撃で勝負はついてるわけだが、これはあくまで模擬戦だ。


 規定通りのルールを達成しないと終わらない。それに何より、無力化する、という主人からの命令を達成していない。


 ふむ、と少女は金網に掴まりながら思案する。


 さっきの一撃を防ぐだけの腕はある。


 となると怪我をさせずに無力化というのは中々難しいものがある。


 本気で斬りかかれば終いだが、それでは大怪我をする可能性は否めない。


 いや随分頑丈な青年のようだし、耐えられる可能性はあるかもしれないが。何にしても、怪我をさせないというのは難しい。


 となるとやはり、あれだろうか。


 そこまで思案して、少女は金網から手を離して地面にすとんと着地した。


 対する青年の方は呼吸を整えたうえで、こちらに身体を向けて構えている。


 いい判断だと思う。不用意に自分から動かない。


 こちらの足に追いてこれないのを理解した時点で、迎撃狙いに切り替えてきた。


 単純な突撃であれば、ルート上にナイフを置いておけば、こっちが自滅するという判断だろう。


 戦い慣れをしている。未知の状況にも対応できるだけの頭の回転もある。



 ただ一つ理不尽があるとするならば。




 少女は飛んだ。




 そういう理屈の通じる状況ではなかったということくらいだろう。




 青年を少し掠めるように、ただ向こうの手が反応しないギリギリの位置で。



 そうなると、少女も青年に攻撃することはできないが構わない。



 そのまま、先刻と同じように金網に勢いよく着地すると同時に、今度は更にもう一度飛んだ。



 金網を踏みつけて反動を利用するような形でさらに加速する。



 飛ぶ。



                  飛ぶ。



        飛ぶ。



             飛ぶ。




飛ぶ。



 何度も何度も、加速しながら金網に囲まれた広場を、縦横無尽に、反射する球の様に飛び続ける。



 離れて飛ぶ、掠めて飛ぶ。



 その都度、真島は反応して動線にナイフを構えようとするが、全てに対応できるわけではない。



 観戦している三人には、金網の反射音と少しの残像しか捉えられない速度で、絶えず加速を続けたまま飛び続ける。



 攻めるか、引くか、常に選択肢を散らしながら、青年の神経を摩り減らし続けていく。


 

 そして、十秒ほどした瞬間に。




 音が突然、静止した。




 少女が青年の死角に位置する金網に着地した。



 距離にしておおよそ10メートル、完全に青年の背後を取った状態で、少女は全身を使って最後だと言わんばかりに金網を思いっきり蹴った。



 ただ、青年もそれにすら完全に反応しないまでも、自身の背後にナイフを向ける形で、ぎりぎり対応を終えていた。



 この時の青年の反応は、体勢が崩れながら死角に向けて放った一撃としては、模範解答に限りなく近かった。



 これまでの彼女の行動から、取りうる軌道、そこに対する迎撃。小数点秒以下の反応時間の中で出せた物としては最高のものと言っていい。



 ただ、一つ間違いがあるとすれば。



 少女の狙いが始めから、、ということだけ。




 軌道上に置かれたナイフに向けて、少女は砲弾めいた勢いで更に身体を捻りながら、自身のゴムナイフを叩きつけた。




 殺してはならない。



 怪我をさせてもならない。



 であるのならば、狙うべきものは必然、対象の武器となる。



 なにせ武器はどれだけ強打しても、怪我を負わせることはないのだから。





 金属質の何かが、破砕するような音がした。





 もちろん、あくまで片方のゴムナイフで、もう片方のゴムナイフを弾き飛ばしただけに過ぎない。



 ただ観戦していた三人には、目の前で手榴弾か何かが炸裂したかのような錯覚を起こさせた。



 数瞬後、弾かれたゴムナイフが金網に銃弾めいた速度で食い込んでいく。



 そして、観戦していた三人がそれを認識するより前に。



 青年が、さらに対応して左拳を出す前に。



 少女は逆側の金網に着地した瞬間に、再度青年に向けて飛んだ。



 こんどは敢えて、



 両手を広げて、年の離れた親戚に、年端も行かない少女が抱き着くかのような格好で。



 「は?」



 そして青年が状況を認識する前に、青年の肩に飛びつくと、身体を蛇の如く滑り込ませて青年の背後に回り込んだ。



 片手足で、首を抑え込むような格好で。



 一見すると、青年が少女を肩車か何かをしているような格好だが、完全に青年の生命線は少女によって握られている。



 というか、もう潰されている。



 左足と右手で挟みこむように、少女のものとは思えない万力のような力で、青年の首を圧迫していた。



 もちろん、主人の命令は遂行する。



 殺しはしない。怪我はさせない。



 その場合、もっとも簡単で汎用性の高い手段は何か。



 それは窒息させることだ。もちろん、喉を破壊しない範囲での話だが。



 青年が少女の足を必死に叩いて、ギブアップを示しているが、少女はそれに反応しない。



 あくまで主人の命令によってのみ彼女は動く。



 無力化する、という命令を彼女は忠実に実行しているに過ぎない。



 事態をようやく理解した千歳羽樹里が、静止に割って入るまで、残り数秒。



 真島斗真は二十五年の人生を走馬灯のように振り返っていた。


 「終わり! みつき、終わり!!」



 遠く向こうで、既に亡くなった祖母の幻影が見えた気がしたが、一応、完全に気絶する前に、どうにか解放はされていた。



 かくして、少女と青年の戦闘および蹂躙は、圧倒的な力の差を見せつけて終了した。



 後には、気絶しかけの満身創痍な青年が一名と。



 そして、それを介抱する医者一名と、部下の様態に頭を掻く店長一名。



 そして、自身の仕事にどこか満足げな殺し屋一名と。



 ―――砲弾の雨でも振ってきたかのように歪曲し尽くした公園の金網と。



 「『物を壊しちゃダメ』っていうのも、命令しとかないといけなかったわけね……」



 それをどう警察に言い訳したものかと、苦笑いを浮かべる少女一名が残された。



 春の陽の、温かさに微睡む日頃のことだった。

 


 殺し屋の少女は、一仕事を終えた満足感に、小さな欠伸を一つ浮かべていた。

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