第3話 殺し屋を飼う、シャワーを浴びる

 携帯のナビでは自転車に乗って一時間。


 幸いほとんどが下り坂だったけど、二人乗りだったのも合わせて遅くなって一時間半。


 運動不足の女子高生の足が、ふらふらになるには正直十分すぎる、そんな運動だったわけでして。


 愛すべき我が家に帰った頃には、私の足はしっかりと棒になっていた。


 いやあ、疲れた。こんなことになるなら、原付の免許くらいとっとくべきだったかも。


 なんて思考をよそに、私達は山を越えて、川を越えて、ビルと線路を幾つも越えて、私の拠点たる街に帰ってきた。


 みつきが入れられていた『箱』と呼ばれる施設は、地方都市のまた外れの廃墟みたいなところにあったけど、そこと比べるといささかうるさくて、人と物がごった返したそんな場所。


 大都市のはぐれ、狭い建物が乱立した、その隙間。


 三階建てのビルの最上階のテナント……テナントって言っても所有者と知り合いだから、ほとんどタダみたいな値段で貸してもらっているけどね。


 とりあえずまあ、そんな愛すべき我が家に帰ってきた。


 自転車はとりあえずビルの隅に止めておいて、脇の非常階段をカンカンと音を立てながら上がっていく。


 特に声をかけなくてもちいさな殺し屋さんは、私の背後をぴょこぴょこと歩きながらついてくる。そうしている姿は、垢ぬけない小学生とかをみているみたいで、なかなかに可愛らしい。うんうん、可愛きことはよきことかな。


 「一階はねーお店になってるの。今日は休みだけどね。で、二階がここのオーナーの病院。で、三階が居住スペースだね。みつきはこれから、私とここで暮らすのだ」


 階段を上がりながら、そう告げて軽く背後の反応を窺ってみる。


 といっても、小さな殺し屋さんはどことなくぼーっとこっちを見ているだけで、大した反応はほとんどない。よくわかっていないのか、はたまた興味がないだけなのか。


 軽く肩をすくめながら、私は疲れた足を引きずって三階のドアまでやってきた。


 愛用のラバーストラップがついた鍵を挿し込んで、ドアノブを捻って扉を開ける。


 どことなく慣れた匂いが鼻の奥に広がって、身体をゆっくりと弛緩させる。


 ふー、やれやれ帰ってきた。なんだかんだ緊張したよねえ。


 自転車を漕いできた分の身体の疲れと、ばばあの相手をした気疲れがどっと来て、思わず息が永く永くもれてしまう。なんなら、ちょっとした眠気まで感じてる。


 だけど、そのまま眠ってしまうわけにもいかない。


 なんにせ、今日からうちの子になった殺し屋をシャワーにいれないといけないのだ。


 軽い欠伸を誤魔化しながら、部屋に入りかけて気づいたけど、この子そもそも靴すら履いていない。どうなってんだあの施設、いや大半が自転車移動だったとはいえ気づいてない私も大概だけど。


 「とりあえず、シャワー浴びよっか。こっちねー」


 そうやって声をかけると、相も変わらず無言でぴょこぴょことついてくる。


 …………こうやってみると、どうみてもただの年端もいかない女の子だ。


 まあ、記録上は実践投入される前の子だったみたいだし。経験が浅くてそんなもんなのかな。それとも、


 嫌な想像に、思わず口角が下がってへの字になりそうになるのを抑えながら、私はみつきを脱衣所まで引っ張っていった。


 んー、それにしてもどうしよ。


 お風呂は……自分で入れるかな。それくらい当たり前に出来そうにも、全く出来なさそうにも見える。


 口頭で確認してもいいけど、ちょっとめんどくさいので、結局そのまま私も一緒に脱衣所に入ることにした。嫌がりそうだったら止めよ……とは想うけど、この子、嫌がったりするんだろうか。


 そのまま先に自分の服を洗濯籠に放り込む、すっかり汗まみれになった下着もついでにシュートする。そこまでやってマッパになったところで、軽く振り返ってみたら、案の定、彼女は何もせずじっと立ち尽くしていた。


 「ほら、シャワー浴びよ。……あ、一緒に入るの嫌?」


 そう尋ねると、みつきは無言のままゆっくりと首を横に振った。


 ふむ、嫌じゃないなら別にいいかな。私がばんざーいと両手を上げると、みつきはしばらく不思議そうに首を傾げていた。なるなる、こういうジェスチャーは通じないと。


 「両手あげて—」


 なので口に出すと、少し不思議そうにしながら、両手を上げた。そのまま彼女が着ていた下着みたいな汚れたシャツを上から脱がす。服の下に下着とかは履いてないみたいで、そのまま未成熟な身体が露になった。


 その小さく細い身体には、一見すると何もないけれど、よくよく見ると小さな縫い跡がいくつか見えた。それも巧妙に、素人が見てもわからないような処置が施されている。やれやれ、まあわかりきってはいたことだけど、身体ごといろいろと弄られているわけだ。こんな小さな子どもを捕まえて、一体何をしてたんだか。


 そうして、色々とよくわからない汚れのついたシャツはそのまま洗濯籠に放り込んだ。それから、同じように無地の半ズボンを、そのまますっと脱がせてみた。案の定、何も履いていない。恥ずかしがるようなそぶりすら微塵もない。


 組織テナントの奴らも、パンツくらいちゃんと履かせておけよ。それかあれかなあ、前の主人の趣味とかかな。……いや、もしかしてこれ、ばばあが私の同情をひくためにわざとみすぼらしい恰好にしたんじゃないか。最後のが、現実的に一番ありえそうなのが、なんとも嫌な想像だった。


 とりあえず、まあ、あまり直視したくない汚れは洗濯籠に放り込んで、汚れ切ったみつきの手を引いて、私は風呂場のドアを開けた。


 特に侵入者がいるわけでもないけれど、風呂場の鍵はちゃんと閉めて、シャワーのコックを開ける。


 しばらく冷たい水が流れ出るのを傍観した後、出てきた暖かい水で軽く風呂場を洗い流す。


 そうやって私がしている間にも、みつきはぼーっとこちらを眺めているだけだった。


 しかし、なんか人形みたいだなあ。反応が薄いということも含めて。



 まるで―――何も感じてなんていないよう。



 もともとそういう子だったのか。



 それとも、そういう風に捻じ曲げられたのか。



 ま……十中八九、後者なんだよねえ。



 「そこ座って」


 私がそう言って風呂場の椅子を指し示すと、とことこと歩いてすとんと落ちる様に腰を下ろした。……こういう所作は、いかにも子どもっぽいのがなんとも言えない。


 「流すからね、暑かったり痛かったりしたら言ってね」


 そう言って、みつきの頭にシャワーのお湯をじゃっとかけた。それだけで黒い汚れが滲みでてきて、やれやれって感じになる。さっきから呆れてばかりだな、私。


 まあ、気にしてても仕方ないので、しばらく全身にお湯を流してから、シャンプーを目いっぱいつけて、その頭をわしわしと洗っていく。


 触った感じがざらっとしていて、なんだか嫌な髪だった。


 この子の髪が嫌ってわけじゃない、ただ、それだけ痛めつけられた髪なのだということが感じられて何とも言えない気分になった。本人が嫌がらなかったら、後でちょっと切った方がいいかもね。ここまで痛んだ髪は、もうさすがに戻らない。


 一応念のため、二度シャンプーをつけては流すのをくりかえしてから、最後にリンスを塗っておく。もう傷んでいるから手遅れ感はあるけど、まあ気休めとしてはちょうどいい。


 あとお湯を流してわかったけど、この子、もともとわりと直毛に近いみたいだ。傷んだせいで少しウェーブがかかって見えてるだけかな。


 それからボディソープを手に取りかけて、さすがに身体を洗うのは自分でやってもらった方がいいなと思って、そのまま彼女にそっとボトルを渡した。


 「身体、洗える?」


 そう尋ねるとしばらく呆けたような表情をした後、軽くうなずいた。そして、もそもそと自分の身体を洗い出した。どことなくたどたどしいというか、慣れていないというか。


 なんとなく危なかっしく想いながらも、とりあえず大丈夫そうなので、私も自分の髪を洗うことにした。


 ふー、いやしかしほんとに汗かいたなあ。そう想いながら、わしゃわしゃと頭を泡立てる。


 それからなんとなく思いついたので、泡立てた髪をくるりと巻いてあたまの上にのっけてみる。まるでソフトクリームのように、うんこみたいとか言っちゃダメだぜ。


 「見てみて、ほら、変な頭」


 渦巻き状になった頭をふるふると横に振りながら、おどけてみた。


 なんだかとても不思議そうに観察された。うん、こういうのはちょっと違うみたい。近所のがきんちょにやったらバカウケ確定なのだけどな。ふんむと考えながら、そのままばしゃあと頭を流した。


 ソフトクリームは見事に崩れて、ただのずぶぬれの私が帰ってくる。軽く水を払って目を開けたら、みつきはじっと黙ってこっちを見ていた。身体中あわあわの状態で。


 うんうん、真っ当に身体は洗えるようでよろしい。ついでに流してもらうのを待っているのか、それともシャワーを貸してほしいのか。


 「自分で流す? それとも流そうか?」


 そうやって問うとしばらく固まった後、ゆっくりと首を横に傾げた。


 与えられている選択肢の意味がよくわかっていないみたい。


 それから、しばらくぼーっと空中を眺めていた。なんとなくわかってきたけど、こうやってぼーっと空中を眺めているときは、みつきなりに何か考え込んでいるときみたいだ。


 「流してもらった方がいい」


 「ふーん、ちなみに何で?」


 可愛らしい理由は期待していないけど、なんとなく気になったので聞いてみる。


 「その方が緊急時に手が自由に動かせる……から?」


 「なー……るほど。それじゃあ、流してあげよ」


 案の定というか、あまり可愛げのない返答だったけど。まあ答えてくれただけよしとしよう。


 というわけで遠慮なく、ちいさな身体の泡をせっせと流していく。


 シャワーを流されている間、みつきは手を椅子についてじっと黙って流されていた。


 一通り流し終わってから、最後にもう一度、お互いの身体を軽く流してから、風呂場を出た。


 脱衣所で小さなきみにタオルを渡して、同じように私も身体を拭いていく。


 春の頃のほんのり暖かい空気と、風呂上がりに気化熱で少し冷える感じが心地いい。この普段はいらない時間に入る風呂上がりの独特の空気が私は好きだった。


 軽く伸びをしながら、脇にたたんであった洗濯済みの下着に手を通す。


 とりあえずショーツを履きながら、ふと振り返ってみると、みつきはぼーっとしたまま手渡されたタオルを眺めていた。当たり前だけど拭いてないから身体はべちょべちょ。


 なーにしてんだよと軽く笑いながら、私はとりあえずショーツだけ履ききって、みつきに声をかけてみる。


 「身体、拭ける?」


 そんな私の問いに、みつきは少したどたどしくではあるが、もそもそと身体を拭きだした。ただ、あんまりにもそもそしているから、このままだと風邪をひきかねない。


 仕方ないなあと軽く微笑んで、もう一つのタオルを持って、みつきの頭にぼふと被せた。


 「…………視界が塞がると緊急時に対応できない」


 「その前に風邪ひいたら意味ないからね、ちょっと我慢して拭かれてて」


 というわけで、小さな殺し屋さんをタオルで無力化してから、その髪をわしわしと拭き上げる。痛くないように、でもさっさと渇くように、思いっきりがーっと拭ききるのがコツだね。


 十秒くらいそうして、あらかた乾ききったのに満足したので、タオルの呪縛から解放してあげた。ぼさぼさの髪の隙間から少しだけ不満げな視線が昇ってくる。


 「うん、そういう眼もできるんだね、よしよし」


 「…………どういう意味?」


 「嫌を『嫌』と想えるだけの心はあるんだねっていう確認だよ」


 残念ながら、この世の中には本当に心ない人というのはいるもので。それそのものは悪ではないけど、私としては、心ない人の相手はちょっぴりと味気ないから。


 意のままに動く操り人形もそれはそれで便利なのだろうけど。ちゃんと心のある人形が拾えるなら、それに越したこともない。


 「こころ…………?」


 訝し気な視線がさらに増してしまった。あらあら困ったねえ、なんて嘯いてみる。


 ま、何はともあれ、今は次のことですな。


 「さ、身体が拭けたら、次は着替えだ。一応、服は準備しといたから好きなの着ていいよ」


 そう言って、脱衣所の隅にあらかじめ準備しておいた服の山を指さした。下着もちゃんと買ってきといてよかったね、ま、上の下着はしばらくいらなさそうだけど。


 みつきはしばらくじっと服を見ていると、何やら固まってしまっていた。


 しばらく自分の着替えをしながら、そんな後姿を黙って見守る。


 替えの服、結構色々と準備したんだよね。


 黒地のシックな半袖と半ズボン。可愛げのある暖色のフリルとスカート。水色のワンピース。ちょっと変なキャラがプリントされたシャツ。半袖のパーカー。


 どれを取るかなとにやにやして後ろで眺めていたら、困ったようにずっと首を傾げてた。


 ほっとくとそのまま全裸で悩んでいそうだったので、とりあえず声をかけてみることにする。


 「どれとどれで悩んでんの?」


 そうやって問うてみるけれど、首の傾きは一向に戻らない。


 「………………どれがいいかが……わからない」


 そう言ってる割には、片手には半袖と半ズボンが握られている。ただ握っている割に決めかねているって感じでもあるみたいだ。


 「好きなの取ったらいいんだよ。どういうのが好き? どういう色が好き? 直感で決めちゃえ」


 そう言ってはみるけれど、困ったような視線が返ってくる。


 まあ、そうだよね、直感で選べとかそういうのが一番、難しいか。


 自由な意思っていうのは、そもそも育まれないことには、芽の一つすらださないものだしね。


 おそらくこれまでの人生で選択肢を奪われ続けたこの子にとって、『自分の意思で何かを選ぶ』という行為そのものが、不可解で、不明瞭なのかもしれない。


 「最初にしては選択肢多かったかな……そんじゃねえ、これとこれどっちがいい? こっちは動きやすいだろうし、こっちは……なんだろフードがついてる」


 とりあえず、比較的彼女の目に留まりかけている服を二つひっぱりあげた。


 片方は黒いシャツと半ズボン、片方は半袖のパーカー。年相応の少女らしいものはとんと選択肢に入っていないみたいだ。


 私の問いに少女は、まだ困ったように逡巡していたが、しばらくしてパーカーの方を指さした。


 うんうん、小さな意思ではあるけれど、何もないよりは断然いい。


 「いいじゃん、似合ってる」


 少し大きめのパーカーに袖を通したみつきにそう声をかけた。


 君はまだ、よくわからないと首を傾げている。


 「でも、機能的にはどちらでもよかった」


 その言葉に私は首を横に振った。


 「機能的にどっちでもよくても、君の意思がそこにあることが重要なんだよ」


 そう言って、少ししゃがんで、背の小さなみつきに視線を合わせて言葉を紡ぐ。


 その胡乱で何にも興味のなさそうな瞳を、じっと眺めながら。


 「最初はね、どんな些細な違いでも、どんな小さなこだわりでもなんでもいいの。こころとからだの声を聴く練習だから」


 にこりと笑みを浮かべても、見つめ返してくる瞳は何も映さない。


 喜怒も、哀楽も、今の君には本当に何もないのかもしれない。


 「そうしたらね、段々こころが応えてくれるようになってくるから。


 あれがいい、これがいや。


 それが好き、どれが嫌い。


 そうやってね、自分の心の声の聴き方を知っていったら、段々と自分が何がしたいかわかってくるから」


 その瞳にいつか君だけの色がつくことを、祈りながら。


 「そうやって、少しずつ君が積み上げた選択が、君の好みを、君の個性をゆっくりと築き上げていくんだよ。


 そうやって、やりたいこと、好きなものが見つかったら。みつきがどうやって、幸せになれるかが段々わかってくるから」


 いい? と笑って尋ねると、胡乱な瞳は淀んだ色のまま困ったように俯いた。


 困る、ということができる程度には、震える何かはあっただろうか。


 「ま、今はわかんなくて大丈夫。これからいろいろ聞くからさ、どっちがいいかなって感じてみて。そんなに難しく考えなくていいからね」


 そうやって私が告げると、小さな瞳の奥が少しだけ震えて見えた気がしていた。


 まあ、今はそれで上出来でしょう。


 「じゃあ、ごはん食べよっか」


 いつか、いつか君だけの幸せがこの広い世界のどこかで、確かに見つかることを祈りながら。


 まあ、できたら、私が死ぬまでに見つかってくれるといいんだけどね。


 何も知らない殺し屋さんは、自分が選んだパーカーの袖を眺めながら、じっと何かを考えているようだった。

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