第3話 契約違反です

 トアル王都の近郊にあるウルタン伯爵の屋敷では、ゼゲンスキー商会から買われた女奴隷が日々の職務に精励していた。


 美しく優秀な彼女は半年前に屋敷に入って以来、与えられた仕事は正確にこなして、常に笑顔を絶やさず折り目正しい。主人たる伯爵からの覚えめでたく、契約だとかで屋敷内にシャワーとトイレ付きの個室を与えられている。


 屋敷で働く他の使用人からの評判もすこぶる良いが、しかし中にはそんな彼女を妬む者も現れる。


 以前よりその屋敷では働かされていたその女奴隷は、物として買われて傷ついた自尊心を抱えながら、延々と続く日々の労働にんでいた。そこに後からやって来て好待遇を受け、溌溂はつらつと日々を過ごしているアイツが憎いッッ!


「ヒヒ…これであの女ももうお仕舞よぅ。ヒヒヒ…」


 その憎しみが頂点に達した時、女は彼女に罠を仕掛けた。以前から彼女に欲望の眼差まなざしを向けていた伯爵の次男に接触し、伯爵の留守を狙ってミスをでっち上げたのだ。


「おいお前!ボクは部屋に花を活けろと言ったが、その花の中に蜂がいたぞ!この腫れた股間をどうしてくれる!」

「そ、そんな。私が見た時にはそのような事は…うぅ…」


 股間を膨らませたウルタン次男に突き飛ばされて床に倒れた彼女は、口元に手を当てて恐怖におののいている。目尻に浮かぶ涙と小刻みに震える肩。倒れた拍子にめくれたドレスエプロンの裾からは白い脚が覗く。


 約束事を網羅したその情景に興奮を一層の物としたウルタン次男は、彼女に向けて鼻息も荒く指を突きつけた。


「言い訳をしたな?これは仕置が必要だな。今夜、ボクの部屋に来い!」

 

 裏返る声で発された次男のその命令に、彼女はコクリと頷くしか無かった。





 その夜。ウルタン次男の寝室に彼女はやって来た。「折檻オシオキ」に関しては契約書に明記されているので、それを反故にはできない。


 ベッドに座る次男が、詰め物で膨らませた股間を撫でながら「脱げ」と命じる。それに従って彼女が脱いだドレスエプロンが床に落ちる音がやけに大きく感じるのは、いつの間にか周囲が静まり返っていたからだ。


 郊外の屋敷であるから周囲に人家はなく、もちろん人の通りもない。しかし深夜の事とは言え、この静けさは尋常の事ではない。しかし次男の注意は眼前にいる下着姿の彼女に向いていて、その様な事には気づきもしなかった。


 髪を結い上げた亜麻色の髪の下には羞恥に赤らむ小振りな耳。滑らかな項から肩を経て、いつも視線を奪われていたあの双丘が下着の薄布だけをまとってそこにある。部屋にひとつのランプの火が揺れる度にそこに刻まれる陰影が、嫌が上にも劣情をそそった。


「下着も脱ぐんだ」


 口中に次々と溢れてくる唾液をゴクリと飲み下して次男が命じると、彼女は目を伏せたまま首を横に振った。ならばと次男はベッドから立ち上がり、彼女の胸へと手を伸ばした───その瞬間。


パリーン!


 窓から射込まれたクロスボウの矢がランプの軸だけを射抜き、室内が暗闇に包まれる。次男が動転して窓を振り返ると、轟音が響いてが外向きに倒れた。


「GoGoGoGo!」


 全身黒のボディースーツに身を包んで、マスクで顔を隠した「ゼゲンスキー商会保安部」の要員が室内に雪崩込み、狼狽うろたえるウルタン次男の首根っこを掴んでベットに引き倒す。そこへ悠然とやってきたゼゲンスキーは来ていたコートを彼女に掛けた。


 屋敷の外は同じく黒ずくめの武装保安部員たちが固めており、上空には二人の魔術師が杖に乗って旋回しながら、魔法の光で屋敷を照らし出している。


「無事かね?」

「はい、社長」


 暴れる次男を後ろ手に拘束して猿轡を噛ませた保安部員が、顔を向けて指示を仰ぐと、商会主は右目を見開いて左目をすがめ、歯を剥き出しにして嗤う。


「ここに二人を残して、後の者は邸内を捜索、犯人を確保せよ。抵抗するなら腕のひとつも折ってやれ」

「ハッ」


 黒ずくめの女たちは屋敷に散ると、ツーマンセルで邸内の各部屋をクリアリングしていく。あちらこちらの部屋から「Clear!Clear!」と合図が聞こえる度に、怒号や悲鳴が上がった。


 そして引き立てられた奴隷の女を、ゼゲンスキーは底冷えのする下目遣いで見下ろし「クズめ」と一言。膝から崩れた女は保安部員に両脇を抱えられて引きずり出された。


 そしてベッドに倒されて呻くばかりの次男に向かい、冷厳に宣告する。


「当商会の奴隷に対する暴行、及び当人の承諾なく下着を脱がせるのは重大な契約違反だ。商品はこちらで回収し、違約金として金貨二千枚を請求させて頂く」


 莫大な金額に驚愕したウルタン次男は涙に濡れた目を見開き、よだれと鼻水にまみれた顔を歪めてフガフガと唸っている。


「屋敷と農園を含めた全財産を手放してでも支払って貰うぞ。お父君にも宜しく」


 コートを胸の前に掻き抱く彼女を伴ったゼゲンスキーは、入ってきたのと同様に悠然と屋敷を出た。上空に掲げた人差し指をクルクルと回せば、撤収の合図を受けた上空警戒の魔術師が上昇しながら帰投していく。


 邸内を制圧していた保安部員と周辺を警戒していた要員も潮が引くように撤収し、屋敷は再び静寂を取り戻した。


「伯爵は人格者だが、息子があれでは気の毒になぁ」


 そう嘲笑あざわらったゼゲンスキーは夜の闇へと消え、後日ウルタン伯爵家は破産した。

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