第10話 ダイジョウブ

 11月2日


 群発期が過ぎ、発作が起きることはなくなった。

割の良いバイトも見つけ、週5日でシフトを入れている。

今まで諦めてやろうともしなかったことをしたりする毎日は今までと比べ物にならないくらい楽しい。改めて俺は廃人だったと気付かされる。

今日だって詩葉さんとショッピングモールに来て目的のない買い物を楽しんでいる。

今までの俺じゃ考えられない。詩葉さんと出会ってから世界が広がった。


 いつも通り独り言を呟きながら冬物のトレンドをチェックしたり、頬にカスタードをつけながらシュークリームに感動している彼女は見ていて本当に飽きない。

ちなみに、そのシュークリームは北海道の有名なスイーツショップのものらしく、詩葉さんはいたく感動していた。


 詩葉さんが歩くと、ふわっとパーマのかかった髪とロングスカートが揺れ動いてごきげんな犬のしっぽみたいになる。これがまた面白い。

駅から帰路につく道すがら犬と目があったらしく、老後は絶対犬を飼うと息巻いていた。何年後の話なんだよ、と丁寧に突っ込むと、


「人生の体感スピードって19歳で半分終わってるらしいよ。だからもうすぐ老後ってことだし無問題モーマンタイ。」


謎の返しをされた。気になってググるとガセでは無かった。少し驚いた俺を見て勝ち誇ったような顔をする詩葉さんが面白くてどうしても笑ってしまう。


「なによさっきから。口角上がってますけどー。」


「っふ。いや、なんにも。」


俺たちはかなり身長差があるので並んで歩くと必然的に詩葉さんが俺を見上げる形になる。俺を見上げて頬を膨らませる彼女は少し幼く見える。


「あ、今日の夕飯はどうする?俺も手伝うよ。」


「そうだねー、人参とグリンピースたっぷりの肉じゃがにしようかな。」


「...すいませんした。」


「ふふっ、弱み握っちゃったね。」


いつもの中身のない会話。そんなことも今までの俺のことを考えるとイレギュラーだが、もう日常に溶け込んでいた。

このまま楽しく家に帰って夕飯、と行きたいところだが現実はそうもいかない。


 あと10分も歩けば家、というときに横を歩いていた詩葉さんが急に止まった。ほんとうに急に。数歩遅れて気づいて振り返ると、目を見開いて買い物袋を持つ右手の指が白くなるほど強く拳を握る詩葉さんがいた。


「詩葉さん、?」


「あ、いや、大丈夫。うん。なんもない。」


何もないわけがない。怯えるような、でも怒ったような表情をさせながら言うことじゃない。目が泳ぎっぱなしだ。


「詩葉さん?落ち着いて。ほら、深呼吸し「あれ?しーじゃん。」」


俺の後ろ、つまり詩葉さんの前から知らない声がした。

振り向くと明るい茶髪を刈り上げた、いかにもヤンチャそうな男がいた。

左の軟骨ピアスと胸元のチェーンのゴールドが鈍く光る。


「知り合い、?」


一応、念の為聞いてみる。返事はしてくれないがいい関係じゃなさそう。

そっと詩葉さんを背中に隠すように前にでる。


「お前、誰」


「しーマジで久しぶりじゃん。元気だった?」


どうやら俺の存在は抹殺されているらしい。初手から嫌われたか。

それなら気が合う。俺だって一目見た瞬間、アイツのことが大嫌いになった。

おそらく名前の音読みからとったであろうあだ名も、強い香水も、チャラけたような声も何もかもが生理的に受け付けられなかった。


「なんでここにいるの...」


「別にいったってよくね?ま、今日は車校だよ。で、横のそいつカレシ?」

*自動車学校


「一瀬くんは巻き込まないで。それに、彼氏でもなんでもない。」


一応存在は確認されてたらしい。


「予定あるんで帰ってもいいですか」


「やっぱりカレシなんじゃん。なに?同棲?モノ好きだね。」


ヘラヘラとしながら意味のわからないことを言うコイツに心底腹が立つ。

今すぐにでも殴り飛ばしてやりたいが、それでは詩葉さんがもっと怯えてしまうのは目に見えている。我慢するために握った拳には爪が深く食い込んだ。


「詩葉さん、帰ろ。」


詩葉さんの手首を掴んで男の横を通り過ぎる。以外にも引き止めてこなかった。

詩葉さんの冷たい手を引いて数歩歩くと後ろから声が聞こえた。


「なあ、、元気?」


耳に入っていた言葉が信じられなくてバッと振り返る。

首だけこちらを向き、思いっきり口角を上げて勝ち誇った顔をしたアイツを許せなかった。冗談にも程がある。驚きのあまり身体が動かない。


「一瀬くん、帰るよ。」


今度は俺が手を引かれる番だった。

俺を呼ぶその声は聞いたことがないくらい冷え切っている。


 それからは一言も喋ることなく家まで歩いた。家についてもお互い無言で荷物を片付け、部屋着に着替えた。

 しかしどれだけ避けていても手持ち無沙汰になってしまったので、ココアの入ったマグカップをソファーの前のローテーブルに置く。

うつむき続ける詩葉さんの横にマグを持って腰を下ろす。


「落ち着いた、?」


「巻き込んじゃってごめんなさい。」


「大丈夫。」


「大丈夫じゃない。」


「大丈夫だよ。」


「大丈夫じゃない。殴られててもおかしくなかったのに。大丈夫じゃないよ。」


「殴られたこと、あるの?」


「っ...。殴られたことはない、けどそういう人だから、」


「そっか。でも大丈夫だよ。殴られてないし。」


まだ詩葉さんは目を合わせてくれない。


「俺のこと怖くない?横にいても良い?」


「一瀬くんは大丈夫。怖くない。」


「うん。ありがとう。」


詩葉さんが息を吹きかけてココアを冷ますと、甘くて優しい香りが広がる。

会話が途切れる。

マグを包んだ指は暖かい。


「俺、アイツ嫌い。」


「うん。」


「...詩葉さん、俺聞いても良い?」


「...聞きたいの?面白くないよ。」


「面白くなくていい。」


「私、短くまとめるの苦手だからできないよ。」


「どれだけ長くてもいい。」


自分で言いながら、彼氏でもなんでもないやつが何言ってんだって思った。

でも恥ずかしいとは思わない。


詩葉さんのカコを初めて聞くことになった。

























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