タンタンとホッチ

ナナシマイ

高二・秋 むしろ自転車のカゴを壊してほしかった

「あ、豊沢とよさわさん。帰り?」

 部活終わり。今日は早めで十七時を回ったところ。まだ日は暮れていない。

 微妙に薄暗い校舎裏の駐輪場でぎゅうぎゅうに詰められた自転車の中から自分のものを引っ張っていると、カラカラと自転車を押す丹波たんばくんに偶然っぽく声をかけられた。

「うん」

「カメラは?」

 彼の短い質問に、自転車のカゴへ入れていたカメラバッグをポフッと叩く。

「ある。持って帰る」

 そちらから聞いてきたくせに、丹波くんはわたしの返事に反応することなく自転車に乗り、正門へと走り出してしまった。

 わたしはちらりと裏門のほうを見て、それから、サドルに跨がる。ペダルを踏み込む。

 写真部の部活終わり。カメラバッグを背負った彼を追いかける。

 

 わたしたちは互いの写真を撮ったことがない。

 わたしたちは互いをニックネームで呼ばない。


 それは互いにとって確かに特別なことで、でも結局はわたしの自己満足にすぎないもので。

 ……そう、丹波くんにはどうでもいいことらしかった。




「ほらあの子だよ、タンタンの彼女」

「えっどれ? ……あー、放送部の!」

「一年生じゃん。やるぅ」

 昼休みはたいてい、屋上に続く階段の踊り場に集まって写真部のみんなで食べるのが習慣だ。とはいっても決まりではないから面子にはバラつきがあって、今日は女子だけだった。噂話が始まるのは必然だろう。

 対象が丹波くんというのが、予想外なだけで。

「へー」

 わたしも興味深そうに相槌を打ってみる。内心は興味深いなんてものじゃないけど。

「ホッチ、彼ぴ取られちゃったじゃん、悲しいねぇよしよし」

「や、付き合ってないし」

 頭を撫でてくる手を払う。

 ……興味深いなんてものじゃない。わたしは丹波くんに彼女ができたことすら知らなかった。文化祭の展示準備で、ここ最近は毎日のように会っていたのに。

「女心と秋の空っていうのにねぇ。よしよし」

「あれって昔は逆だったらしいよ」

「え、じゃあ男心? あはは、タンタンまんまじゃん。あーほらホッチ、ほーらよしよし」

 執拗に撫でようとしてくる手から逃れつつ、「だから違うってば」と否定する。わたしたちは本当に付き合ってないし、彼女たちもそう言ってからかっているだけだ。

「彼女、できたんでしょ? わたし、関係ないもん」

 緩めればいいのか、下げればいいのか、わからない。だからわたしは、ぎゅっと眉を寄せてしかめっ面をした。




 そんな昼休みの会話を思い出していたら、舌の付け根あたりがじくじくと痛い。痛みを無視して、ギアを五まで上げた。

 ひょろっこい癖に、意外と丹波くんは力がある。上り坂になると決まってスピードが上がるから、わたしは重くなったペダルを強く踏み込む。丹波くんの背中を追いかける。

 放課後、帰り道、二人きり。

 三拍子揃った青春ワードの、一つだけが嘘だ。これは帰り道じゃない。わたしの家は正反対、高校の正門を出た時点で逆方向。もはや寄り道ですらなかった。


 県道を二本越える間に、町はすっかり夕景に馴染む。

 淡いオレンジ色に染まった住宅街を抜けて高架線路をくぐれば、突然開ける視界に西日が刺さった。

 そこは再開発工事が長い間止まっている土地。広くて、雑草がたくさん生えていて、でも今の季節はススキが景色をオシャレに見せている。わたしの好きな場所だ。

 穂の影が穴のようにぽっかり黒く、空にコントラストを生み出していた。

「ん、やっぱ綺麗」

「豊沢さんのほうが綺麗だよ」

 流れるような丹波くんの嘘に、わたしは満点呆れ顔で溜め息をついた。内心はどうあれ、ここで恥じらってはいけない。

 なんてこともないふうに、ファインダーを覗く。また少し暗くなった夕景の中で、レンズを回して、赤ポッチが出てくるところを探る。

 この現実の世界と、わたしの表現の世界が、混じりあう。

 二人分のシャッター音が空き地に響き、それは日が沈むまで続いた。


「じゃ」

 青く沈んだ視界の中でも、慣れていればどうってことない。わたしはそそくさとカメラをしまい、サドルに跨がる。ひらりと手を振って、ペダルを踏み込んで――

「ちょ、っと」

「なにしてんの」

「帰るの。手、離して」

 丹波くんの手がわたしの自転車のカゴを掴んでいた。こっちは体重をかけてるのに、ぐいっと引っ張られるとバランスが崩れてしまう。

「なっ、ちょ、危ないって」

「家、こっちだから」

 カゴを掴んだまま、丹波くんは器用に自転車に乗り、わたしの家とは反対方向に進む。

「わたしの家はあっち! 遠回りしたくないんだけど」

「今さらじゃない?」

「や、それは」

 ……ここに写真を撮りにくるため。それだけじゃ、気弱なわたしが丹波くんの背中を追いかける理由には弱かった。

 丹波くん自身がそれを望んでいると思えたから、思い込んでいられたから、追いかけられた。

 こんなことを毎回してるなんて……。そう、毎回。誰にも言えないくらい馬鹿げてる。馬鹿げててもよかった。

 ……でも、今日は。わからない、なんでこんなこと。一つ下の名前も知らない彼女に悪いなんて思いながら、今日も丹波くんの背中を追いかけてきてしまった。「聞いたよ、彼女できたんだってね」「おめでとう」――自分の気持ちを口にするよりよほど簡単なはずなのに、なぜか言えなかった。

 わたしは――いや、は、「そういうのに疎い子」だから。

 なら、いいんじゃないのって、甘えてるだけだ。カゴを引っ張ってくる、その手に。


 丹波くんの家の近くまで行って、そこでようやく彼はわたしを解放する。

「じゃあね、豊沢さん。また明日」

「……うん」

 街灯に照らされて、夜道を走る。学校から帰るよりもずっと遠い。

 なにしてるんだろうって、思う。

 でも、すっかり暗くなった視界がわたしの心まで覆い隠してるみたいで、自分のことすらよくわからなくなる。

 ギアを三に戻しながら、左手の指でベルをはじいた。

 掠れた鈴の音が住宅街にこすれて消えて、リィンと虫の声が返ってくる。

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