第30話

 あれからというもの、おれの――ラクナの配信活動はなかなかの好調だった。あれからって言っても、まだ彼女と別れて数日だけれど。

 でもその数日でラクナのチャンネル登録者数は十万人に達してしまったのだ。コラボ配信のおかげではない。ていうか、あの日から何か妙に馴れ馴れしいメッセージが送られまくってくるので、既にカノンさんからの連絡ツールは全てブロックしている。

 そもそも、もはやおれに登録者数を増やす動機はあまりなかった。何ていうか本当に力の抜けたように、この数日何を話したかも覚えていないくらいに、ボーっと配信していただけなのだ。

 それがたまたま功を奏した――わけではない。そんなんで上手くいくほどVTuberは甘くない。

 ラクナの注目度がここに来て高まった理由――それは単純に、人気イラストレーターの生きゅうり先生が宣伝してくれたからだ。ラクナを生み出してくれた先生自ら、ツイッターアカウントなどにラクナの新規イラストを上げまくってくれていた。

 今までこんなこと全くなかったのに、急にどうしたんだろうか。

「クオリティもめちゃくちゃ高いし…………わ、また上げてるじゃん」

 ベッドに寝転がってツイッターを巡回していると、生きゅうり先生の新たな投稿――ベッドに座ったラクナが串に刺さった揚げ物(?)を咥えているイラストが目に入った。

「えっろ」

 足元から見上げるような位置に視点のある、いわゆるアオリ、ローアングルのイラストで、ラクナのスカートの中が見えてしまいそうな危うさがある。いや、パンツが見えそうとかそんなこと以上に、ニーハイソックスが気持ち食い込む、太もものむっちり感がえろい。ラクナの細い脚にリアルなむっちり感まで併せ持たせることはVTuberのモデリングでは再現するのが難しくて諦めたという経緯があるのだけれど、それをこうやって活き活きとしたイラストで表してくれるとは……神か、この人は。

 いやでも。さすがにあざとすぎじゃね? 最近の先生のラクナ絵って生脚を強調したものばかりな気がする。や、別にいいんだけれど、先生ってあからさまにエロを狙った絵とか描かない人じゃなかったっけ。この揚げ物咥えてる感じとかさ……。てか何だよ、この食べ物。生地で何か挟んでんの? 台湾かどっかの屋台料理的なやつ? 向こうのイベントにでも参加してきたの? や、顔出しとかしてなかったか、先生。

「ほんと突然どうしたんだろ。お礼しても返事ないし」

 ま、先生のおれに対するサバサバとしたお仕事対応は今に始まったことじゃないけれど。

「……………………」

 ……でもたぶん、反応してもらいかったんだろうな、おれは。誰かに相手をしてもらいたかったんだ。ラクナとラクナーの関係だけじゃ、満足できなくなってしまっている。人と人とのリアルな繋がりに、飢えている。

「…………はぁ……ダメだよな、こんなの」

 いつまで引きずってんだよ、自分から切り捨てたくせに。こんな未練は、ずっとラクナを応援してくれてきたラクナーさんたちに失礼だ。おれは、ラクナとラクナーの繋がりを軽視するようなことなんて、絶対にしちゃいけない。はさみ揚げだけじゃない。二年間もおれを支え続けてくれた人たちの愛情は掛け替えのないものなんだから。

 断ち切ろう、いい加減。忘れよう、もう彼女のことなんて。

「はぁーあ。てかキモすぎだって。女子高生が使ったシーツをそのまま自分で使い続けてるとか……洗お洗お」

 立ち上がり、今まさに自分が寝転がっていたシーツをベッドから取り外す。そもそも捨てればいい話なのに洗って済まそうという発想になるのが中途半端というか……まぁでももったいないしな。また何か使い道あるかもしれないし、一番安いやつ買おうとしながら結局けっこう値段の張る可愛いやつ選んじゃったし……

「ん?」

 何かが、ぽろっと落ちたような音。軽いものを転がり落としたような感触が手に伝わってきた。たぶん、サイドフレームとマットレスの間に挟まっていた何かが、シーツを取り外した弾みで落ちたのだ。

「何だろ」

 ボールペンとか? 小銭なんかだったら嬉しいな。大切な人を失ったおれに対する神様からのお目こぼしみたいな。うん、却って虚しい。

 ごちゃごちゃ考えながら、ベッドの下へ手を伸ばす。すぐに見つける。指先がつかんだのは、半球型のフォルムで、でも所々デコボコとしていて、表面はつるつるな質感。

 目の前へ持ち上げてみると、

「……レタス……? 食品サンプルってやつ? ……じゃない。これ……USBメモリ……?」

 ライターサイズでシリコン製の、半玉レタスのミニチュア――と思いきや、その根元にはぴょこんと出っ張りがついている。USBコネクタだ。これは、レタス型のUSBメモリなんだろう。

「か、かわゆい……!」

 こういうの好きなんだよな……って、そうじゃなくて。

「これ、小貫さんの……?」

 おれはこんなもの持っていない。とすれば、おれ以外でこの部屋に入ったことのある唯一の人間、小貫さんが忘れていったものとしか考えられない。それに、レタスデザインの小物を小貫さんはいくつか持っていたはずだし。

「……………………」

 どうしよう。あんな別れ方をした手前、取りに来てもらうのもな……。住所を聞いて送ってあげる? んー、正直連絡するのすらな……なんかそれがきっかけでまたいろんな気持ちが再燃してしまいそうだ。てか、そもそも彼女にとって大事なものなら向こうから連絡してくるよな。いつからここにあったのかは知らないけれど、少なくとも何日も手元になくても気にならないくらいのものなんだから、わざわざこっちから返してあげなくても……。

「……ま、いいよね、ほっとけば」

 こっちで保管しておこう。うん、保管しておくだけ。もちろん中を見たりなんてしない。それはさすがにない。一線越えてる。てかそもそも見たいとも思わないし。


「……なに……? 何なんだ、これ……」

 二時間後。二時間、それがおれが自分を律することができた時間だったわけだけれど、そんなことは今どうでもいい。

 小貫さんが忘れていったUSBメモリの中――そこには、全く意味のわからないものが詰め込まれていた。

 いや、意味はわかる。入っているものそれ自体が何なのかは、はっきりと。おれがめちゃくちゃ知っているものだから。ただ、それをなぜ小貫さんが所有しているのかが、全然わからない。

 USBメモリの中には、生きゅうり先生のお仕事データが入っていた。

 より具体的に言えば、最近ツイッターにアップされているラクナ絵の――製作途中のデータのことだ。未発表のラクナイラストのラフ案のようなものまでたくさんある。

 そう、未発表なのだ。ここに入っているデータは。生きゅうり先生は完成イラストしか発表していない。これらの絵は、生きゅうり先生本人しか持っていないはずのものだ。

「へー。何だじゃあ生きゅうり先生って小貫さんだったんだ。ふーん」

 そんなわけねーだろバカなのおれは。

「……………………」

 え? でもじゃあ何で? だって、え? あれ? え、でもさ。え? いやでも。ん? え? ん? は? いやマジで? あ? いやいや。いやだって。え? それしかなくね?

「いやいやいやいやいや。いや確かに小貫さんもお絵かき得意とか言ってたけどさ。得意っていうレベルじゃないからね、これは。プロの仕事だからね」

 これらのラクナ絵が、フルーツトマトサンドを食べているものだったり、元祖バスクチーズケーキのお店に並んでいるものだったり、一緒に写っている小物が小貫さんが使ってるシャンプーやコスメだったり――なぜかおれと小貫さんくらいしか知らないような情報に溢れているのは全くの気のせいだろうし。

「さすがにヤバいな……小貫さんへの未練が根深すぎて、どんな些細なことでも無理やり彼女に結び付けようとしちゃってるんだ……」

 そうだ、冷静になれ。冷静に……いやどんなに冷静になっても生きゅうり先生しか持っていないはずのデータが入ったUSBメモリがここにある時点でおかしいんだけれど。

 いやいやいや、でもさ。だってレタスって。生きゅうりなのにレタスって。そうだよ、小貫さんが自分のペンネームにきゅうりなんてつけるわけないじゃん。小貫さん、きゅうりとか別に好きじゃないもん。作ってくれたものにきゅうりなんて入ってたことないもん。冷蔵庫に残ってた野菜も結局レタスだけだったじゃん。どんだけレタス好きなんだよ。レタスて。好きなものがレタスて。

「……ん……?」

 小貫。レタス。小貫紫子。レタス。生きゅうり。

「いやいや、まさかね」

 そう失笑しながらも、おれは指先を噛み切って壁に血文字を走らせていた。紙とペンを探している間が惜しい。この突飛な思い付きが霧散してしまうのが怖い。

 小貫――こぬき――こ抜き。レタス――れたす――れ足す。『ゆかりこ』から『こ』を抜いて『れ』を足して、『ゆかりれ』。ローマ字に変換して『yukarire』。

 並び替える。並び替える。並び替える。組み立てる。組み立てる。設計図通りに。おれが望む設計図通りに。組み立てさせろ。

「きゅ、きゅ作れる。り、あった。きゅーり。きゅうり。やっぱり。残り。あ・れ……ら・え……違う。あ? クソ、何だよ、何でだよ、おかしいだろ、作らせろよ、生だろーが。エヌとエムはどこだよクソ死ね。何だよ、『あ』とか『れ』とか――…………れあ。レア――生。できた、できた。できた。生きゅうり。生きゅうりだ」

 あ、生きゅうりじゃん。小貫さんのペンネーム、生きゅうりじゃん。

「言ってたもんね。ラクナの母だって。そういうことだったんだね。ホントにおれのこと初めからずっと見ててくれたんだ」

 おれは辿り着いてしまった。彼女の秘密に。ラクナをずっと愛してくれてきた人、ラクナだけじゃなく伊吹のことも愛して寄り添いに来てくれた人、この世でただ一人、どちらをも兼ね備えた奇跡のような存在。

 辿り着いてしまったんだ。おれと彼女の、特別な関係の、その真相に。


 人気イラストレーターの正体が実はおれのことを大好きな美少女だと、おれだけが知っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る