Case01.飾の魔女#5

「このっ! クソ! クソが!!」


 飾の魔女は乱暴な言葉を吐きながら、日奈に拳を振るう。

 左右交互に、ただ目の前の敵を屠ろうという意志だけで繰り出される暴力。だが、全くの喧嘩慣れを感じさせない、大振りな攻撃は日奈に当たることはなかった。


「よっ、ほっ……おっと!」


 優れた観察眼は、飾の魔女の腕の軌道を完全に読み切っていた。素人の単調な攻撃であれば、華奢な女子高生であっても問題なくいなすことができる。


 それでも、人の枠を超えた魔女がもたらす破壊は、徐々に玄関の形を歪に変えていく。玄関という狭いリングでは距離を取ることもできず、再び”ひとりあそびリストカット”を構える余裕もなかった。


「どうして! どうして当たらない!」


「当たったらまずいんで……ね!」


「なっ――っぐふ……!」


 日奈は猪突猛進な相手の進路に足をかけ、隙を作り出す。それから右手を構え、指先で飾の魔女の眉間を捉えたのだが、突如視界が遮られる。


(これ、肩にかけてた……!)


 飾の魔女の脱ぎ捨てたストールは宙を舞った後、時間差で日奈の視線を妨げる幕となる。それを腕で払いのけた時には、すでに飾の魔女の姿は玄関から消えていた。

 廊下から続く扉は四つ。そのどこかに敵は逃げた。身を潜めているかも、迎撃態勢を整えているかもしれない。あるいは――


(また、誰かに成り代わってたりしてね……)


 最悪の想像が、嫌な汗を手に滲ませる。

 不意打ちの一撃目を外した時点で、今回の作戦は失敗ともいえる。天城は日奈の目を評価していたが、それは視界に捉えられて初めて成立すること。こうして影を見失えば、日奈も他の異能者と変わらない。


「日奈、正面の扉。飾の魔女は、入って右手のダイニングテーブルで身を隠してる」


「待ってました、さすが怜だね」


 それでも、日奈には怜という相棒がいる。一人じゃできないことも、二人なら、怜とならできると日奈は確信している。そして怜への思いが強まるほど、日奈の放つ弾丸はその威力を増す。

 他者と自分を繋ぐものを弾に変え、思いを撃ち出す。それが日奈の異能、”ひとりあそびリストカット”の力なのだ。


 気配を悟られないよう、日奈は足音を殺して廊下を真っ直ぐに進んでいく。

 突き当たると、一呼吸おいて扉を背に左手でノブを握る。


「じゃあ、3カウントでいくよ」


「おっけー……」


「3……」


 浅く吸った息を、深く吐く。肺の酸素がなくなり体が危険信号を出したところで、勢いよく外気を吸い込む。

 緊張で呼吸が浅くなった時は、こうすれば無理矢理体内に空気を取り込める。


(力技だけど、深呼吸なら任務が終わった後にゆっくりしたいよね)


「2……」


 間取りは分からない。分かっているのは、この先右手にダイニングテーブルがあること。そして、そこに飾の魔女が隠れていること。

 まさか、不意打ちに二度目があるとは。これから行う動きをシミュレーションしながら、日奈はそんなことを思う。


「1……今!」


 そのかけ声と共に、家中の明かりが沈黙する。

 作戦決行前に、怜は錦邸のシステムを掌握していた。防犯設備の無力化はもちろんのこと、カメラの制御、照明のオンオフに至るまで、今や怜の指一つで自由自在だ。


 リビングに設置されていた防犯カメラは、飾の魔女の逃走経路を記録していた。

 どれだけ人の目を欺ける異能でも、機械の目からは逃れられないのだ。


 日奈は、暗闇に支配されたリビングに飛び込む。指先はもう、向くべき方を指し示していた。


「”ひとりあそびリストカット”!」


 断たれたはずの光が、黒の中で花を咲かせる。それはブレることなく、飾の魔女の潜むダイニングテーブルを目標に据える。

 放たれた弾は、ウォールナット材の天板をいとも容易く貫いた。初撃と同じ爪二本分、当たっていれば決着だ。


「やった……?」


「……日奈、それフラグだから」


「あ……」


「二度も不意打ちをするなんて、最近の魔女狩りは姑息になったものね」


 日奈の眼下から声がする。間違いなく飾の魔女のもののはずだ。それなのに、どうしても拭えない違和感があった。

 違和感の正体は、すぐに判明する。


「この体じゃなかったら、今度こそやられてたわね」


 再び姿を見せた飾の魔女は、少年だった。声帯は低さを孕んでいるものの幼くなり、先ほどまでの気品のある女性と同一人物とは考えられない。

 ”あいつらこいつらディスガイズ”の神髄ともいえる、無制限の外見変化。本体を小さくすることで、日奈の攻撃の命中を防いだのだ。


「フラグ、回収しちゃったみたいだね……」


 日奈の呟きに、端末からため息が聞こえる。


「この状況じゃ、あなたに勝つのは難しいみたい。本当は、大事な体を傷つけたあなたを今すぐにでも磔にして! 串刺しにして! 四肢を裂いてやりたい!!」


 飾の魔女の、内に秘めた暴力性が顔を覗かせる。

 魔女は自身を象る欲を害された時、耐え難い怒りに襲われると、日奈は有識者から聞いていた。飾の魔女を形成するのは、尽きぬ美への欲求。己を飾り立て、美しくあろうとする彼女の所有物を傷つけたことで、日奈は飾の魔女の怒りを買ってしまったのだ。


「……はぁ、はぁ……はぁ……でもね、私はこんなところで死ぬわけにはいかないの。だから――」


「……っ! 日奈、避けて!」


 怜のつんざくような声が、日奈の体を瞬発的に動かす。

 その直後、日奈がさっきまで立っていた場所に消火器が振り下ろされる。少年の体であっても、魔女の身体能力は健在だった。


 床に叩きつけられた消火器は、破損した箇所から粉を立ち上らせる。白い煙は徐々に辺りに充満し、向き合う互いを影法師に変えていく。

 攻め手に欠ける。一瞬の迷いが戦況に風をもたらした。


「一旦引かせてもらうわ。でも! あなたは絶対に許さないわ……!」


 室内に反響した呪詛が日奈の耳に届く頃には、影はゆるりと姿を消してしまった。

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