赤い炎と赤い甲冑〜最強の赤い鎧で異世界生活〜

舞黒武太

王都召喚編

プロローグ1

 部屋が蒸気で満たされる。堅牢な石造りの壁に瓶や道具が打ちつけられる。


甲高い音が響き渡り熱い蒸気がシルヴィアの頬に容赦なく吹き付けられる。


実験用のローブを来ていなければ蒸し焼きにされるのではないかと思う。時空を超えて人間を召喚すればそれだけの熱量が放たれるのだ。曇ったメガネを拭うと精密に書き込まれた魔法陣の中に何かが倒れていた。その何かを確認する前に蒸気でメガネが曇る。細かく確認する暇はない。


救国の勇者がおそらく目の前にいる、機嫌を損ねるわけにはいかない。まずは


「ようこそお越しくださいました。勇者様。」跪き深々と頭を下げ言った。


「ええ?」重厚な甲冑に身を包んだ勇者と思わしき男は混乱していた。



・・・・・・半年前・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 シルヴィアは正装のまま糸が切れた人形のように長椅子に倒れ込んだ。生まれて初めて王宮に参内して直々に王に謁見したのだ。気疲れするのも無理はない。


しかもただ謁見しただけではなく大きな仕事を任せられてしまった彼女はそれまで気を張っていた反動から放心状態になっていた。とりあえず正装に変な皺がよってはまずいので重い身体を引きずっていつもの服に着替える。少し楽になった気がした。いつまでも倒れてはいられないので書斎に入り椅子に腰を下ろす。書斎に腰を落ち着ければ具体的な方法を考えざるを得ない。王からの密命について。




彼女の住む帝国はかつて大陸の半分を支配する広大な版図を誇っていた。魔物や精霊、さまざまな種族が入り乱れる大陸において帝国が勢力を拡大した背景には質の高い王宮魔術師たちの存在があった。彼らは通常の魔術から多種族の使う魔術、精霊魔術など様々な魔術を積極的に取り入れ帝国の勢力拡大に貢献した。戦争や開拓に積極的に魔術を導入し、軍事力も生産力も飛躍的に増大した。強大な軍事力と圧倒的な経済力で周辺国や多種族なども飴と鞭の政策によって帝国に組み込んでいき約250年前に帝国は全盛期を迎えた。その後も各地で反乱や独立運動、飢饉などさまざまな出来事があったが優秀な宮廷魔術師や官僚、軍の活躍で事態を沈静化してみせた。そしてその黄金時代はその後も末長く続くことはなかった。




多大なる功績により高い地位に上がった魔術師たちは貴族化し、かつてのようにその技術で帝国の繁栄を支える集団は日々権力闘争に明け暮れ、鍛錬をおろそかにし毎晩宴会に明け暮れ腐敗していった。


敵対勢力や街を襲う魔獣を焼き払った魔術は単なる派手な見せ物に、傷ついたものを癒した治療魔術は日頃の堕落した生活で体を壊さないために使われ、荒れた大地を潤した魔術は邸宅に美しい庭をつくるための道具の一つとなった。当然そのような体たらくで大帝国を維持できるわけもなく、相次ぐ反乱で構成国が離反し、各地で多種族が人間を襲った。三年前には飢饉が起こり首都でも数万人が餓死したと言われている。もはや帝国の終焉が間近なのは学のない農民たちにも知れ渡っており、たとえ反乱の鎮圧のため動員をかけてもほとんどの民がそれを無視した。




さらに、帝国には彼らを罰する余力もない。そんな有様である帝国の皇帝がこの状況を打破するべくまだ18歳になったばかりの彼女に命じたのは耳を疑うようなものであった。




「勇者を召喚せよ。」




 「勇者を召喚か。」彼女はその言葉を何度も反芻した。小さい頃からこの国はもうダメだと周りの大人たちが漏らしていたのを聞いていた彼女にとって今回の命令は自分の住む国の現状を如実に表すものだと理解できた。


もはや我が国も皇帝も、反乱や魔物を倒す武力も優秀な人材を集めるカリスマ性も既に持ち合わせておらず、まだ見ぬ「勇者」という可能性に国家の命運を賭けるしかなかったのだ。彼女としても帝国のために勇者を必ず召喚する必要がある。また、彼女は家のためにも王の期待に応えなくてはならなかった。シルヴィアの家は代々召喚魔術を得意とする家系であった。しかし、彼女の祖父は貴族社会の中では立場が低く、父親も彼女の弟が生まれてすぐに病で帰らぬ人となった。


後継の男児が赤ん坊であり父もいないとなると家を継げるものが彼女以外おらず、特例措置で彼女が家長になった。しかし、本来女性が家長になることは一般的ではなく、弟が大きくなるまで家長を務めるという条件で今の立場についている。そのため他の家からも白い目で見られることは日常茶飯事である。しかし、父が死んで弟が小さくて跡継ぎがいないのは自分の責任ではないため当のシルヴィアは気にしていないのだが、本人が気にするのと周りからの評価は別である。


何か成果を残さないとなるとただでも陰謀渦巻く貴族社会において失脚は避けられない。自分の代で家を潰すことはできない。少なくとも弟が大きくなるまであと数年持ち堪える必要があるのだ。それまで失点するわけにはいかない。家を守るためなんとしても王の期待に応える必要がある。さらに、失脚するとなれば今までの何不自由ない暮らしを失うことになる。下級とはいえ貴族出身の彼女はなんとしても今の立場に縋りつきたいのだ。




うじうじ考え込んでいても状況は変わらない。持てる技術を総動員して勇者を召喚する。それこそが国と家、今の生活を守る唯一の道なのだ。


しかし、彼女自身何から始めればいいのかわからなかった。代々召喚魔術を扱う一族の生まれではあるが、今までまともに召喚魔術を使ったことがない。


小さい頃は祖父の部屋に入り浸って祖父の魔術を見てきた。祖父は今時の貴族にしては珍しく、ストイックな人物であり、長年の平和を享受して衰退しきった魔術を再興すべく日々鍛錬を欠かさなかった。シルヴィアは祖父が好きで彼の魔術を真似してみたり、研究を手伝ったりしていた。


また、祖父は幼かった私にもできるように簡単な召喚術の手解きをしてくれた。才能があると言えなかった私でもか弱い使い魔を召喚できる程度には上達した。しかし、そんな祖父も彼女が10歳の頃に亡くなってしまった。それに対して父は魔術に全くと言っていいほど関心を示さなかった。一応子供の頃に教えたと祖父が言っていたことから、魔術を使うこともできるのだろうが、少なくとも父が彼女の前で魔術を使うことはなかった。


父が力を入れていたのは一族の地位向上であった。代々伝わる魔術には目もくれず上級貴族の晩餐会に出席して、狩猟や詩などを通じで上級貴族のコミュニティとのコネを作ろうとしていた。実際父の苦労が身を結び、勇者の召喚という重要任務に下級貴族であるシルヴィアが選ばれることになった。そんな父も分不相応な環境に身を置きすぎて疲れていたのか、晩餐会での暴飲暴食が祟ったのか五年前に亡くなった。


しかし、彼女は父とあまり関わりがなく、祖父が死んだ時には一日中泣いていた彼女も、父の死の際にはなぜか涙が出なかった。母は父の路線を引き継ぎ、弟には魔術ではなく政治力を鍛えさせたいようでとことん父とはそりが合わなかった。


とはいえ、このチャンスは全く正反対の父と祖父の力があってこそ掴んだものなのだ。絶対にものししてみせる。彼女はそう意気込んで床に就いた。今日は疲れたから寝るのだ。




 目が覚めるといつものルーティーンを一通りこなす。


祖父が使っていた研究用のローブに袖を通す。これを着るとなんだか祖父が手を貸してくれるような気がするのだ。もちろんそんなことあり得ないしただの気休めだ。これを着ることで気持ちを切り替える。それだけで十分意味のある気休めだ。


とは言え勇者の召喚など祖父ですらやったことがない偉業だ。小さな使い魔しか召喚できない私にとっては不可能と言っても過言ではない。しかし初めてであることを言い訳に使うわけにはいかない。顔も知らない偉大な先祖たちは初めてを乗り越えて高名な召喚術師になったのだ。書斎の中の厚い扉を開けると地下へ続く石造の階段が姿をあらわす。


下の方は暗くて見えない。幼い頃ここに入るのが怖かった。祖父の後ろに隠れながら闇の中へと降りていったのを思い出す。いつからかこの階段を下ることに対して何も感じなくなったが、それは単に私が大人になったからなのか、前を歩いてくれる人を失ったからなのか、家長としての責任感なのか。それはわからない。振り返って書斎のデスクの上で燃える蝋燭に手をかざす。




「起きて、ウィズバン。」




そう言うとたちまち蝋燭の火が大きくなり蝋燭から分離した。火は浮遊しながら私の顔の前まで来る。




「久しぶりだな。」


 浮遊する火がしゃべった。




「しょうがないでしょ。昨日は王宮にいっていたの。精霊の持ち込みは禁止だから」




「心が狭いな、お前たちの王サマは!」そう言いながら火はケラケラと笑った。




このしゃべる火の名前はウィズバン。火の精霊だ。


まだ幼い頃に祖父が私のために召喚してくれた。ウィズバンは下級精霊だが、祖父が愛する孫の身を守るために召喚し契約させたのだ。国家の衰退と共に治安が悪化する帝国において貴族は自らの身を守る必要があった。財力のある者は腕の立つボディーガードを雇うことができたが、わたしたちのような下級貴族は自らを鍛えるか魔物を飼い慣らすか、私のように精霊と契約する必要があった。


さらに、人間に味方してくれる上に知性もあり力を持った魔物や精霊の大半は既に上級貴族のものになっているため、私たちのような下級貴族は立場相応の戦力しか持つことができないのだ。それでもウィズバンは火種があれば簡単に召喚できるし、明かりにもなるし冬は暖かい。話し相手にもなるしいざという時でも派手に火を吹けば大抵の強盗や魔物は驚いて逃げ出す。下級精霊の中では当たりの部類だと本人も普段からアピールしている。なにより幼い頃から祖父の研究を手伝っており友達が少ない私にとって唯一の話し相手だ。そんな大親友の一日ぶりの仕事は…




「今日もランプ代わりかよ。」


ウィズバンは不満そうに言う。




確かに精霊をただの明かりとして使うのは褒められたことではない。しかし、地下へつ通ずる大柄な男を基準に作られた階段が急なので片手にランタンなど持っていようものなら支えが足りず足を滑らせて落下しランタンごと地面に叩きつけられ漏れた油に引火して火だるまになるのだ。


なぜ知っているかというと、昔同じ目にあったからだ。あの時は祖父のおかげで上着と髪が少し燃えるだけで済んだのだが今は一人なので誰も助けてくれない。一人寂しく地下書庫で焼け死なないためにもランタンの代わりにウィズバンは明かりとして浮遊してもらうのである。


階段を下まで降りて見渡す。火の精霊に照らされた書庫には所狭しと本棚で埋め尽くされている。まずは調べる必要がある。一つは召喚の方法だ。下級精霊くらいしか召喚できない私にできるかどうかもわからない。上級貴族ですらも召喚魔術を使える者はほとんど残っていない。方法に関しては膨大な蔵書から見つけるしかない。


二つ目は何を召喚するかだ。救国の勇者を召喚するとなれば下級精霊とは訳が違う。上級精霊や魔物を凌駕する力を持ち、衰退した帝国を再び高みに押し上げるカリスマ性。それらを兼ね備えた者を召喚するなど至難の業である。


さらに条件に合った者を召喚したとして自分達に味方してくれるかもわからない。良い人物や精霊を見つけたとしてもそれをピンポイントで召喚できるのか、そもそも誰を召喚するべきなのか。そこから考える必要がある。とりあえずあまり埃をかぶっていない本を中心に手がかりを探す。埃をあまりかぶっていない本は祖父が開いた比較的新しいものだろう。古いものは古語だったり最近では聞きなれない表現が多く意味を理解しにくいそのへんの貴族や魔術師たちより魔術をわかっているという自負はあるが、難しすぎるのはわからない。


まずは簡単なものから手がかりを探そう。手がかりがありそうに見える本を数冊机に積み上げ一番上の本を手に取り開く。




「年内には手がかりをつかめるといいな。」


と弱々しくつぶやいた。

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