移し鏡のアンネローゼ ~「すべてにおいて平均以下だから」と婚約破棄された子爵令嬢はそのすべてを取り戻し、怪物と噂の公爵様に溺愛されて幸せに暮らします~

緋色の雨@悪逆皇女12月28日発売

プロローグ 自虐王子と婚約破棄

「アンネローゼ、おまえとの婚約破棄をここに宣言する!」


 月明かりに照らされた壮麗な王城。

 その一角にある煌びやかなパーティー会場に男の声が響き渡った。

 今宵開催されるのは、年に一度開催される建国記念パーティー。魔導具の灯りで煌めくシャンデリアの下、一堂に会するのは王侯貴族を始めとしたこの国の有力者ばかりだ。

 そのようにおめでたい席に響いた場違いな声に、娯楽に飢えた者達の関心が向けられる。


 声を上げたのは第二王子のラインハルトだった。

 サラサラの髪は金糸のように煌めいている。この世の者とは思えぬ美貌。サファイアのように美しく、深く吸い込まれそうな瞳の持ち主だ。

 更には、なにをしてもあっという間に一流の域に達する、類い希なる才能を持つ天才。神は彼に二物を与えた――と、人々に噂される人物である。

 もっとも、彼に二物を与えたのは神ではなく、移し鏡の異能を持つアンネローゼなのだが。


 それはともかく、彼に指を突き付けられている令嬢こそ、そのアンネローゼである。

 彼女は突然の婚約破棄に困惑していた。


「ええっと……理由をうかがっても?」

「理由? そんなものは決まっている! 醜いばかりかろくな才能もないおまえは、この国で一番美しく、数多の才能に恵まれた俺の伴侶に相応しくないからだ!」


 王子の宣言に、事情を知らない者達から失笑が零れた。

 たしかに、いまのアンネローゼは美しいとは言い難い。

 身に纏うのは、蒼く染めたシルクによるAラインのドレス。この国で最高のデザイナーが手掛けたドレスは、間違いなく彼女の容姿を最大限に引き立てている。

 だがいかんせん、彼女の容姿はラインハルトが口にしたように並み以下だ。化粧によって可愛く見せているが、それでも隠しきれない醜さがにじみ出ている。

 二人の釣り合いが取れていない、というのならその通りだろう。


「……理由は分かりましたが、わたくしと王子の婚約は、王命によって成された契約によるものです。それをラインハルト様が勝手に破棄しても問題ないのですか?」

「ふっ、それならば心配ない。父上には許可をいただいているからな!」

「陛下の許可が……?」


 陛下はアンネローゼの一族が持つ、移し鏡の異能のことを知っている。なのに、なぜそのような許可を出したのか――と考えた彼女は、すぐにその答えにたどり着いた。


(……そう。陛下に見限られたのね)


 陛下が選択なさったのなら、もはや自分に言うことはない――と、アンネローゼは覚悟を決めた。そして、万が一を願って用意していた書類を侍女に用意させる。


「ラインハルト様、この書類にいますぐサインを」

「これは……婚約破棄の証明書だと!? しかも、同意する欄に、既にアンネローゼの名前が書かれているではないか! なぜこんなものを持ち歩いている!?」


 ラインハルトの声に周囲からざわめきが上がった。


「その……決して期待していた訳ではないんですが、なにか奇跡が起きたら、と」

「――アンネローゼお嬢様は他にも、婚約解消の同意書などをお持ちです」

「いやだ、シャロ。それは内緒だと言ったでしょう?」


 侍女の発言に、アンネローゼは恥ずかしそうに身をよじる。

 一体なにを見せられているんだと、事情を知らぬ野次馬達は王子と共に困惑し、事情を知るごく一部の者は彼女の心情を慮って同情の眼差しを向けた。


「それで、ラインハルト様、婚約破棄の証明書に署名していただけますか?」

「……まあ、手間が省けるのは事実だな。……む? この、婚約破棄にて生じる問題について、互いに一切関与しない、というのはなんだ?」

「言葉通りです。たとえば、婚約破棄でイシュタリカ子爵家の名誉が損なわれても、ラインハルト様にはもちろん、ラングレー王家にも責任は問わない、ということです」


 そしてもちろん、その逆もしかりですが――と、アンネローゼは心の中で呟いた。


「ふむ。それはいい。ではここにサインをすればよいのだな」

「あ、互いに所持するため、同じ内容の書類を二組用意してあります」

「ちっ、面倒な」


 悪態を吐きながら、ラインハルトは二組の婚約破棄の証明書にサインをした。そのうちの一枚を受け取ったアンネローゼは、その書類をぎゅっと抱きしめた。


「ラインハルト様、婚約を破棄してくださってありがとうございます」

「なぜ感謝されるのか意味が分からぬが……まあいい。とにかく、これでおまえとの婚約は破棄されたと思うと清々する。これで俺は自由だ!」


 ラインハルトは晴れやかな顔になり、クルリと身を翻した。


「――ヴィオレッタ。待たせてすまない!」


 ラインハルトは少し離れた場所に控えていた令嬢に声を掛けた。その令嬢が王子の元に駈け寄ってきて、そのまま腕の中にしなだれかかる。

 色っぽい彼女はヴィオレッタ男爵令嬢。とても面食いで、男を手玉に取るのが上手だというもっぱらの噂である。

 ラインハルトが婚約破棄を急いだのは、彼女の気を惹くためだったのだろうと、この場にいた大半の者が気付く。そして、その中にはアンネローゼも含まれていた。彼女はすべてを悟り、ラインハルトに哀れみの視線を向ける。


「……王子、これから大変だと思いますが、どうかくじけないでくださいね」

「なぜおまえが俺に同情する!?」

「それは……」

「ラインハルト様ぁ~」


 今後を考えれば当然というアンネローゼのセリフは、ヴィオレッタの甘ったるい声によって遮られてしまう。


「昔の女のことなんて放っておいて、私達のこれからについて、二人っきりで語り合いませんこと? ゆっくりと、静かな場所で」

「む? たしかに、その方が有意義であるな」


 腕に胸を押し付けられたラインハルトがだらしない顔をする。そうして彼女に誘われるがままに、休憩室がある会場の外の方へと歩いて行った。


 アンネローゼにとっては激動の一日。今後は色々と問題が生じることも予想できるが、とにかくいまは開放感で一杯だった。アンネローゼはうぅんと伸びをする。

 そこに、お付きの侍女であるシャロがシャンパングラスを差し出しだした。


「アンネローゼ様、異能の効果が消えるまでどれくらいですか?」

「……そうね、もうすぐだと思うわ」


 使い方次第では祝福にも呪いにもなる。そんな特殊な異能であるがゆえに一般的に伏せられているが、イシュタリカ子爵家で産まれた娘は、ある異能を持って生まれる。

 その異能こそが‘移し鏡’である。


 契約者同士、心の清らかさを相手の容姿に移し、向上心の高さを相手の才能に移す。それもただ移すだけでなく、およそ二割の補正を掛けて移すと言われている。

 発動対象は、婚約、または結婚という形で結ばれている相手。それゆえ、さきほどまでは二人のあいだで異能が発動していた。

 だが、婚約が破棄されたことで、その異能は解除されてしまっている。


「……騒ぎになるまえに退席しましょうか」


 異能の解除による変化が始まり、火照った顔を冷やすためにシャンパンを飲み干した。アンネローゼは空になったシャンパングラスを、ウェイターの持つトレイに乗せる。


「――え?」


 王城で働く一流のウェイターが、ただアンネローゼの顔を見ただけで息を呑んだ。まるで言葉を忘れてしまったかのように、アンネローゼの容姿に視線を奪われている。

 刹那――


「きゃあああああっ! あ、あああ貴方、誰よ!」


 ヴィオレッタ達が去っていった廊下のほうから悲鳴が聞こえてきた。


「な、なにを言っているんだ? ヴィオレッタ、俺だ、ラインハルトだ」

「馬鹿言わないでっ! ラインハルト様がそんな不細工なはずないでしょ!」

「ぶ、不細工? 俺が不細工だと!?」

「キモいキモいキモい! いやぁ、近寄らないでこのブタっ!」


 パシーンと、乾いた音が廊下から響いてくる。とても建国記念パーティーの最中とは思えないやりとりに会場が騒然となるなか、アンネローゼはこてりと首を傾けた。


「……ラインハルト様、一体どんな容姿だったのかしら? わたくしと婚約するまえ、幼少期の彼も、そんなに悪い顔ではなかったと思うのだけど……」

「いくら食べても太らないと言って、かなり不摂生をなさっていたようですからね」

「……あぁ。ブタって、そういう……」


 色々と察したアンネローゼはわずかに視線を彷徨わせた。彼の件で騒ぎになるのは予想していたことだが、ここまでの大騒ぎになるのは予想外だった。


「シャロ、いまのうちにお暇いたしましょう」

「かしこまりました、アンネローゼ様」


 大半の者が騒ぎへ注目するのをこれ幸いと、アンネローゼはそそくさ会場を後にした。

 

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