第42話 傾く夜辺




「ありがとうございました!」


 酒場の押戸を開け広げ、夜の町へ戻る。町の中心は賑わしく、きらびやかな酒場の軒並みが一際目を引く。


 町を歩くゼルは少し肌寒い風を受けながら、満足気だった。最近の少年の楽しみは酒場に行って蜂蜜酒を呑むことだった。大人な雰囲気に憧れるお子様感覚が抜けないゼルはエールは苦くて呑めない。まだまだ子供である。


 町を歩く足取りはしっかりしたものだ。地に足が付いている。たまに、給仕に成人かと尋ねられるが、その辺の大人より酒に強い。まだ、酔った感覚を味わったことがなかった。


 旅人が多く行き交う大通りを抜け、路地へ逸れる。そこは大通りほど煌びやかではないが、疎らにお店の光が漏れていた。ゼルは奥へと進んでいくが、突然立ち止まり、後ろを振り向いた。誰もいない闇に話し掛ける。


「誰ですか?さっきの酒場からついてきてますよね?」


 闇からの返事はない。しかし、ゼルはその鋭敏な五感から確実に誰かが跡をつけていることに気付いていた。こちらの歩調に合わせた足音、それに呼応する微かな呼吸音。一つ一つは些細なことでしかない。しかし、点で捉えるのではなく、線で結び付けることによって浮かび上がってくる事実もある。経験の浅いゼルに、何故このようなことが出来るのだろうか、スキルの所為だけと片付けられるのか?しかし、今はそうとしか言いようがない。


「返事がないなら、僕は行きますね………」


 ゼルが足に力を入れようとした瞬間、闇から返事が返ってきた。


「待ってッ!行かないで!」


 闇からスッと人の輪郭が現れる。輪郭は次第に光を帯びて、ハッキリと人の形を作った。少年よりも少し背が高く、歳はセリアと似たような若い見た目の女だ。ひどく妖しい妖艶な雰囲気を纏っている。敵意、害意に疎いゼルはその女を奇しいとは思ったが、特に警戒はしなかった。


「跡をつけたことはごめんなさい。でも、あなたとお話がしたかったの。酒場で見かけた時から気になって………」


 少女のような可憐で、恥じらう振る舞いの女に少年はひどく違和感を覚えた。声のトーンも顔の表情も、それに伴う身体の動きもちぐはぐなのである。まるで心からの行動ではなく、頭で制御し切った行動に思えた。まあ、話するぐらいどうってことないかな、ゼルは女に近づいた。


「良い子ね、話のわかる子は嫌いじゃないわよ。お話だけじゃなくて、お姉さんと良いこともしましょうか?」


「良いこと?カードゲームでもするんですか?それなら一杯持ってますよッ!」


 勝手に一人で盛り上がっている少年が思い浮かべたのはDungeon and Seekersダンジョンアンドシーカーズと言うトレーディングカードゲームだった。現実のダンジョンの魔物と実在する有名探求者をモチーフにした子供向けのカードゲームで非常に人気が高い。一部にコアなファンもおり、大人も楽しめるものになっている。これもダンジョン産業の一つだ。


「僕の一番のお気に入りはですね、史上初の黄金ダンジョンを踏破した伝説の探索者、エドワード・グライーです。カードの絵は想像らしいんですけど、実在した人物です。見て下さいッ!めちゃくちゃカッコいいんですよッ!」


 いつも大事に懐に入れているお気に入りのカードを取り出した。興奮して憧れのダンジョン探索者の説明するゼルを女は冷めた目で見ている。こういう一途さは少年の美徳だが、大人になりきれない証拠でもあった。


「へ、へぇー、凄いわね………これだからガキは嫌いよ………」


 熱弁を振るっているゼルはその女の冷たい発言に気が付かなかった。女は一つ大きなため息をつくと、わざとらしく足元をふらつかせた。


「あら、急に目眩が………」


 額に手を当て、上体が揺らいだ女はそのまま少年へ倒れ込んだ。どうしたんだろう、呑み過ぎたのかな、少年の意識はカードから目の前の女に移っていた。


「大丈夫ですか?」


 ―――チクッ………


 少年は声を掛けたと同時にそんな違和感を感じた。


「フフフ………君に恨みはないんだけど、これも仕事だからね。恨むなら依頼者を恨むか、恨まれるようなことをした自分自身を恨みなさい」


 女は不敵に笑っている。先程のちぐはぐな仕草は今は鳴りを潜め、極めて自然体だ。今の状態が素に近いというわけだ。


「お姉さん………駄目ですよ、人のこと爪で突き刺したら。僕じゃなかったら血が出てます」


「はぁ!?」


 女は間抜けな声を上げた。そんな反応が少年から返ってくると思っていなかったのだろう、反応することさえ出来ないと思っていたとさえ言える。それが、予期せぬ反応に驚愕で目を見開いている。


「えっ!?何で!?確かに刺したはず………刺さってない、ウソ………」


 女は自身の指先を見た。鋭利に尖った爪は人の肌さえ貫きそうだが、中指の爪だけ、鋭利な先端が歪んで曲がっていた。女の驚愕は続いた。


「な、何で、私の『毒針』が効かないのよっ!!!人肌に負けるってことあるぅ!?」


「何ですか?『毒針』って………もしかしてスキルですか?お姉さんって………悪い人ですか?」


 少年の突然の変化に女の顔色が変わる。剣呑さが辺りを包み込んだ。それは圧倒的強者の圧。ゼルは今までダンジョン内外での魔物相手にしか力を使ってこなかった。それ以外に使う必要がなく、かつ、人に対してに攻撃的なスキルを行使することは禁じられているからだ。その理由は勿論、危ないからである。


 もし、今目の前にいる人が他人に害を為す人であるなら、聖騎士団団長であるセリアに知らせなければならないと使命感を感じた。犯罪者を取り締まるのも聖騎士団の仕事だ。


「ヤバい、ヤバい、ヤバいッ!こんなの聞いてないわよッ!ただのガキだって聞いたから簡単で割の良い仕事だと思ったのにッ!」


 今まで感じたことのないプレッシャーに臆した女は即座にその場から離脱を図ったが、逃げようと跳躍した先にはすでにゼルがいた。少年の力は女の理解を大きく超えていた。ゼルは女の首根っこを掴まえた。


「逃げるってことは認めるってことですよね?でもなぁ、僕じゃ判断できないし、こんな時にセリアさんが居てくれたらな………」


 肝心な時にいないんだからな、とつい思ってしまったが、本人には決して言えない。この状況でセリアが居ないことは彼女が悪いわけではないが、咄嗟にそう思うと言うことはそれだけ頼りにしているとも言える。決して本人には直接言えないが………


「ゼルッ!」


 噂をすれば本人の登場である。普段見慣れない平服を身に纏ったセリアは新鮮だった。しかし、その表情は憔悴し切っている。何をそんなに慌てているのだろうか、今日は司祭長とご飯だったはず、全てが普段と違うセリアを訝しみながら、応答した。


「セリアさん、よくここが判りましたね」


「あぁ、君が行く酒場は予め訊いていただろう?店主に訊いて周囲を探したらすぐに見つかったよ。それよりも、君に話さなければならないことが………その女性は誰だ?」


 余程急いでいたのであろう、セリアは少し間があって、ゼルが首根っこを掴んでいる女に気付いた。誰と訊かれても判らない、多分、悪い人、ゼルの認識はそこで止まっている。因みに、女は逃げようと爪でゼルに何度も攻撃していたが、全く動じない少年に観念して、身体の力を抜いて頭を垂れている。


「多分、悪い人です。攻撃されました」


「なにッ!それは本当か?」


「はい、爪で刺されました。『毒針』とか言っていたので、多分スキルを使ったんだと思います。痛くも何ともなかったですけど………」


 更に慌てた様子でセリアはゼルの身体を検めた。どこにも怪我ないことを確認したセリアはホッと胸を撫で下ろし、瞬時に鋭い目つきに変わる。セリアは女に近づき、顎を指で掴んで強引に顔を上げさせた。


「此奴は………」


「セリアさん、知っているんですか?」


 その刹那、女の両腕が鋭い爪と共にセリアに迫った。女は不意を突けたと思い、不敵な笑みを浮かべていたが、パシッ!パシッ!、と音と共にゼルとセリアはお互いに空いていた手で女の両手首を掴んだ。正に阿吽の呼吸。お互いに何の合図も示し合わせていなかったが、少年は本能的に女騎士がそう行動するであろう予感があった。


「な、何者なのよッ!アナタ達ッ!?」


「此奴は数多の男を闇に屠ってきたとされる暗殺者、通称『女王蜂キラークイーン』だ。本名も出生も何も詳しい情報は判っていなかったが、手配書の顔は見たことがある。聖騎士団でしっかり身元を洗ってみないことには判らないが、恐らくそうだ」


「やっぱり、悪い人だったんですね。お姉さん」


 女王蜂キラークイーンと呼ばれる女は両腕に力を込めても全く振り解ける気がしなかった。それに加えて、暗殺者を目の前にして命の危険に晒されたにも拘わらず、淡々と会話する二人に恐怖すら覚えて、完全に逃げるのを諦めた。


 セリアは団長権限で女を拘束し、聖騎士団の詰所まで女を連行した。その際、お手柄だな、と言ったセリアの言葉に反して、その表情は喜色には程遠く、ひどく曇っていた。女を聖騎士団の詰所に引き渡してから、話したいことがあるってことだけど、何だろうな、ゼルは漠然とセリアの背中を見つめた。目の前に広がるペーシ町の繁華街は次第に幻夢の宴が幕を引き、暗い夜だけが広がった。


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