第29話 任務




 街の中央を大きく縦断するその川をロベルック河と呼ぶ。このロベルックは街を代表する河にも同じ名前が付いている。街のシンボル、象徴というわけだ。中でも商業区は河を中心に栄え、人々の暮らしを豊かにしている。


 ダンジョン産業が盛んなこの世界は常にダンジョンの有無で街が形造られる。白金ダンジョンが一つでもあれば、その街は長らく安泰だ。それ程人々とダンジョンは密接な関わりを持っている。


 その中ではロベルックは異質だ。どこにでもある黒鉄と黄銅ダンジョンしか有していないが、白金ダンジョンを有している街並みに栄えている。これは一重に大河のおかげだ。ダンジョンが人々の豊かな生活欠かせないものであるように、当然、水も基本的な生活をする上で欠かせない。


 普段の生活の水事は勿論のこと、鉄を冷やす為にも、研磨の摩擦を抑える為にも、薬の調合の糧にも利用される。特に河は路として街の発展の大きな支えとなっている。人、物の流通は勿論、河と共に住む人々の心も洗い流している。その為か、街の至る所の建物には色彩豊かなペイントが施され、訪れる者の心も弾ませる。


 ナントの街しか見たことのなかった少年も心躍った。流れる河の清涼に街全体が爽やかな雰囲気を醸し出し、色とりどりの建物を見ているだけで一日が終わってしまいそうだ。ソフィもいつか連れて来たいと思うゼルは少しは観光できるかな、と考えていたが、今は街から離れた草原にいる。当然、女騎士もいる。草原をゆっくり歩く馬上にはセリアがおり、ゼルはその馬を引いている。


「バルムスタ団長。この先を抜けると目的の場所だ。目撃情報に依るとそこに魔物が出現したそうだ。今から警戒を怠るなよ」


 女騎士とは別の馬上から聞こえた声は爽やかさと少しの重厚感を感じる声質だった。ブラウンヘアーを後ろへ撫でつけた総髪の男性は前方を指さしていた手を下ろした。


「あぁ、承知している。メルギヌス団長。この辺りの地理には疎く、貴方がたを頼りはするが、やるべきことはきちんとやるつもりだ」


 女騎士の視線の先は馬上のクワイガン・メルギヌス団長とその脇を歩く少年へも向けられた。メルギヌス団長がフルプレートアーマーを着用しているのに対して少年は皮の鎧だけの軽装だ。ゼル同様に馬を引いている。


「その辺は任せてくれ。私の従卒は優秀だよ。まだ若いが将来性がある」


 メルギヌス団長の従卒、オットーとはダンジョン教会の別棟、聖騎士団の団長室で対面していた。リコとその祖父を村まで送ってから数日、ゼルとセリアは無事に次の街のロベルックに辿り着いて間もなしに、ダンジョン教会の聖騎士団を訪ねていた。事前に任務のことについては聞いていたし、同じ聖騎士団所属で団長同士なのだから挨拶に行くのは判るが、そのまま任務に出るとは思わなかった。それ程危機的状況ということだろうか。


「君の従卒も若いね。オットーより若いんじゃないか?」


「あぁ、そうだな、ゼルも若い。勿論、将来性もある」


 質問に対して答えが若干ズレている気がする。あまり動揺すると折角の作戦が台無しだ。ナントからロベルックまでの道中の話し合いでゼルは女騎士の身の回りの世話をする従卒ということになっていた。従卒とは騎士見習いとも言い、正騎士の元で騎士とは何たるかを学び、立派に騎士に叙任されることを目指す者を指す。


 当然、少年は騎士になりたいわけではない。所謂カモフラージュだ。ギメス会の目を誤魔化す為でもあり、王都までの道中の少年の扱いの言い訳になる。聖騎士団団長ともなるとしがらみが多い故だ。


 気軽に王都へ行き、ダンジョン探索するぞ、とは問屋が卸さない。それなりの理由が必要になる。正直にゼルの現状を話すのは論外だ。リスクがデカすぎる。メルギヌス団長有するロベルック支部が穏健派であるバトゥース会だとしてもだ。秘密の共有は少なければ少ないほど良い。どこから秘密が漏れ出すか判らない。敵を騙すにはまず味方から、ギメス会は明確な敵ではないが、少年はとっては最も危険な存在だ。


 なら、それなりの理由とは何だ?女騎士と枢機卿が考えたのは至って単純、他支部への視察兼、助力だ。団長としてナント支部の強化の為、知見を拡げるということだ。多少強引だとしても、セリア・バルムスタはまだ若い。熟達の他団長に比べて経験が足りないという理由付はまかり通る。実際に劣っているかは別にして、経験値で劣っているのは事実だ。他支部も年下の団長が甲斐甲斐しく教えを請う様は悪い気はしない。上手く誤魔化せるとバルムスタ枢機卿は自信を持っていた。


 この旅を団長の公務にしてしまえば、少年の扱いも簡単になる。団長付従卒にすれば誰もゼルのお供を怪しんだりしない。団長の隣にただの探索者の少年が付き添えば疑う者は出てくるだろう。それはマリエナの時に二人は痛いほど痛感した。ナントではこの誤魔化しは通用しないが、一度離れてしまえば、同じ聖騎士団と言えど、他支部の組織図まで把握している者は少ない。いくらでも誤魔化しが効く。それに、全てが嘘と言うわけではない。


「最近はロベルック周辺でも魔物の目撃情報が絶えないんだ。各地で頻発している魔物の活性化の影響なのだろうか………」


 憂いを帯びた相貌のメルギヌス団長は真っ直ぐと行く先を見つめている。魔物の活性化。実際に活性化とは何かと訊かれれば判らない。しかし、今まで魔物の目撃がなかった地域から相次いで目撃情報が挙がっている。この異常事態に何かしらの原因があると考えるのが普通だ。各地の聖騎士団は今、この問題の解決に奔走している。セリア・バルムスタ団長の今回の任務はそれの助力と情報収集も兼ねている。


「ロベルックに来る道中でも魔物に襲われていた周辺の村人がいた。間一髪で助けることができたが、彼らの話では今まで魔物など見たことがなかったそうだが、北の村でも同様の情報が挙がっていたらしい」


 セリアの普段見せない団長としての顔を珍しがりながら、その会話で少年はリコとその祖父の顔を思い出した。一緒に野営したあの夜、ゼルはリコと他愛のない話をしていたが、女騎士は情報収集に余念がなかった。話によれば長くあの地域に住んでいる老人でさえ、今まで村周辺で魔物は見たことがなかった。それ故、他からの目撃情報が挙がっても、自分の村は大丈夫と過信し、いつも通りに村の外に出た。その結果はゼルもセリアも良く知るところだ。老人は酷く後悔していた。自分の所為で孫娘が死んでいたらと考えると………老人は何度も何度も女騎士に頭を下げていた。


「この先が目撃情報のあった森だ。ここからは斥候として従卒の彼らを先行させたい。彼らに経験を積ませたい意味もあるが、バルムスタ団長と内緒の話もある」


 内緒の話があると言ってしまうのは何か意図があるのだろうか、少年は内緒話することも内緒にすればいいのに、と感じたが、いちいち口には出さなかった。バルムスタ団長もそれに同意しているし、気にすることじゃない。


 ゼルは馬を引く手綱を離し、メルギヌス団長付従卒のオットーと共に森へと足を踏み入れた。森の中は太陽の木漏れ陽が弱く差すだけで、昼間だと言うのに薄暗かった。


 

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