第20話 黄銅ダンジョン①





 ダンジョンの地下とは不思議なものだ。階層によって地形は変わり、広さも階層毎に変わる。狭い洞窟もあれば、沼地のようなジメジメした気候の階層もある。


 密閉された空間であるはずの地下に心地の良いそよ風が吹いていた。草原は風に靡き、背の低い長細い草は一定のリズムで揺れている。見晴らしは良い、遠くの方までよく見える。青空を模した天井の下にはどこまでも広がる草原に似つかわしくない黒い点が点在している。


「あれが黄銅ダンジョン名物のブラックシープの群れだ。金に困った探索者がよく周回している」


 小高い丘の上に立っている女騎士は遠くを眺めながら黒い点を視線で追っている。脇に立つ少年もセリアに倣って、遠くを見る。


「実物は初めて見ました。受付脇の売店で人形は何回も見ましたけど。それにしても、羊なのに二足歩行で歩いているんですね」


「不思議だが、魔物だから、としか言いようがない」


 ナントの黄銅ダンジョンの十一階層から二十階層までこのブラックシープと言う魔物しか出現しない。階層を進むに連れて群れの数が増える。非常に好戦的な魔物なので、二十階層に近くなると戦闘を避けて下層へ降りるのは困難になる。


「とりあえず、近づくか」


 女騎士は黒い点に向かって走り出した。少年もその後を追う。黒い点は見る間に形を変え、五体のブラックシープを映し出した。二足歩行で仲良く並んで歩く様は微笑ましい家族の集まりのようだ。しかし、ブラックシープがセリアとゼルの接近に気づき、瞳を炯々けいけいとし出した。


「ブラックシープは基本的に数が多いから私も戦おう。ないとは思うが見た目に騙されて油断するんじゃないぞ。あんな見た目だが結構強い魔物だからな」


 大きく頷く少年はブラックシープの群れの間合いに入った。近くで見れば羊毛は完全な黒色ではなく、灰色がかっている。渦巻きの角は二つ対の形で頭部から生えており、一般的な羊と何ら変わりない。短い後足のみで立つその姿だけが異様だった。


 ゼルを敵と認識したブラックシープは短い後足を器用に動かし、軽快なステップを踏む。短い前足を前後に動かし、パンチを繰り出している。あの短い手で攻撃してくるのかな、ブラックシープはその可愛らしい見た目と奇妙な動きが相まって、一部の女性探索者に人気な魔物だ。故に、売店にお土産用の人形が売られている。


 ソフィも実物を見ればもっと喜ぶかな、先日の黒鉄ダンジョン踏破後の帰りに買ったブラックシープの人形を少年の妹はいたく気に入ってくれた。ずっと大事にする、と言って人形を力一杯抱き締めて離さなかったその姿は愛おしかった。両親もゼルもソフィには大変甘い、このままでは彼女の我儘ぷりは加速していくだろう。しかし、可愛いものは仕方ない。


 少し気の抜けているゼルへ三体のブラックシープが飛びかかってきた。その短い後足から想像できない爆発力で跳躍するブラックシープは前足の蹄を少年へ向けて打ち込んでくる。上体を反らしてその蹄を躱すゼルだが、短い前足が一瞬伸びたように感じた。蹄はゼルの顎に掠り、少し血が滲んだ。


「ソフィに本物は見せられないな。こんな凶暴な魔物とは思わなかった」


 少し油断してダメージを受けてしまったが、問題ない。ただ、女騎士が今のを見ていなかったことを祈るだけだ。チラッと横目で見れば、セリアの足元には倒れたブラックシープが二体いた。もう既に斃し終えているみたいだ。流石だ、けれど、さっきの見てなければいいけど。視線を三体のブラックシープへ戻す。


 先程同様に飛びかかってくるブラックシープへ先制攻撃を繰り出す。リーチ差で先にゼルの拳がブラックシープの胴体を捉えた。が、拳に伝わる感触は柔らかく、ダメージが通っているとは思えなかった。パンチの衝撃で飛ばされたブラックシープは地面に数回跳ね、元気に起き上がった。


「ブラックシープの羊毛は柔らかく弾力があり、衝撃吸収に優れている。何の武器も持たない君では少々辛い相手だな。代わろうか?」


「いえ、結構です。少し試してみたいことがあるので」


 二体のブラックシープを斃し終えたセリアは少し離れた場所で少年の戦闘を見ていた。泥人形よりは固くなさそうだな、ブラックシープの羊毛は打撃に強く、斬撃に弱い。故に、剣などの鋭利な武器で攻略するのが定石だ。しかし、どんな武器種の扱いも不得手なゼルには斬撃攻撃の術がない。どうするか、ゼルの行動に興味津々の女騎士は腕組みをして観戦している。


 ブラックシープが行動するより先にゼルが跳躍して、間合いに入った。腕を大きく振り上げて、脇も締めずに大振りに振り下ろす。すると、目に見えるほどの巨大な三つの斬撃が発生し、ブラックシープを引き裂いた。正にそれは爪でのひっかきを彷彿とさせる技だった。


 一体が斃されても残りの二体は怯む様子もなく、ゼルへ飛びかかってくる。ワン、ツーとパンチを繰り出してくる二体のブラックシープを躱しつつ隙を突く。ゼルの拳が一体のブラックシープの胴へヒットした。今度は羊毛を貫いて、確かなダメージが入った感触を感じた。悶絶し、気絶したブラックシープは地面へ倒れた。


 残りの一体も怯む気配なく、少年へ猛攻している。すでに動きを見切っているゼルは羊毛に覆われていない頭部を蹴って、気絶させた。確かに今までの魔物よりは強かったが、少年は更に強かった。苦戦したとも言い難い。セリアはすでにゼルが斃したブラックシープの羊毛を刈り取っている最中だ。


「すいません、羊毛刈り取ってもらって。何だか刃物全般上手く扱えないんですよね」


「構わないよ。これぐらいどうってことない。それにしてもさっきの斬撃はなんだったんだ?目に見えるほどの斬撃など中々見れるものじゃない」


「僕にもよく判ってないんですけど、ドラゴンってイメージしたら、爪でひっかきそうだったので、そのままやったらできました」


「うむ、君が強くなるのは一向に構わないが、その内容が君が読んだスキル書が魔物系のスキル書だと証明するようなものばかりだ。これはどう考えるべきか………」


 難しく考えなくてもいいと思うけどな、少年は女騎士が刈り取った羊毛をカバンに詰める。魔物化する時はするわけだから、それまではスキルを有効活用すればいい。爪の斬撃なんてカッコいいしね、ゼルは手のひらを開いては閉じてを繰り返した。

 

 

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