第8話 交差




「この紅茶を頼む。君は何にする?」


 女に連れられ来た場所は茶屋だった。外観はおしゃれで高級そうな印象を受け、店内は若い女の子やカップルで賑わっていた。その中でも、人に聞かれるといけない話なのか、個室に案内された。少年は女の問いかけに同じので、と答えた。慣れない場所に知らない人といる。それだけで緊張し、頭が上手く回らなかった。


 こんな場所に連れて来て何の話だろう。最初は怖い大人が後からいっぱい出てきて、脅してくる悪い人かも、と思ったが、そんなことはなかった。美人で人当たりも良さそうだが、人は見た目に依らない。現に、ゼルはその女を変わった人、と言った印象が強かった。


「ここは私の行きつけでね。よく部下と一緒に来る。個室を使ったのは初めてだが」


 はあ、と曖昧な相槌を打つ以外の答えを知らなかった。マイペースな人、そんな印象も付け加えておこう。


「あぁ、すまない。また勝手に話してしまって。紅茶が運ばれてくる間に自己紹介をしておこう。私の名はセリア・バルムスタ。ダンジョン教会の聖騎士団所属でナント支部の団長を任されている」


 ダンジョン教会、それに聖騎士団所属で団長。そんな偉い人だったとは思わなかった。品があるとは思った。淡く蒼い髪の艶やかさは常に手入れをしているからだろう、今は脇に置いている部分鎧も高級そうで、日頃の手入れもしっかりしていそうだ。偉い人と考えるとゼルの緊張は更に高まった。


 ダンジョン教会とは探索者組合と並んで人々と密接に関わりがある。探索者組合が実務的に探索者や街全体を支援しているのに対して、教会は精神面での支えを担っている。所謂信仰である。


 ダンジョンの発生源は未だ解明されていない。故に、先人達はそれを神が与えてくださった恩恵と考えた。そう考えるに至った思考はいたってシンプルだった。ダンジョンは払うリスクに対してリターンが大きかった。


 ダンションから産出されるマジックアイテムや魔物の素材、それにスキル書。それらのリターンに対して、上層から下層に適当に配置された魔物は順序良く強くなっていく。一部の例外を除き、余っ程の無謀な探索をしなければ死ぬことはない。探索者は段取り良く、経験を積んで強くなり、ダンジョンの恩恵を受けることができた。


 しかも、ダンジョン内の魔物は決して外には出ない。ダンジョン内の魔物を定期的に間引く必要もない。それ故に、ダンジョンは街中に点在することができている。人々はその特性があるからこそダンジョンがある所に街を作れた。


 それらの理由からダンジョン教会の教典にはダンジョンは神の試練とも記載されている。人々がダンジョンは神が齎したものと考え、神を信仰したのは自然な流れだった。そこに人々の先導に立つ者たちが現れ、教会を設立して、今日こんにちに至っている。


 しかし、必ずしも信仰心だけでは人々を支えきれない部分があった。それが教会が聖騎士団を所有していることに繋がるのだが。ゼルが持ち得る知識で女の身分の高さを感じている時、個室の扉が開いた。


「ご注文の紅茶をお持ちしました」


 店員の来訪に会話を中断した。受け皿とカップが微かにカチャカチャと擦れる音がするだけで部屋は静かだ。失礼します。店員が扉を閉めたのを見計らって、少年は口を開いた。


「えーっと、セリアさんですね。僕はゼルといいます。まだ駆け出しの土塊等級の探索者で、半年ぐらいしかダンジョンに潜った経験はありません」


「うむ、土塊の探索者か。まだ若そうだし、スキル書『戦士』を持っていたことも踏まえると、大体想像した通りだな」


 何だか上からの物言いだな。見た目で言えばゼルと二、三歳しか変わらなさそうだが、年上であることは間違いない。しかも、教会の聖騎士団団長だ。上から目線も仕方ないことだろう。


「スキル書は正確には『光の戦士』です。僕が半年頑張って貯めたお金で買ったんです」


 女騎士の言葉に少年は何だかこの半年の苦労を愚弄された気分になった。セリアに噛みついても意味はないが、語気が少し強くなった。


「君、それはどこまで本気で言っているんだ?このスキル書は『戦士』で間違いない。ただの『戦士』のスキル書だ。教会で鑑定したから間違いない」


「そんなはずないですよ。昨日、路地裏の露天で買ったんですから。露天のおばちゃんは確かに『光の戦士』って言ってました」


「君………買う時にちゃんとスキル書の鑑定はしたかい?」


「鑑定?いえ、してませんけど………」


 セリア・バルムスタは肘をテーブルに乗せ、頭を抱えた。大きなため息もついている。両目も閉じられ、明らかに呆れている。何がそんなに可怪しいのだろうか。少年には想像できなかった。女騎士は片目だけを開けて、話を続ける。


「因みにいくらで買った?」


「………七百ゴールド」


 大きなため息がまた一つ聞こえた。


「君はその露天商に騙されたのだよ。通常、スキル書を買う時はそれが該当のスキル書か鑑定してから購入する。でないと、買い手は騙されるばかりだからね。大手の商店はこちらが言わずとも、その場で鑑定してくれるのだが………路地裏の露天だろ?なら、買い手の君がそれを要求しないと駄目だ。それに『光の戦士』のスキル書が七百ゴールドで買えるはずがない。相場の十分の一だ。下手したらもっと安いかもしれない。これは騙された君が悪いとしか言いようがないね」


 セリアの言葉を受けても、キョトンとした表情の少年は事態が飲み込めていなかった。騙されたってどういうこと、店主が客を騙すとは欠片も考えていなかったゼルにはそれは青天の霹靂だった。


「私の話が飲み込めていないって顔だな。まあいい、兎に角、今、私が持っているスキル書は『戦士』で間違いない。君が私の話を信じようが信じまいがそれは変わらない。だが、こんな話はどうでもいい」


 いや、全然良くない。折角、半年間苦労して稼いだ全財産で買ったスキル書が『光の戦士』じゃないなんて、少年にとっては一大事だ。しかし、徐々に事態を飲み込めてきたゼルは意気消沈としてきた。あの半年間の苦労は何だったのだろうか。


「落ち込んでいるところ悪いが、これからが大事な話なんだ。君に偉そうに説教気味だった私だが、これに関しては私に落ち度がある。急いでいたとはいえ、しっかり確認するべきだった」


 さっきまでの呆れ顔は鳴りを潜め、女騎士はいたって真剣な表情をしているが、その中に悲痛さも混ざっている。一体何なのだろうか、少年もつられるようにして真剣な顔になった。


「落ち着いて聞いてほしい。君が読んだスキル書は人を魔物に変えるスキル書だ。ダンジョン教会が禁忌として扱っているもので、駆け出しとはいえ、探索者の君なら聞いたことぐらいあるだろ?」


 魔物系のスキル書。探索者になった時に説明された。ダンジョンから産出されるスキル書の中には人を魔物に変えるスキル書があると。そして、それを万が一見つけた場合は無条件に探索者組合に引き渡さなければならない。違反すれば探索者資格を一発で剥奪される。


「えっ!?じゃ、僕はもう探索者じゃなくなるんですか?」


 的はずれな少年の回答にセリア・バルムスタはまた一つ大きなため息をついた。

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