第9話①
「…
俺とはーちゃんが話していると二口目を用意してた香織が会話に入ってきた。
「めおと?なんだそれ?」
「えっ、お兄それマジで言ってる?高校生で知らないなんて、お兄くらいじゃない?…お義姉ちゃんは知ってるよね?」
「……も、もちろんじゃない。知らない人なんてい、いないんじゃ、ないの、かな?」
そう答えたはーちゃんの声は不自然だった。視線も落ち着きなく彷徨っているのか、視点が定まっていなかった。
「……はーねーも知らなかったんだ」
「……そーよ!悪い!…教科書に載ってないことなんて分からないわよ!…グスン」
はーちゃんは涙声でそう言った。…俺も知らなかったんだから、そこまで気にしなくてもいいのに。
「まあ、知らない人もいるかもね。……そうだ!はーねーもお兄にアーンしてあげなよ」
香織はそう言って、手に持っていたお椀をはーちゃんの方に差し出した。
「い、いいのかしら?」
「もちろん!」
はーちゃんは香織にそう聞くと、恐る恐るお椀を受け取った。そして、震える手でレンゲを握ると、俺の口元に近づけてきた。
「アーン。……うん、美味しい」
「そ、そう。ならよかったわ」
はーちゃんはそう言って、そっぽを向いてしまった。
「わ、私もお腹すいたから、先にリビング行ってるね」
彼女は早口でそう言って残ったお椀を香織に押し付けて、逃げるように部屋を出ていった。
……さっきからソワソワしてると思ったけど、早くご飯が食べたかったのか。俺が一人でそう納得していると、香織が呆れたように言ってきた。
「…何考えてるかなんとなく分かるけど、誤解だからね?せっかくはーねーにアーンしてもらったのに、嬉しくなかったの?」
香織にそう言われてやっと理解できた。…そうか、俺は好きな人に食べさせてもらってたのか。そう思っただけで体温が上がるのを感じた。それを俺は熱のせいにした。
頭がぼーっとしてるからあまり実感がなかったけど、普通のときにやってくれたらどんなに嬉しいかと有り得ない夢に浸ってみたかったけど、上手く想像することができなかった。
「じゃあ、私ははーねーとご飯食べてくるけど、何か欲しいものある?」
「…いや、大丈夫」
「そう。じゃあ、大人しく寝ててね」
香織はそれだけ言って部屋から出ていった。一人部屋に残った俺は急に物寂しく感じた。普段から一人のはずなのに、さっきまで賑やかだったからかな?
俺は寂しさを誤魔化すためにもう一度目を閉じて眠りについた。風邪は治ってきてるはずなのに、心は弱ってきているように感じた。
俺が次に目を覚ましたのは西日が差し込んでいる時間帯だった。ゆっくりと覚醒していく意識の中で真っ先に目に飛び込んできたのは天使だった。
「あっ、起きた?おはよ」
「おはよー。……⁉︎⁉︎⁉︎な、なんでここに白鳥さんが?」
「ひっどーい!せっかく看病してあげたのに」
「ご、ごめん。……アレは夢じゃなかったの?」
すっかり熱が下がった俺は今日一日の出来事が全部夢なんじゃないかと思っていた。嫌われている白鳥さんに手を握ってもらえて、アーンまでしてもらえたなんて。
「夢なんかじゃないよ。……やっぱり、迷惑だった?」
「そんなわけないよ!白鳥さんが来てくれて嬉しかった」
少し悲しげに言った白鳥さんの言葉をすぐに否定した。驚いたけど、嬉しさの方が圧倒的に勝っていた。
「……また、白鳥さん?」
「えっ?」
「もう、はーちゃんって呼んでくれないの?」
俺はその言葉にハッとした。夢の中(実際には現実だったけど)で俺たちは昔のように呼び合っていたことを思い出した。それに白鳥さん…はーちゃんが喜んでいたことも。
「…分かったよ、はーちゃん。…これでいい?」
「!うん!ありがとう、りゅー君!」
その時のはーちゃんの笑顔を俺は一生忘れないだろうと思った。花が咲いたような、って意味がよく分かるほど可愛らしい表情だった。俺はやっぱり彼女が好きなんだなと自覚した。
「…どういたしまして、かな?」
好きだ、なんて言うわけにもいかないから、俺は無難な返事をした。そこにはほんの少しだけ好きだという気持ちが入ってしまったけど、はーちゃんには気付かれてないはずだ。
「〜ッ!も、もう私は帰るね!お大事に!」
「ちょっ!」
引き留める間もなくはーちゃんは焦ったように部屋から出て行ってしまった。…もしかして、気付かれた!?こんなので嫌われるなんて嫌だ、ってもう嫌われてるんだよね。
俺は少し気落ちしてもう一度目を閉じた。それでも瞼の裏に浮かぶのははーちゃんの笑顔だった。
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