episode4 差別

「ねぇ、あの子ったら表情一つ変えずに刺したわよ」

「あの冷酷さに瞳の色、あの娘はもしかして天使じゃなくて悪魔なんじゃ⋯⋯」

「ていうかあの子平気で服脱いで刺し殺すとか怖すぎ」


 私の悪い予感は的中した。乗客達は口々に都合のいい事を言い始めた。


 乗客達の救世主のはずの私は、何故かボロカスに言われている。一瞬、死人に口なしだった方が良かったかも、なんて思ってしまう。


 けれど直ぐに天使がそんな事を考えてはいけないと、考えを正す。天使は悪魔の討伐の他にも人々の見本となる様に生きる事も任命されているんだ。


「ねぇ私、あの子の瞳見て思うんだけどやっぱり悪魔なんじゃ⋯⋯」


 それにしても、このバスの乗客は人の言われたくない事をズケズケと平気でいう人達だな。


 もう随分言われてきたから、なれてるけどやっぱり面と向かって言われると、心がキュって締まる感じがする。


「なぁ、お嬢ちゃん聞きたいんだけど⋯⋯アンタもしかして悪魔なんじゃ⋯⋯」

「違います!!」


 乗客の一人、大柄な男性が遠くから恐る恐る、私に声を掛けてきた。話の内容は私が最も言われたくない事で、つい大きな声を上げてしまう。


 それと同時に、もう限界だと言わんばかりに目から大量の涙が零れ落ちてきた。


「うっ⋯⋯ぐっ⋯⋯ふえぇ、ひぐっ!」


 こんな嫌味を言ってくる人達の前で泣きたくない。そう思っていたはずなのに、自然と流れた涙は止まってくれない。


 私を悪魔呼ばわりしてきた大柄な男性は、涙を流す私を見て申し訳なさそうに、

「い、いやそうだよな⋯⋯。すまねぇな助けて貰ったのに」と謝ってきた。


 別に謝って欲しい訳じゃない。謝ってもらってももう遅い。


 出来ることならこの瞳を見ても何も言わないで欲しかった。私だったら他人の瞳が緋色でも、絶対に「貴方は悪魔ですか?」なんて失礼な事は言わない。


「ぐすっ⋯⋯と、とりあえず皆さんバスから降りて下さい。悪魔は稀に取り憑いた人間から本体が出てくる事があるので、早い内に」


 このまま泣きじゃくりそうになるけど、一応天使としての責務は残っている。まずは乗客をこのバスから降ろして警察に保護してもらう。そして⋯⋯。


 私はちらりと頸と胴が繋がっていない悪魔に取り憑かれた男の死体を見る。


 ⋯⋯この人も元は人間だった。けど悪魔に取り憑かれてしまった以上はもう二度と元の姿に戻る事は出来ない。


 会社が倒産して借金をして、終いには悪魔に取り憑かれて、この人の人生は一体何だったんだろうと思わせられる程悲惨だ。


 男の死体を見るとその顔は、まるで悪魔に襲われたかの様な絶望に満ちた顔をしていた。


 もしかしたらこの人は生前に"こんな結末"を迎えるに値する何か酷い行いをしたのかもしれない。


 例えそうだとしても、私はそんな事知らないし今はただこの人に同情するだけだ。


「ほら、どいてどいて! 早くこんな所からおさらばだ!」

「いやーもう二度とバスになんか乗らねえよ!」


 感傷に浸っていると、それを壊す様に乗客達がどかどかとバスから降りようとこちらへ向かってくる。


「ほらお嬢ちゃん出入口の前なんかに立たれてると出られないじゃないか! 早く退いて頂戴!」


 乗客の一人にそう言われ、慌てて私は乗客がバスから降りられるように道を譲る。


 一人一人がバスから降りるのを見送っていると、通り際に乗客が吐き捨てる様に言う。


「お前、悪魔って言っても元は人間だろ。色仕掛けで騙し討ちとか終わってんな」


 言ったのは私とそう歳が変わらない男の人だった。年齢が近い分、余計に言葉の重みが増して聞こえる。


 そして吐き捨てる様に言った男の視線が私の胸元を指していた事から、自分が服を脱いだままだった事に気付く。


「あわわ⋯⋯は、早く服着ないと。何時までもこんな格好だと露出狂だ⋯⋯」


 全員がバスから降りるのを確認すると、慌てて服を拾い、素早く着る。


 随分寒い思いをしたし、今日はもしかしたら風邪を引くかもしれない。


 とはいえそれも、"今日生きていたら"の話だけど。


「それにしても本当に恥ずかしい思いをした⋯⋯。いくら悪魔を倒す為とはいえ脱ぐことになるなんて」


 自分で口に出して言ったせいか、先程の男の言葉が再び脳裏に過ぎる。


 私が斬殺した悪魔も元は人間、そんなのはとっくに分かってる。⋯⋯分かってるよ。


 天使には悪魔に取り憑かれた人間の殺害が許されている。だからと言ってそれが人殺しに近い行為なのは否定する気は無い。


 けれど、どうしても私に罵声を浴びせる人達に問いたい。


 "なら貴方達はあの場で死んでも良かったのか"と。


 あの場で私が招集を無視して授業を受けていたら、貴方達を見殺しにする事だって出来たんだ。それを危険を犯して命懸けで、見られたくないものを沢山見せて、それでも助けたって言うのに⋯⋯。


 天使だから、たったそれだけの理由で私の善行が全て当たり前になってしまうんだろうか。


「それなら、私は別に天使じゃなくていい⋯⋯」

 暗い気持ちになりながらも、私の下の死体を見る。


 大抵の場合は悪魔に取り憑かれた人間を殺せば、取り憑いた悪魔も死ぬ。けれど本当に稀に、そうでは無い時がある。


 ごく稀に取り憑いた悪魔が死なずに、悪魔の本体が人間の体内から飛び出してくる場合がある。悪魔の本体はとても手強く、今まで何度も戦った天使達も命を落としてきている。


 そう、私の相棒達もみんな例外無くやられた。⋯⋯私だけを残して。


 それから五分、私はじっと悪魔に取り憑かれた人間の死体をじっと見つめ続けた。


 結果、特に変化はなかった。恐らくこれは完全に死んでいる。


「⋯⋯良かった。これはもう死んでる。それなら私もここに長居する理由も無いし出よう」


 死体に背を向け、バスから降りようと階段を踏むと、背後から人間の体内を破壊する、張り裂ける様な音が聞こえてきた。


 聞き馴染みたくなくても、聞き馴染んでしまったこの音に、一気に身体中から汗が流れ出る。


 ⋯⋯背後から鳴り響く音は、私の相棒を五度も奪った、"あの音"そっくりだった。






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