第16話

 演じるのに必要なのは、他人の目である。何かに化けても、感情を高らかに歌っても、観客がいなければ、せいぜい練習でしかない。

 だが彼は、一人で芝居を演じていた。幻影を観ているのか、それとも見てはいけない壁の向こうの客を理解しているのか。とにかく彼は、演じ切っていた。


「ああ、なんということだろう! ボクはただ、新しい友達と一緒にショッピングに来ただけなのに! みんなで爆買いしに来ただけなのに! なのに、なのに、なのに! みんな言うことを聞いてくれないんだ! ボクはみんなのことだけを考えて生きているのに、それなのになんて報われないんだ!」


 レッドは悲痛を天めがけ吐き出す。周りには誰もいない。最初ここに来た時は、放逐者も兵士もコボルトも、みんな居たのに、今では一人。なんという、寂寥感か!

 何かを叫び、天に捧げるのには向いていそうな、突き立った崖の上にいるレッド。見下ろす先には、いまだ黒い煙がくすぶる無境の村があった。火も悲鳴も消え、徐々に戻っている平静。ああ、実につまらない、予定調和のオチである。


「ボク以上に可哀想な娘を可哀想に出来たから、スッキリはしてるけどね。やっぱボクには座長は向いてないのかも。独演会の方がいろいろ面倒ないしねー」


 レッドは今までのテンションとは真逆、信じられないほど冷めた様子で、スタスタとその場を後にした。


                  ◇


 商業地区のあちこちでおこなわれている、消火活動や救出作業。兵士とコボルトの大半を退けても、まだまだやるべきことは多い。だが、そんな状況でも、多くの人がもっとも気にしているのは、一人の少女の容態であった。

 酒場の前に集まる人々。焼け残った商業地区の建物の中で最も大きい建物である。

 酒場の入口の真正面では、ドワーフの長がどっかりとあぐらをかいて、ただじっと待っていた。長を中心にできた、酒場を取り囲むような人垣。人垣を作る人々も、同じように無言で待ち続けている。

 どれだけの時間が経ったのか。待ち人は、疲れた様子で酒場から出てきた。

 ドワーフの長は、出てきたエルフの女王にすがりつくようにして尋ねる。


「で、フェイはどうなんじゃ!」


 ここにいる皆が、フェイの窮地を聞きつけてやって来た人々であった。フェイがこの無境の村でどう生きてきたのかがわかる光景である。ここに来れない人間も、リーダー役であるエルフの女王やドワーフの長がフェイにかかりっきりになれるよう、各々が全力を尽くしていた。

 エルフの女王は、ゆっくりと口を開く。


「思いつく限りの手は施しました。ですがそれでも、フェイの生命をわずかに延ばすことしか出来ませんでした」


「そうか……そう、気を落とすな」


 もしかしたら、彼女なら。そんな皆の希望に応えられなかったと、エルフの女王はうつむく。ドワーフの長は、そんな彼女を責めずに、まず励ました。

 自分の一挙手一投足が、周りの人々に影響する。ドワーフの長は、己の立場を自覚していた。


「その、わずかとは……数時間か? それとも数日か?」


「一言、二言。誰か一人、別れの挨拶をすることができる。それが、私の治療の結果です」


「おおおお……おおっ! おおおおおお!」


 わかっていても、立場を自覚していても耐えられないことがある。フェイの残された寿命を知り、慟哭するドワーフの長。エルフの女王の瞳からも、悔しさと悲しみの入り混じった涙がこぼれた。

 長の慟哭と女王の涙が広がり、集まった人々を悲しみが支配する。そんな悲しみを沈めたのは、もっとも嘆く資格のある男であった。


「そうやって、自分を責めるな」


 一人で祈っていたのか。それとも別のことに没頭し、気を紛らわせていたのか。

 やって来たガラハは、とにかく冷静だった。


「ありがとう。女王よ。私に、あの娘と別れの挨拶を交わす機会を与えてくれて。もう一度言わせてくれ、ありがとう」


 女王の肩に手を置き、ガラハは力強く礼を言う。ガラハの強さが、人々の慟哭や涙を落ち着かせる。親代わりの男が、ここまで静かに、娘を見送ろうとしている。誰もが、こらえるしかなかった。

 酒場の入り口に向かうガラハ。扉を開けるため、取手に手をかけたところで、突如思いもよらぬ声をかけられた。


「待ってくれ!」


 いったいどこからの声か。人々が周りを見ることで、自然と人垣が割れる。そこに居たのは、息せき切る壱馬と、どことなく青ざめたヴィルマであった。壱馬は手に持っていた袋をヴィルマに渡し、ガラハの元へと駆け寄る。


「頼む。フェイと話をさせてくれ。アイツに、聞きたいことがあるんだ」


 ガラハが反応するより先に、まず周りの人間がざわめく。そんな人々の中でも、もっとも率直な感情をあらわにしたのは、ドワーフの長だった。


「お前、馬鹿なのか、お前! 自分が何を言っとるか、わかっておるのか!? 父親が先立つ娘と、最後の会話をしようとしているんじゃぞ!?」


 最後の機会を奪い取るなど、許せるはずもない。憤懣やるかたないと、壱馬をぶん殴ろうとしたドワーフの長を制止したのは、他ならぬガラハであった。

 ドワーフの長を手で制止した後、ガラハはじっと壱馬を睨む。

 怒りでも悲しみでも、ましてや無感情でもない。ただ強い目。見られることで、勝手にこちらがすべてをさらけ出してしまいそうな、そんな目である。


「その問いは、私がフェイを見送ること以上に、価値のあることか」


「フェイの答え次第だが、きっと」


 この短い受け答えの後、二人の男はじっと見つめ合う。


「わかった。だが、話は聞かせてもらおう」


 先に言葉を発したのはガラハであった。ガラハはドアを開け、壱馬を酒場の中へと通す。壱馬は軽く頭を下げると、急いで中へと入っていった。


「おい! いいのか!?」


 ガラハに食ってかかるドワーフの長、だが肝心のガラハは、半ば心あらずといった様子でつぶやく。


「あの男、今まで空っぽだったのに、中身があった」


「中身じゃと?」


「いったい、この短時間で何があったのか。それにアイツは、フェイが何らかの答えを出すことを信じている。コイツを信じてみてもいい。私もそう思ってしまった以上、負けだ」


 今の壱馬にならフェイと最後の言葉を交わす価値がある。ガラハがこう判断した以上、この場に異を唱えられる人間はいなかった。

 ガラハとドワーフの長とエルフの女王、そしてゆっくりとやって来たヴィルマは、酒場の入り口より中の様子をうかがう。

 壱馬の言葉がよく聞こえる位置であった。


                  ◇


 酒場の中央、机の上に寝かされているフェイ。壱馬が見た時にまず感じたのは、エルフの女王の献身と必死さであった。丁寧かつ力強く巻かれた包帯や、あちこちに散らばる魔術魔法の書物が物語っている。


「俺だ」


 壱馬はそっとフェイの手を握る。弱々しく握り返されたことで、意識と聴覚がまだ生きていることを確認する。壱馬はフェイの手を握ったまま、話を続ける。


「最初に言っておくが、俺はこれから言いたいことを言う。それにいちいち反応しなくていい。最後に答えてくれるだけでいい。その答えに、全部を注ぎ込んでくれ。じゃあ行くぞ……俺は口下手だから率直に言うが、お前はもう、死ぬ」


 お前、口下手といえばなんでも許されると思っているのか。酒場の前で暴れるドワーフの長を、ガラハたちが必死に止めていた。


「お前は命を賭けて、自分にできることをした。死にかけの身体で、できることをしてみせたんだ。何もできない人間なんかじゃない。まず、それだけは言いたかった」


 先に伝えるのは、壱馬なりの感謝であった。きっと同じようなことを言いたかった人間は、酒場の前にたくさんいる。だがこの先のことを言えるのは、壱馬だけだった。


「お前は立派に生きて、立派に死ぬ。それは大抵の人間がたどり着けない境地であり、見事さだ。だが、もしこの先、まだ生きたいのなら……俺はお前を生かすことができる」


 それは、誰もが予想しない提案であった。


「正直成功するかするかどうかもわからない。もし生き延びても、恐ろしい重荷を背負うことになる。その一方で、お前の才能に相応しいだけの力を手に入れられるかもしれない。そんな手段だ。だから、聞く。今日ここで、やり遂げた実感と共に死ぬか。熾烈な業を背負い、できることを求めて生きるか。お前は、どちらを選ぶ」


 これは選択であった。生きるか、死ぬか。この問いの答えにすべてを注ぎ込め。それが、壱馬の望みであった。

 壱馬の握っているフェイの手が、わずかに震える。それは、壱馬が力を緩めれば、離れてしまいそうなほどであった。壱馬はただじっと、変わらぬまま待つ。

 そんな弱々しいフェイの手は、徐々に力を増していき、やがて確かな力で壱馬の手を握り返した。壱馬もまた、力強くフェイの手を握る。


「わかった。後は、俺たちに任せろ」


 壱馬はフェイから手を離し、酒場の入り口へと戻る。入り口では、ガラハやエルフの女王やドワーフの長やヴィルマ。今の話を聞いていた人間が半信半疑で待ち構えていた。

 無理もない。この道の権威であるエルフの女王ですら苦渋の決断をするしかなかったフェイの生命を救うだけでなく、脆弱な彼女の身体すら救おうとしている。壱馬の言い出したことは、救いどころか、あまりに都合の良すぎる一手だ。


「嘘とは言うまいな?」


「当たり前だ。説明の前に、少し借りるぞ」


 ガラハにそう言った壱馬は、ドワーフの長が腰に差していた小さな金槌をひょいっと取る。

 ドワーフの長がなにか言うより先に、壱馬は金槌で自分の腕を思っきり叩いた。

 カーン! と金属を叩いた時の甲高い音が響く。その音を、鍛冶の専門家であるドワーフの長が聞き逃すはずがなかった。


「お前、そりゃ、ずいぶんいい音じゃないか! お前の骨、どうなっとるんじゃ!?」


「俺の身体には、向こうの世界、こっち流に言うなら、異世界の技術が使われている。骨は金属に埋め替えられていて、内臓や筋肉も似たようなもんだ。まともな肉や骨や臓器なんて、ほとんどない」


「それにしたって、ずいぶんいい金属を使っとる。ううむ、いっそバラして」


「つまり貴方は、人間の体をベースに作られたゴーレムのようなものなのでしょうか?」


 ドワーフの長を遮る形で質問してきたのは、エルフの女王だった


「向こうの世界における俺は、怪人……いや、改造人間と呼ばれていた。こっちの世界には、そういう奴はいないのか?」


「生物の血肉を使って作ったゴーレムが居るとは聞いたことがありますが、人間の身体に直接そのようなことをするというのは聞いたことがありません。それにこう言っては失礼かもしれませんが、あなたはその、ずいぶんとまともに見えます」


 エルフの女王だけではない、この世界の常識における改造人間は、おそらく狂った発想なのだろう。狂った発想で作られたわりには、狂っていない。それは買いかぶりだと、壱馬は苦笑した。

 そんな壱馬に、ガラハがたずねる。


「つまり、お前は、フェイを自分と同じ改造人間にするつもりなのか?」


 壱馬は首を横に振った。


「それは無理だ。俺の身体は多少古いが、向こうの世界にある技術の結晶。このヴォートには、その根本となる技術や道具もない。フェイを俺と同じようにするのは無理だ」


「お前は今、フェイを”同じようにする”のは無理だと言った。そして、フェイには”俺たち”に任せろと。私はおそらく、その俺たちの中には入らんが、お前が何をしたいのかくらいはわかるぞ」


「向こうの世界の技術が無いのならば、こちらの世界の技術で補う。お前たちがすべてを吐き出すのなら、フェイを助けられるかもしれない。もちろん、俺も知っている技術は全部出す」


 フェイを、この世界における改造人間の第一号にする。壱馬のこの前代未聞の提案への返答は早かった。


「この村に、躊躇するものはいません。なにせ、フェイの命がかかっているのですから」


「おうよ! それに、異世界の技術ってのも興味あるしな! つーかお前、さっき鍛冶場に来た時、よく素知らぬ顔ができたな!」


 俺も私もと、ぞろぞろと出てくる協力者たち。どの技術が流用できるかわからない以上、とにかく数が必要だ。もしかしたら、花屋やコックが持つ技術が起死回生の一手となるかもしれない。

 ここまで黙って状況を見守っていたヴィルマが、壱馬に近づき小声で話しかける。


「状況は悪くない。そんなことを思っているだろ」


「ああ。まずは第一段階は突破だ」


「突端なものか。お前の発想についていける人間が、どれだけいると思っている」


「……そんなにひどいこと言ってるか?」


「正直、フェイのためでなければ、とうに手を引いている。よくもまあ、いくら私が死霊魔術に詳しいと知ったとは言え、こんなことを頼めたな」


 ヴィルマが壱馬から預かった袋には、死んだ兵士やコボルトから回収してきた様々な部位が入れられていた。心臓、目、胃、肝臓。どれも、ヴィルマの魔術で、死んだまま生きながらえている。


「安心しろ。それは練習や説明に使うサンプルだ。フェイに使う気は無い」


「当たり前だ! いくらなんでも、フェイにそんなことできるか!」


「もしそれが有用なら、やるしかないが」


「……なんだと?」


「お前の死者蘇生は、せいぜいグールが作れる程度だとは言っていたが、場合によってはまともに考え動けるような処置を施した上で、フェイをグール化させる……なんてのも、有り得るかもしれない」


「馬鹿な、そんなこと、許されるはずが」


 事前に話を聞き、協力を決意したヴィルマですら、肉体や魂への不遜におののいている。壱馬は常識を悪い方向で覆そうとしている。だが、それは正確ではない。常識を覆すことに、善も悪もない。ただあるのは、手段を選んでいる場合ではないという現実だけだ。


「誰の許しを乞うつもりもない。フェイも俺もお前も、ここにいる全員が後悔するようなことになるかもしれない。なにせ、奇跡の価値は高いんだ。だが、上手くいけば、フェイはその才能に相応しい力を手にすることができる。むしろ俺は、それを目指したい」


 奇跡を起こすために、後悔や呪いを背負うこともいとわない。何かを決意し、戻ってきた壱馬の中身には、放逐者としての黒い強靭さがあった。

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