30 才とは、力とは

 残った魔物も全て討伐され、状況が落ち着いたときには、既に日も暮れていた。


「軍民問わず、怪我人だらけだ。

 疲れているだろうが、一本でも多くポーションを作ってくれないだろうか。

 それで助かる命がある状況だ」


 軍医長マウルは、自分も目が回るほど忙しい様子で、アルテミシアにそれだけ言って一秒後には早足で歩き出していた。


 サバロの街は、一部区画を除けば、建物の破壊は限定的だ。

 中心の城館も結局攻撃を免れたし、その付近の、アルテミシアが調合室を借りていた診療所も無事だった。

 酷いのは人的被害の方で、小さな診療所の廊下にまで怪我人が群れを成している。集中的に狙われた無防備な市民も、それを庇って怪我をした兵士も。


 アルテミシアはひたすら薬草を磨り潰し続けた。

 だがそれは、すぐ傍の廊下で苦しんでいる怪我人のためだっただろうか。

 何かに急き立てられるように。崖際で何かに掴まって身体を支えるように、必死で机に齧り付いた。


 鼻を啜りながら。

 顎から滴る涙がポーションに混じらないよう、気をつけながら。


「ミーシャ」


 レベッカが綺麗なタオル(おそらく診療所のものを勝手に使っている)で、アルテミシアの顔を拭った。


「干物になっちゃうわよ」

「干からびて死にたい」

「あらあら」


 真っ黒なペンで胸の中をグチャグチャに塗りつぶしたような気分だった。

 死んでしまいたいと思うくらい、自分を嫌いになっていく。


「最期、カルロスさんは言ったんです。魔物が攻めてきた時、皆を守れるのは、わたしだって。だから……わたしを生かした……

 だけど、それが、本当にそうなのかなって。ポーションの調合をする力なんかより、あの時のカルロスさんの勇気の方が……

 ずっと、価値あるものだったように……思えてきて……」


 その気持ちを言葉にしてしまったことで、張り詰めていた糸が切れたように、堤が切れるように、溢れ出すものが堪えられなくなった。

 そしてアルテミシアは、年端もいかぬ少女のように泣いた。


「わたしは! 本当に……

 カルロスさんと引き換えに……生き残って良かったの!?」

「ミーシャ。まずそれは、悲惨な状況で生き残った人がしばしば陥る自責の罠よ。

 それは誰にでも起こりうる心の傾きで、あなたが感じているほど重大な何かが、あなたに起こっているわけではないわ」


 泣き伏すアルテミシアを、レベッカは背中から抱いて、優しく落ち着いた声で語りかける。

 そこに人が居る温もりを感じて、吐息を感じて。


「ひっ……ひっく、ひっ……」

「落ち着いて。いつもの速さで呼吸して」


 しゃくり上げながらアルテミシアは、どうにか呼吸をした。

 タオルに顔を埋めて、顔を擦って。


「本当に干からびて死にたいわけじゃないでしょ?

 ゆっくり考えてみなさい」


 レベッカがアルテミシアの背中をさする。

 爆発して塵になりそうだった心が、少し、落ち着いた。

 するとようやく、アルテミシアは、自分が全く冷静ではなかった事を自覚した。アルテミシアは崖際に爪を立てて身体を支えているのではなく、ただただ己を惨めに思っているだけだ。


「……堪えがたい。

 誰かの代わりに生き残った自分が……無価値に思えることが……」

「どうして?

 あなたはこうして今も人を救っているわ。そしてきっと、未来にも」

「違うんです。わたしのこれは、所詮、ズルだから……」


 カルロスがオーガに立ち向かったとき、アルテミシアの世界は変わった。

 持たざる者は何も為せず、虫のように生きて死ぬのだと思っていたのに、それは違うのだとカルロスは示した。


 正直に言うのなら、アルテミシアはカルロスを見くびっていたのだろう。

 凡人同士で、それどころか特異な技を持つアルテミシアに比べれば、カルロスはその他大勢なのだと。

 だがそれは悪い事ではない、彼には彼の為すべき事があるのだと……傲慢にも考えていた。


「全部、貰い物の才能チートだから、それを持っているのはわたしじゃなくていい。

 たとえば、もしカルロスさんがそうだったら、わたしより多くのことをできたんじゃ、ないかって」

「だとしても才能は、あなたに与えられた。

 それは他の誰でもない、あなたの武器よ」


 人は、何を生まれ持ち、何を与えられるかで、行く道が大きく変わると、アルテミシアは思っていた。

 若くして熟練の武人たるレベッカは、それを否定しなかった。戦いの場で生き残る者と死ぬ者の差異を、彼女は見て来たのだろう。


「……でも、人は役目と能力を与えられて、その通りに動くだけのゴーレムじゃないわ。だから量産品かずうちの武器でも、時に運命を変えるような大活躍を見せる。

 あなただって同じよ。

 立派な武器に使のが嫌なら、あなたの使い方を探しなさい。そうしたらきっと、才能負けしない立派な仕事ができるわ」


 レベッカの言葉は優しくて、それは激励であり、希望だった。

 そうあるべきなのだろうなと思いながら、アルテミシアは頷けない。そんな、未来に借りを作るような言葉で、安直に自分が救われていいのだと思い難かったから。


「もちろん私にとっては、あなたがあなたであるだけで充分だけどね」

「…………それも、嘘なんだ」


 レベッカの優しささえも、受け取るに値しない。


「過去の事は言えないから、記憶喪失だって嘘をついたけれど、本当はわたし、自分がどこの誰だか知っていて、それは、レベッカさんの妹じゃない。

 騙したみたいになって……ごめんなさい」


 アルテミシアは遂に白状した。


 嘘を突き通していたのは、結局のところ保身のためだ。

 だが守るに値する己など存在するだろうか。自棄やけの勢いと言えばそうかも知れないけれど、今はレベッカを騙し続ける罪悪感が上回った。


 炎を宿した宝石のようなレベッカの目が、ほんの少し大きく見開かれた。


「そう、それは……よく言ってくれたわ、ありがとう」


 だけど彼女は次に、目を細めて笑う。さしたる驚きも、怒りも見せずに。


「過去の話はできないの?」

「……はい」

「じゃ、都合良いわ」

「はい?」

「結局あなたの過去が分からないなら、あなたは暫定妹、私が暫定お姉ちゃんって事にできるじゃない」

「そんな適当でいいの!?」


 何か酷くねじ曲がった事を言われたような気がした。

 いや。きっと適当ではないのだ。


「あなた、放っておけないんだもの。もうしばらくお姉ちゃんで居させてよ」

「なにそれ……」


 ありがたくて嬉しくてくすぐったくて、全部合わせてアルテミシアは、笑ってしまった。泣きながら笑った。

 干からびて死にたいとはもう思わなかった。

 たとえ生き別れの妹でなくても一緒に居たいと、彼女ほどの猛者に見込まれたのだ。ならばアルテミシアは少しだけ、自分を信じていいのかも知れない。


「ここで義姉妹の契りを結びましょ。

 ねえ、また、お姉ちゃんって呼んで」


 アルテミシアはレベッカを、そう呼ぼうとしたけれど、言葉は涙でふやけていた。

 今度はどうして自分が泣いているのか、もうアルテミシアには分からなかったけれど、その涙は温かくて。

 ひしと抱きしめられたままアルテミシアは、年端もいかぬ少女のように泣いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る