canone (下)


 ハニワの問いかけを私は訝しんだ。

「科学の存在意義だなんて、おかしな言い回しだな。科学自体が、ひとつの意義の体現じゃないか。そんな科学の〝意義〟をこれ以上分解してみたって不毛だよ。それ以上先は、〝何故に対する答え〟が失われている領域だろう?」

「きみの思考は不用意に沈潜していくから困るなあ」

 言いながら彼女は鼻をフンフン鳴らすので、私は両手に持ったペットボトルをポンポン打ち鳴らして話の続きを催促した。

「もちろん、芸術の場合と違って、科学の存在意義というものについては、それこそ科学それ自体を根拠に実際的な面から色々な言い方ができるでしょう。特に、人工知能というのは、科学の中でも応用科学に分類されますから、初めから何らかの実利をあてにした概念なわけですよ。その意味において、私たちが今しているような人口知能を科学の代表者に立てて云々と議論をする姿勢は、そもそもナンセンスなのかもしれない。このことは承知しておいてくださいね……あと、それうるさいから止めてください」

 私はペットボトルを鳴らす手を止めた。彼女は話をつづける。

「まあ、つまり、きみの言う通り、科学の存在意義なんてものを云々するのはおかしな話なのかもしれない。科学を人工知能と読み替えるのならなおさらですね。でも、こんなことに拘っていたら何も話すことがなく終わってしまいますから、ここはひとつわたしもきみの流儀に倣ってぐっと抽象度の高い言い回しで説明を試みてみますね。つまり、人工知能がどうだとか、数理統計学がどうだとか、生物工学がどうだとか、こういった個別具体の話ではなく、科学という抽象で、しかも、人工知能という概念を十分に包摂したような言い方で説明を試みてみます」

「そうか、なんだか頼もしいな。しかし、俺に倣うまでもなく話が抽象世界をさまよいがちなのはおまえも同じじゃないか……」

 私は彼女が最初にしたフーガとカノンの喩えを思い出しながら言った。

「ふんふん。相変わらず減らず口を叩きますね。でも、まあいいでしょう。とにかく、そのようなやり方で、私は科学の存在意義をこのように表します。科学は本来存在しないはずの〝価値〟と呼ばれる虚像の表現を行うために存在している、と」

「価値の虚像の表現?」

「はいそうです。不思議に思いますか? あなたは例えば、芸術の本領は表現にあり、科学の本領は発見にあると、そう思っているのではないですか? でも、あなただって、芸術家と機械設計者を同列に語ったじゃありませんか。その例が示している通り、科学の本領もまた、表現することにあるのですよ。何も不思議なことではありません。科学はたいてい、何らかの事象の言語的表現ですから。それに、わたしが問題にしたいのはこのことではありません。もっと重要なのはもう一方の帰結です。つまり、〝発見〟なんてものは無いということです。世の中で言われているあらゆる〝発見〟は、何らかの〝表現〟に過ぎない(無論これも事実に対するひとつの表現にすぎませんがね)。このことは、私たち人間があらゆるものを事物それ自体ではなく事物同士の関係性でしか捉えることができないということを考えてみれば、尚のこと妥当に思われてくるはずです(そう言えば、きみは文学と仲が悪い構造主義が嫌いだったね?)。例えば、物理学では立てた仮説に対して実証を行うことでそれを定説にしますが、実証の確からしさを担うメトロロジという考えそのものが、事物同士の関係性でしか表すことのできない性質のものですからね。あらゆるものの確からしさは、それらを取り巻く事物との関係性によってでしか担保されない。しかし、関係性とは果たして? それこそ、表現に過ぎないでしょう?」

「なるほど、科学がなにものかの表現であることには同意しよう、しかし……存在しない価値の虚像? これはいったいどういうわけだ」

「これはひとつの再帰表現ですよ。つまり、科学自体が価値の体現であって、事実の表現に過ぎない虚像とは即ち何らかの表現物なわけですから……はあ、価値なんて言葉を使うと、一気に話がうさん臭くなりますね。わたし嫌いなんですよ、価値って言葉が。科学は価値の虚像の表現であって、それは再帰的に、価値は科学によって表現された虚像であるとも言えるわけですが、あらゆる表現されたものの中で、価値という観念が最も卑しいものだとわたしは思います(表現物に、或いは表現することそのものに、何か別な意味づけを行おうとするのは卑しいことですよね?)。だからね、わたしはきみの語る芸術の存在意義に、価値なんて語彙が出てきたのを聞いて、ちょっとがっかりしちゃったんです。もしかすると君は、芸術の原理が他者であり孤独であると看破したその時に、同じく他者を原理に持つ価値という言葉を無意識に引き寄せて、それと芸術とを混同させてしまったのではないですか? しかし、価値が孤独を原理に持っていないことに少しでも思い至っていたなら、芸術の存在意義を言い表すのに〝価値〟なんて言葉を軽々に扱うことを躊躇ったはずでしょうに」

「それだから、おまえは科学の存在意義の説明にわざわざ分かりにくい再帰表現とやらを用いたわけか……」

「それだけじゃありません。もし芸術の立場で〝価値〟なんて言葉をまともに使ってしまったら、それこそ芸術の立つ瀬はなくなってしまいます。分かりますか、(それが無意識的にせよ)価値という言葉が前提におかれた状態では、芸術と科学の共生という理想は最終的には破局してしまう、と、わたしは考えるわけです。まあ、これがわたしのシンプルな見解なわけですが、少し急ぎすぎたかな? もっと説明が必要そうですね」


♪♪♪♪


 ハニワは立ち上がると、私に手を差し出してきた。

「つづきは歩きながら話しましょう。せっかく来たんですから、座りっぱなしじゃもったいないです」

 私は嫌そうな顔をしてこたえたが、彼女に無理やり手を引かれ立たされてしまった。

「もう十分買ったじゃないか」

「歩いて回るだけで楽しいんですよ」


 即売会は陽の落ちきらぬ内に閉会すると聞いていたから、かんかん照りの下にいても、やや傾いできた陽に心なしか祭りの終わりの寂しさが陰りだした。

 私は後れを取らぬようハニワの横にぴったりとついて歩く。

 引いた汗がまた滲みだす。


「ひとつ聞いていいか?」

「なんですか」

「おまえはさっき、俺が芸術という観念と価値という言葉を同時に用いたことの迂闊さを指摘したな? これについてはまだおまえの主張を甘んじて受け入れてやる気持ちになれた。しかしだ、俺にはまだ分からない。おまえの言うところの、科学という観念と、価値という言葉の関係がいまいちピンとこないんだよ。俺の考え方とは少し違うような気がするんだ」

「ふんふん。それについてなら、きみがさっき人工知能への恐れについて語ったとき、十分に説明していたじゃないですか。ええと、その、芸術と違い人工知能は孤独を原理に持たない、って」

「ただ、俺は人工知能は他者の原理も持たないと言ったはずだ。俺は人工知能を自立した一個の存在として認識しているが、そこがおまえの考えとの相違だろうか?」

「いえいえ、確かに今のは良い指摘ですが、違いますよ。わたしが言いたいのはそういう話ではありません。確かに価値という言葉は他者がいなければ成り立たない。これは、原理というよりは寧ろ公理と呼ぶべきでしょうか? いや、こんな話はどうだっていいんだ。わたしはね、別に科学という観念と価値という言葉の共通性についてあれこれ述べようとしているんじゃないです(ああややこしい!)。価値という言葉はね、とにかく科学という観念が要請するひとつの悪癖のようなもので、別にこれ自体科学と何ら並列すべきものであるはずはないんです」

「ええと……いや、おかしいぞ。科学自体が価値の体現であるというさっきの話はどうなるんだ?」

「だからこれこそ、きみもさっき言っていた、実際的な不可能と原理的な不可能の差異ですよ。科学自体が価値の体現でないような場合だって当然仮定できるでしょう。しかし、そんなものはファンタジーです。ファンタジーついでにちょっと今日買った漫画の話をしましょうか」


♪♪♪♪


 ハニワはあたりを見回すと、人のまばらな方へと歩き出した。その先には広場の上り階段があって、私たちはそれを幾段か登ると、もと来た方を振り返った。外会場の人いきれと、屋内会場のある展示場のモダンな造形が、ここからはなんとか一望できた。


「わたしがちょっと前に、この場所が現代に於ける創作的営為のひとつの到達だと言ったのを覚えていますか?」

「覚えているよ」

「きみはその後で、半分がポルノだと言って冷やかしていましたね?」

「別に冷やかしたつもりはないが、まあ、そんな風なことは確かに言ったな」

「ここでひとつ質問ですが、きみはポルノと芸術は同じだと思いますか?」

「さあ、どうだろうか。どうしておまえはポルノを一括りにしてそんな大雑把な質問をするんだ?」

「分かりました、じゃあ、もっと個別具体的に」

 言うと彼女は抱えていた荷物から幾つかの同人誌を取り出して私に手渡してきた。

「こちらの本では少女が輪姦されています。そして、こちらの本では丈夫が拷問されている。どれも極めて煽情的に描かれていますね? これらの本は、きみにとって芸術と呼べますか?」

 私は渡されたそれらの本をぺらぺらと捲った。

「どうですか? 世界の価値の底上げはされましたか?」

「これは何の罰ゲームだ?」

「気に入ったのをきみにあげますよ」

「俺を試みるな」

 私はそれらの本を彼女に返しながら、今しがたの彼女の問いかけに何らの解答も見出せない自分がいることを認めざるを得なかった。

「冗談はこれくらいにして……で、どうですか? これらは芸術ですか? イエス、オア、ノー?」

「なんと言おうか、その……」

 私は口ごもった。

「いいんですよ。ごめんなさい。今のはちょっとしたいじわるです」

 彼女は同人誌をしまうと、そのまま階段に腰を下ろした。私もそれに倣った。

「ポルノはほんの一例で、わたしが問いたいのはこういうことです。つまり、美術に対する工芸の立場。もっと言えば、合目的的な芸術の意味についてですね。わたしはきみの言った〝価値〟という言葉に、所謂〝機能美〟だとか、〝実用性〟だとかいう含みを汲んだわけです。もちろん、きみは直接的にそのことを意識したわけではないと思うけれど、やはりどこかにそういう無意識の傾向があることをわたしは感じたんです。きみが語った自作を機械学習にかけようとする理由だって、わたしは信じていない。きみはそのような価値付けの判断によって、或いは人工知能の存在それ自体を肯おうとしているのではないですか(つまり、それによって判断できる人工知能の無価値性にかけて、ね。これは悪手というより、汚い手です)? なぜなら、きみはきみの語る芸術に纏わるある種のポルノ的な価値観……ポルノに与えられた要請は、〝役に立つか立たないか〟、という正しく工芸的な要請に違いありませんから」

「確かにそうかもしれないが……あまりはしたない言い方をするなよ」

 私は努めて冷静を装いながら、そのために、わざとそう嘯いた。

「はしたないだなんてまさか! それと、念のため言い添えておきますが、わたしは決してポルノを敵視しているというわけではありませんからね」

「それはそうだろうな」

 これについては私は至極素直にそう答えた。

「今の返しには大いに誤解の余地がありますよ……!」

 私にはちょっと彼女の返答の意味が分からなかった。


♪♪♪♪


 ハニワはそのあと、少しいじけたように広場の方を眺めていた。彼女のこんな様子は珍しいので、私はそのきれいな横顔をまじまじと観察した。どうしたことか、そこに〝工芸的要請〟がないことに、私は不思議を感じるべきか、不憫を感じるべきか……

 と、彼女が漸く口を開いた。

「……話を戻しますとね、価値がどうのとか、役に立つ立たないだとかを言い出すと、全てポルノ的になるんですよ。工芸ばかりが持て囃されて、美術が等閑にされると、そうなるんです。ねえ、きみは、芸術は何かの役に立つべきだと思いますか?」

「必ずしもそうだとは思わないよ。少なくとも、芸術家は決して自分の作品を何かの役に立てようと企図して創作するわけではない。いや、そればかりか、殆どある種の破壊衝動とさえ呼べる野蛮な動機に駆られて創作をすることだってあるんだ」

「それを聞いて少し安心しました。芸術が良い動機によってもたらされた物でなければならない、それで以って(物質的にも感情的にも)何かの役に立たなければならない、というのは、工業文明に毒されたプラグマティックな芸術観ですからね。芸術なんて刹那的、薬物的な物で良いんです。どんなに感動的な作品に触れたって、次の日にはその感動さえ忘れていることの殆どでしょう? 確かに、一生の内に一度か二度かは、全人生に渡って影響を及ぼしてしまうような作品に脅かされることもあるかもしれないですが、それは薬害的後遺症とでも呼ぶべきもので、役に立つ立たないとはまた別の次元に属する現象ですからね」

「なるほど、そうか、それでおまえはこの場所を現代の創作の到達と言うんだな? つまり、良きにつけ悪しきにつけ、そのような工業的な文明の中に生じた現象だと」

「はい、そして、この場所にもやはり孤独が存在しています。もっとも、これはきみのいう孤独とは少し違うかもしれないけれどね。ここにあるのは、工業文明の産んだ孤独であって、つまり、高度な科学が集団を細分化し選り分けた個々人ですよ(小さな物語の集合と呼んだ方がきみには分かりやすいかな?)。そしてわたしはまた、このような個人の氾濫は人間の価値を陳腐化させてしまいかねないという危惧を持っています。多様性という体のいい言葉はあるけれど、時としてこの言葉は単なる思慮不足への免罪符にもなりかねませんからね。まあ、これはまた別の話です。ただ、確かに、集団の細分化、個人の弱体化は、きみの憂うる人工知能による芸術の存在意義の消失ということを助長してしまうかもしれませんね」

「しかし、なら、おまえはどうするべきだと思う? 芸術家や、芸術の鑑賞者は?」

「さあ、それは分かりません。ただ、もしこのまま科学バンザイでいくなら、プラグマティックな芸術と云うのは何れ人間の手から離れる定めにあるでしょう(科学と芸術の融合なんて潮流もあるみたいですが、やはりわたしは懐疑的です)。また同断に、単に善意のみで芸術が成り立つなら、芸術はやはり人間の手から離れるでしょう。芸術の例ばかりでなくても、多くの伝統が科学の発展で淘汰されてきたのは、そこに善悪を判断する倫理が働いたからではなく、単に要不要の論理が働いたからであるというのは自明です。その流れを食い止めようとする場合にこそ、私たちは善悪の倫理を働かせるのでしょうが、しかし、善悪の倫理が要不要の論理に敵うとはわたしには到底思えない。もちろん一部の人間は抗うには抗うでしょうが、やはり科学には敵わないと思います(なぜなら要不要の論理は生物進化学に似た謂わば自然淘汰の法則ですからね)。そして、それでももし人間が芸術を護持するなら結局は権威主義に縋るしかないとも思います(権威主義と倫理は全く矛盾しませんしね)。それも私たちが普通に考えるような権威主義ではなくて、もっともっと零細な権威主義です。つまり、人工知能ではなくて人間の手により生み出されたのだ、と云うくらいの、そんな権威主義です。恐らく、今私たちがいる同人誌即売会のような場所が、そういった権威主義による庇護の下で最後の創作の寄る辺になるでしょうね……」

「随分と悲観的じゃないか」

「悲観? 別に、わたしは悲観しているわけではありませんよ。わたしはどんな未来が訪れたって、自分の面白がれるものがあればそれでいい。わたしは何かを創る人間ではありませんから、その点では楽観的ですよ。それに、わたしはただ事実に即して物事を言っているだけです。そんなわたしの言葉が悲観的に聞こえるなら、それはそのままきみ自身の状態を表しているのではないですか?」

 私は図星を突かれたようで、少しきまり悪く感じた。私はちょっと心が苦しくなって、目の前のこの女に、少しく弱音を漏らしたい気持ちになった。

「正直なことを言うと、俺はおまえの口から、その、もっと肯定的なことが聞けると期待したんだ……」

「ふふ、だから最初に言ったじゃないですか。きみの問題意識に合致する解が導けるかは請け合えない、って」

「ああ、確かにそうだったな。だったらこの際、おまえの考えを篤と聞かせてくれよ。俺にとって悲観的に聞こえるかどうかはどうだっていい。いや、俺にだって考える(抗う)力はあるんだ」

「いいですよ、なんだかかわいそうに思えてきちゃったから、最後まで付き合いますよ」


♪♪♪♪


 閉会まで残り少ないことを告げるアナウンスが鳴った。

「帰りながら話しますか」

「もういいのか?」

「今日はもう十分なので。本当は最終日の明日が一番忙しいんです」

 こいつの言葉はどこまで信用してよいのか。

「しかし、帰りながら話すといっても、駅でお別れじゃないか」

「何を言っているんですか。わたしの家まで着いて来てくださいよ」

 ハニワはあっけらかんとそう言った。

「いや、それは」

「荷物はどうするんですか!」

「おまえこそどうするつもりだったんだよ」

「わたしは初めからきみに半分持ってもらうつもりだったけどな」

「おい……」

「大丈夫、わたしの家までそんなに離れていないから」


♪♪♪♪


 陽は傾いだとは言えまだ空は明るい。帰宅のラッシュを逸れたためか、駅はまだそれほど混雑はしていない。私の家とは反対行きの列車に乗ると、私たちは運よく空席に恵まれた。


「それにしても疲れたな……」

「わたしはまだまだいけますよ」

 列車が進行する。向かい側の車窓から西日が射して私たちは一緒に目を細めた。

「で、他にどんな話がしたいんですか?」

「そうだな、さっき駅までの道を歩きながらちょっと考えたんだが、やはり、おまえの言う芸術と科学が相容れないというのがまだ少し引っかかる。言わんとしていることは分かるが……」

「そうですね、歴史的な話をすれば、絵画と写真の例は格別、科学と芸術は一見すると手と手を取り合っているようにも見えます。カメラの登場が当時の画家たちに与えた影響は計り知れないとはいえ、写真や映画、他にも新しい芸術分野を切り拓きましたからね。しかしそれは、歴史の歩みが科学から芸術や思想へ、そして政治へ、といった具合に、少しずつ主題を変えながら繰り返すフーガ的な響きを持っていたからです。恐らくは、産業革命の興りから、ダーウィニズムの流行くらいまでは、一応はそういったフーガ的歴史構造は保たれていた。しかしそのあとは? だんだんと科学のピッチばかりが上がり調子になっていって、歴史の進行はとことん調子外れなものになってしまった。種の起源がダーウィニズムを涵養するのにだってある程度の期間を要したはずです。しかし、現代は毎日種の起源が刊行されているような状態じゃないですか? (毎日がメリークリスマスってやつです!)現代には既に歴史と呼べるような因果論的な人間の営みは無くなったのではないかとわたしは思うんですよ。つまり、今ある歴史は、思いもよらない科学技術の進歩によって齎された、突発的な事実の羅列に過ぎないのだと。これは歴史の話ですが、そのまま同じことが芸術にも言えるのではないですか」

「確かにそうかもしれないが、しかしそれでは予想というものが全く困難じゃないか? つまり、科学と芸術が相容れるか否かは、まったくその時々の科学の提示する状況によるということになるじゃないか」

「ええ、確かにそうですね。しかし、人工知能について言えば、また話は変わってきます。いや、人工知能だけではありません。例えば、人工知能のような孤独を持たない存在が創作を行う場合は現に起こっていますが、そのような〝孤独を持たない〟という状態が、人間の内には未来永劫あり得ないと、本当にそう言えますか?」

「どういうことだ?」

「これについてはあんまり話過ぎても荒唐無稽なSFになるだけなので深入りはしませんが、人類の科学の進歩が、例えば永遠の命を得たとして、そのようなことを可能にする最も手っ取り早い手段が、恐らくは孤独を手放すということなのだろうとわたしは空想しているんです。それに、これは全く現実味のない話ではない。今までの歴史的事実を見ても、科学技術は我々の孤独を確実に希薄化してきましたからね」


♪♪♪♪


 駅を降りるとハニワの家はすぐそこにある。オートロックの女性専用アパートに入ると、まるで自分の身体がひとつの大きな異物のように思えてきて居心地が悪いことこの上ない。

 彼女の住むワンルームは、壁一面に張られたアニメポスターが印象的なのはそうだが、机の上に平置きされたワークステーションが唸りをあげているのに真っ先に目が行く。

「熱がすごいから、夏はクーラーを止められないんですよ」

「なんだか猫みたいだな」

「実際、猫みたいに気まぐれなやつです」


 私は床に荷物をおろすと、文字通り肩の荷が下りたことに安心して脱力してしまった。

 ご苦労様です、とハニワが麦茶を出してくれた。

「あまり長居はしないよ」

「あら、残念です」

「あれでやるのか?」

 私は例のサーバーPCを見ながら訊いた。

「はい、この間ビデオカードを新調したんです。最近仮想通貨のせいで値上がりしているんですけどね。そもそもブロックチェーンとかいう技術の何て不毛なことか。わたしはこの技術を人類最悪の発明のひとつであると非難しますよ……」

 私はこのまま興味のない話をつづけられても困るので、「そう」、とだけそっけなく生返事をした。彼女は不服そうにムスッとした。


 私は麦茶に口をつけた。少しだけコーヒーの風味がする。

「なあ、こんなことを訊くのは今さらかもしれないが、おまえは人工知能のことをどう思っているんだ?」

「本当に今さらですね」

 ハニワはクスリと笑うとつづけた。

「正直なところ、どう思うというのでもないです。近頃、描画AIや言語処理AIが話題ですが、あれだって、今のところは一時的な流行りの域を出ないでしょう。こういった流行に対するわたしの技術的な興味というのは推して知るべしです」

「技術的ではない側からの興味ならあるといった風な言い方だが?」

「うーん。むずかしいな。強いて言うなら、さっきも話した科学と表現の関係で、AIによって生み出される創作物についてへの興味ですがね……」

「ほう」

「これは前提ですが、プログラムされたものには本質的に人間に理解できないものはないんです。なぜなら、それは人の手によって書かれるものだし、論理の体系は要素でみれば極めて単調ですから。それに、究極はゼロとイチにまで分解できてしまう。そのゼロとイチの上に表された創作物とは何であるか、というのがわたしの興味です。先ほど言ったように、プログラムされたものは本質的に人間に理解可能なものです。一方で、人間は他者の思考のあり方を、完全に理解するということはできない。必ずどこかに滑り落ちてしまうものがある。人間が作る創作物に関しても同様に。ですが、人工知能が作るものはどうですか? 完全に理解可能な論理体系から生み出された創作物は完全に理解可能でしょうか? 勿論、人工知能は多くの場合、人間の意識の介入を受けます。文章を作成する人工知能は、事前に人間の書いた膨大な文章を学習しています。そのように学習され蓄えられたコーパスは、一定の規則に従って再構成され恰も全く新しい文章として生まれ変わる。しかし、この一度コーパスとして蓄えられ、一定の規則によって再構成されるプロセスを、私たちは芸術的鑑賞眼の下にどのように解釈するべきでしょうか?」

「どう解釈するというのでもないじゃないか、そんなものは。元は人の書いたものが、単なる現象として分解されて、そしてまた単なる現象同士として繋ぎ合わされているだけのことじゃないか」

「確かにその通りです。そして、その分解と繋ぎ合わせの仕方が、極度の〝それらしさ〟で以て行われつつあるのが現代です。そう考えてみたとき、先ほどのわたしの興味、ゼロとイチの上に表された創作物とは何であるかという興味は、どれほど重要なものになるか。恐らく、多くの人にとって然して重要なことにはならないでしょう。その場合重要になるのは、そのようにして生み出された文章の単なる言語としての精度と、その言葉の示す意味内容の方でしょうから(これは当たり前のことですが、この点ではわたしときみの考えは一致していますね? つまり、漫画に描かれたものをただのインクの染みであるとわたしは認識しないという意味においてです)。こうなればもうほとんど、人間が書く場合と事実上変わらなくなる。これがどういうことかわかりますか?」

 私は無言でつづきを促した。

「人が書き、機械が覚えるという一方通行の参照関係は過去のものになって、終わりのない再帰関係が回り始める。人と人、人と機械、機械と機械。実際的な差異はなくなって、より速いもの、当然機械がその再帰構造の主役になるんです。こうなると、あらゆる物事(場合によっては人の手によるものでさえも)が、名目通り純然たる〝石ころ的表現〟に過ぎなくなるんです。意味があるのかないのかもわからない無限回帰の檻。この檻は単なるチャットボット上のつまらない会話に留まらず、恐らくは私たちの生活すべてを覆うことになるんです。その時に訪れる歴史の構造を、わたしはカノン的歴史構造と一応の命名をしていますが(もしかするとこれはちょっとうまくないかな?)、カノンというより、もうこれはほとんどクリスマスのキャロルを際限なくループし続ける壊れたレコードのようなものかもしれませんね……ごめんなさい、やっぱりわたしの言葉はきみを怖がらせるばかりかもしれない」


 ハニワは言い終わると、どこか悲しげな笑みを作って私を見た。

 私は気にするなと言った。

「ですが、そうなったときに、あなたたち芸術をする人の立場がどのようなものになっているのか、そこまではやっぱりちょっと想像ができません」

「……現実的に考えれば、そんな時代に芸術家たちの居場所はないのだと思う。しかし、それが不幸なことかは分からない。正直なところ、もし俺が全く書く理由を奪われたとして、そのときに本当に俺は絶望するかどうか? (こんな言い方は変だが)俺はそのことについて自信が持てなくなるときがあるんだ。実のところ、このことが一番恐ろしいんだ。ああ、結局はなるようになれとしか言えないことが辛いところだなあ!」

「でも、理想というものはあるでしょう?」

「……勿論あるよ。言葉による芸術はね、(おまえは矛盾に思うかもしれないが)言葉によって言葉では届き得ない領域を見出したときに、初めて尊さを知る、侵し難い神聖さを知るんだ。その聖域を人工知能なんぞに侵せるものか! もちろんこれは俺の空元気だよ。根性論さ。本当にそうだ。もし俺は、自分の孤独を投げうつことで永遠の命を得るような時代が本当に訪れたとしても、そうなったら俺はその永遠を前にして自殺してやろうとさえ思う。自分が書くことを捨ててしまう前に、無理にでもそうしてやりたいと思っている。これが俺の理想だよ。馬鹿なことだと思うかい? でも、理屈じゃないんだ、理屈じゃないんだよ。もうこればっかりは、意地を張り通すしかないんだ。俺が一人の孤独な人間である以上はね。それに、こんな人間がひとりでもいたら、きっと芸術は死なないよ。そう思うだろう?」

「ふふ。そこまで吹っ切れたら、きっと何も怖いものはありませんね」


♪♪♪♪


 後日、ハニワから郵便が届いた。

 こんなことは珍しいので、何事かと思い包みを開けてみると、例の干物の同人誌と、便箋が一枚。その中には一言だけ。

「誰かに似ているね?」

 うるさいなぁ。



fine

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