【第8話】

 せっかくの昼寝を台無しにされた気分である。



「ッたくもー、ポチは余計なことしかしないんだから」


「同感ですね」



 廊下に大の字で転がって眠りこけるポチを見下ろし、ユーシアは軽く爪先で蹴飛ばす。


 撃った相手がたとえ不眠症を患っていたとしても強制的に睡眠状態にさせるのが、ユーシアの【OD】としての異能力である。ただし狙撃手としては致命的で、狙撃による殺害が出来ない。

 ユーシアの弾丸は誰も傷付かず、永遠に目覚めることのない極上の眠りをお届けするのだ。睡眠の状態を解除するにはユーシアが対象のどこかしらにキスをする必要があり、そんなメルヘンチックなことをするぐらいならリヴに処理してもらった方が早いとさえ考えている。


 リヴは「どうします?」と問いかけ、



「ラプンツェルの【OD】なんで面倒ですよ」


「それは面倒だね」



 ユーシアも嫌そうな表情で応じる。


 ラプンツェルの【OD】と言えば、歌うと怪我が回復する不死身の能力を持つことで有名だ。怪我が回復する速度を上回るほど殺すか、一撃で致命打を与えなければ殺すことが出来ない。何度でも傷つけることが可能なのはいいのだが、そんな野蛮な方法を取るとこちらの残弾数がなくなる。

 とはいえ、ポチも【OD】なら【DOF】の存在は必須だ。【DOF】は【OD】の生命線である。これを断たれると幻覚を見ながら一生涯を終えることになるのだ。


 ユーシアはポチの胸倉を掴み、



「ポチの【DOF】はどこかな」


「探しますか」



 相手が殴っても蹴っても起きない状態であるのをいいことに、遠慮なく物色を開始するユーシアとリヴ。相手が先に襲ってきたのだから、じゃあ奪われても仕方がないのだ。世の中とは理不尽である。

 上半身の衣類を脱がし、身体の中に埋め込まれていないかと皮膚に触れて確かめてみる。骨張った感覚はあれど薬品めいた気配はない。リヴも同様にズボンを脱がしてポチを丸裸にひん剥くが、やはり【DOF】のような存在は見られない。


 これはポチの自室にあると見た。【OD】である以上、【DOF】がなければ時間切れとなって【OD】としての異能力を失ってしまうからだ。事前に摂取してきたのだろう。



「どこかにポチの客室の鍵はあった?」


「ありませんでしたね。見事に外れです」



 リヴがユーシアの目の前でポチのズボンを振り回すが、怪しいものは何も出てこない。ちゃんと対策済みであるらしい。



「じゃあ飲み込んだかな」


「吐かせてみますか?」



 コキコキと指の骨を鳴らして主張するリヴ。胃の中に隠し持っているとは常套手段である。日本人が考えそうな手法だ。



「じゃあお願いできる?」


「では目覚めさせてくれますか?」


「え」



 リヴの要求に、ユーシアは頭を抱えた。そういえば強制的に眠らせていたのである。

 そして眠らせた相手を起こすには、ユーシアが対象のどこかしらにキスをする必要がある。絶対にそんなメルヘンチックなことはしないと決めていたのに、今ここでする必要性に迫られてしまった。


 ポチの首根っこを掴むリヴは、



「早くしてください、シア先輩。起こした方が吐かせやすいんですから」


「それならいっそ腹を掻っ捌いた方がいいと思うんだよね、リヴ君。お前さんなら出来るよ」


「いや出来ますけどやっぱり吐かせた方が早いじゃないですか、ほらまだ有効活用できますしね。肉壁とかね」


「お前さん、今の状況を楽しんでるでしょ」


「楽しいです」


「このクソ野郎」



 思わず悪態を吐くユーシアは、静かに天井を振り仰いだ。どう考えても絶望的である。

 相棒は単純にポチを起こして吐かせる方が楽だからという名目で、ユーシアがポチにキスをする瞬間を楽しみにしているご様子だ。この状況を楽しむものではない。ユーシアのピンチに楽しんでいるとは頭の螺子が吹っ飛んだ暗殺者なだけある。


 嫌々とポチの手を取ったユーシアは、仕方なしに彼の節くれだった指先に唇を触れさせる。幸いなのは対象者のどこかしらにキスをすればいい、という手段である。これが唇に限定されていたら、もう一生誰も起こすことはない。



「ん、む……?」



 異能力によって眠らされていたポチの瞼が持ち上がる。


 瞬きをしてから目の前にいるのがユーシアとリヴだと認識すると、彼の表情が引き攣った。急いで逃げようと試みた様子だが、即座にリヴがポチを押さえつけると彼の口の中に遠慮なく指先を突っ込む。

 ポチの口から嗚咽が漏れる。ジタバタと暴れてリヴの拘束を引き剥がそうとするが、それよりも先にリヴの指先が彼の喉奥を刺激する。


 そして、



「おえええええッ、えぅッ、おえッ」



 ポチの口から胃の中のものが全て吐き出される。

 ブロック型の携帯食料がやや溶けかけた状態で豪華客船の廊下に広がり、胃液が廊下に敷かれた絨毯に染み込んでいく。酸っぱい臭いが充満してユーシアも貰ってしまいそうになるがこんな場所で醜態を晒す訳にはいかない。


 目当てのものは撒き散らされた吐瀉物の中には混ざっていなかったが、ポチの口から何かが突き出ていた。真鍮製の鍵っぽいものがある。



「ッ」


「おっと、飲み込ませませんよ」



 ポチが急いで鍵を飲み込もうとするのだが、リヴの拳がポチの顔面に襲いかかる。ちょうど左目の辺りを殴ったところで血潮が飛び散った。

 見れば、ポチの左眼球が見事に抉れていた。あまりの激痛にポチは口に残った真鍮製の鍵を、自分の口から撒き散らした吐瀉物の中に落としてしまう。真鍮製の鍵はポチの口の中とピアノ線か何かで繋がっており、唾が透明で細い糸を伝い落ちていく様が確認できた。


 ユーシアは吐瀉物の中に落ちた真鍮製の鍵を拾い上げると、



「リヴ君、ポチの左眼球が抉れているのは何でかな?」


「僕が使っているヘアピンですが」



 リヴは拳を掲げる。その拳から血塗れの何かが飛び出しており、注目すると血に濡れたヘアピンだった。前髪が視界を塞がないように、と彼はヘアピンを装着することもあるのだ。

 血塗れのヘアピンを放り捨てたリヴは、ユーシアが摘む真鍮製の鍵を手に取る。透明で細い糸とポチの口の中が繋がっていると分かるや否や、鍵を握り込むと糸を断ち切らんと引っ張った。


 勢いよく引っ張ったからか、ポチの口から白い何かが飛び出してくる。細くて透明な糸は、ポチの歯と繋がれていたのか。



「あッ、がああああああああああああああああ!?」



 ポチの絶叫が口から迸る。突然の抜歯にはさすがに耐えられなかったのだろう。

 黙らせる為に、ユーシアはポチの頭を踏みつけた。顔面から吐瀉物の海へと飛び込んだポチはユーシアの足の下でジタバタと暴れるが、その暴れ具合は比較的弱い。嘔吐を強制されたことや左目を抉られるなどの拷問が続いて体力が削られているのだろう。


 ポチの歯までおまけでついてきた真鍮製の鍵を調べるリヴは、



「部屋番号が書かれていないですね」


「そんなことってある?」


「隠し部屋ということでしょうね。片っ端から開けて確認してみるのがいいかと」


「闇雲に探し回るよりも、やっぱり案内させた方がいいんじゃない?」



 吐瀉物の海に沈みぐったりとした様子のポチの髪を引っ張るユーシアは、



「この鍵ってどこの?」


「お、教える訳ないだろ……」


「さすがだね、命も惜しくないと見た」



 ユーシアは朗らかに微笑むと、掴んでいたポチのボサボサの髪を離す。

 別に喋らなければそれでいい。こちらには吐かせる方法などいくらでもある。拷問の経験もあるリヴの存在もいるし、ユーシアも多少の知識ぐらいはある。


 それにお忘れだろうが、ここには【DOF】を作った張本人である『遊興屋ストーリーテラー』と呼ばれる魔法使いの弟子がいるのだ。危ういお薬を調合するなど簡単である。



「お、何だユーシア。イキのいい奴を連れてるじゃねえか」



 客室から顔を覗かせたユーリカの手には、様々な色の液体が詰め込まれた注射器や試験管が握られていた。彼自身もやるべきことを理解していたようである。

 ユーシアとリヴも、もちろんユーリカにポチを引き渡してやることにする。死ななければ安いのだ、死んだら別にどうとも思わないが。


 それからポチの絶叫が響き渡ったのは言うまでもない。

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