【第5話】

「すごーい!!」



 ネアの歓声が広々とした豪華客船の甲板に響き渡る。


 大きな屋外プールや日向ぼっこをする為のウッドデッキなどが並べられているものの、誰かが使う様子はない。そもそもこの豪華客船には【OD】しか乗っていないので、呑気にプールを利用する客なんていないだろう。

 落下防止用の短い鉄柵が巡らされているだけで、甲板にわざわざ出てくるような【OD】の存在はない。見渡す限りの青い海と伽藍とした甲板の様子が広がっているだけである。


 潮風に金色の髪をなびかせながら甲板を駆け回るネアは、



「りりぃちゃん、うみだよ!!」


「海ですね」


「くじらさん、いないかなぁ」


「この辺では難しいかと思いますね。今度、ホエールウォッチングとかに連れて行ってもらいましょうか」



 駆け回るネアに付き添うスノウリリィが朗らかに笑う。【OD】が出てこなくて殺し合いがなければ、彼女も心穏やかにいれるのだ。

 ただし状況は全然穏やかではない。豪華客船には大量の爆弾が積まれているので、今日を含めて6日後にはドカンと大爆発である。しかも乗せているのは頭のイカれた連中ばかりなので、死んだところで誰も心を痛めない。


 ユーシアは甲板を見渡すと、



「どこかに救命艇がある雰囲気はあるかな?」


「手分けして探しますか」



 リヴは「僕はあっちを探してきます」と適当に甲板を歩き回る。爽やかな光景に真っ黒なレインコートを身につけた邪悪なてるてる坊主が歩き回る姿が異様だが、ユーシアにとっては見慣れた光景だ。


 ユーシアもまた救命艇を探して甲板を歩き回る。

 甲板の隅に布をかけられた状態で積み上げられていた物品は甲板に設置されたプールで遊ぶ為の道具やパラソルなどの品々しか見当たらず、命が助かる為のものはなさそうである。利用客に貸し出す為のタオルも大量に発見した、それだけだ。


 目につく荷物を片っ端から漁るが、やはり救命艇らしいものない。さてどうしたものか。



「甲板になら救命艇があると思ったんだけどな」


「見つかりました?」


「ぜーんぜん」



 ユーシアは相棒に首を振って応じた。


 一方のリヴも救命艇を見つけることが出来なかったようで、苦々しい顔を見せて「こっちもダメでした」と言う。甲板に設置されているかと思ったのだが、案外見つからないものだ。

 残りはどこを探すべきだろう。この船を操縦する部屋に行けば隠されているだろうか。それともポチを見つけて救命艇の居場所を吐かせるのが先決か。


 うーんと両腕を組んで悩む素振りを見せるユーシアの耳に、ネアの「わあ、すごーい!!」という歓声が滑り込んでくる。



「あれ、ネアちゃんは?」


「甲板の2階席に行きましたね」


「行くよねー、あの子ならね」



 甲板の隅には2階へ上がる為の階段が設けられており、そこからネアとスノウリリィは知らないうちに移動したのだろう。


 ユーシアとリヴは互いの顔を見合わせると、ネアとスノウリリィを追いかけることにする。

 甲板の見える位置は探したし、見つからないのであれば場所を移動するしかない。ちょうどいいタイミングだったのだ。


 キャッキャとはしゃぐネアの言葉を聞きながら、ユーシアは階段を上がる。



「ネアちゃーん、あんまりうるさくしたら他のお客さんに迷惑が」



 ユーシアの言葉が途中で消えた。


 2階席は展望デッキのようになっているのか、いくつかの椅子とテーブルのセットが置かれている。展望デッキの日陰部分には売店らしき姿も見えるので、そこの売店で飲み物を購入して日差しと潮風を受けながらお茶でも楽しむ場所なのだろう。

 そこで大の字になって寝ているのが、筋骨隆々とした巨漢である。真っ赤な肌は酔っ払っているからか、複数の机と椅子を薙ぎ倒した状態で展望デッキのど真ん中を占拠している。地響きのようないびきも聞こえてきた。


 ネアはそんな巨漢のすぐ側に膝を抱え、ツンツンと酔っ払って赤みが差した男の肌を指先で突いている。



「おっきーい」


「ネアちゃん、寝ている人を起こしたらダメだよ。戻っておいで」


「はぁい」



 ネアはユーシアの呼びかけへ素直に応じ、軽やかな足取りでユーシアとリヴの元に戻ってくる。



「あのひと、おっきいね」


「そうだね」


「そうですね」



 ネアの指摘で、ユーシアとリヴは改めて展望デッキのど真ん中を占拠して眠る巨漢に視線を落とす。


 酔っ払った影響で赤みを差した肌、鍛え抜かれた鋼の如き肉体美が特徴的な立派すぎる体躯。虎柄のトランクスを身に付けただけで、酒瓶を抱きかかえたままぐーすかといびきを掻いて気持ちよさそうに眠っている。もじゃもじゃとしたアフロヘアーは何かを彷彿とさせた。

 こんな場所でパンツ1枚という格好を晒しながら眠る自殺行為をする男は、身長が2メートルぐらいはあるのではないだろうか。人間と称するならなかなかな高身長である。



「【OD】だよね」


「それ以外にあり得ませんよね」



 ユーシアとリヴは互いの認識を改める。


 この船に【OD】以外が乗っていることはない。だからあそこの酔っ払いも【OD】であることは想像できる。

 ただ、ここには【OD】の数が多すぎるのでどんな異能力を持っているのか分からないのだ。せめてどこのおとぎ話か見当がつけばいいのだが。


 すると、



「ん、んーん……」



 酔っ払いの巨漢が身じろぎをし、ついにその瞼を持ち上げた。


 むくりのその巨体を起こし、眠そうに目元を擦る。寝ぼけ眼で周囲に視線を巡らせてから、今まで抱きかかえていた酒瓶の中身を呷った。

 しかし残念ながら酒瓶の中身はすでに空っぽだったので、彼の口の中に1滴も酒は流れ込まなかった。それに機嫌を悪くしたようで、低い声で唸り声を漏らすと同時に舌打ちをする。


 諦めたように酒瓶を放り捨てると、巨漢の視線がユーシアたちに向けられた。



「美女がいる!?」



 巨漢が叫んだのは、そんな意味不明な言葉だった。


 美女ということは、ユーシアとリヴの後ろにいるネアとスノウリリィのどちらかだ。面倒なことに女性陣の方に目をつけられてしまった。

 やはり彼女たちは個人の客室に置いてくるべきだったかもしれない。そうでなければ狙われることもなかった。


 ユーシアとリヴはネアとスノウリリィを庇うように立ち塞がるが、



「綺麗な人、どうかオレと一緒に酒でも1杯」


「は?」



 巨漢が手を握ってきたのは、ユーシアだった。



「俺、美女じゃないんだけど誰かと間違えてない?」


「いいや、オレの目に狂いはない。これでも男しか愛せないヘキでな」



 自慢げに言われてもユーシアにとっては大迷惑である。



「ちなみにオレは牛黒うしぐろ勢十郎せいじゅうろうと言ってだな、いやこんな格好で申し訳ないんだが前は鳶職をしていて」


「シア先輩にベタベタしながら口説くんじゃねえですよ死ねクソが」


「ぎゃッ!!」



 横からリヴによる飛び膝蹴りを側頭部に受け、巨漢は呆気なく吹っ飛ばされる。危なかった、あのままリヴが助けに入ってくれなければ食われるところだった。


 飛び膝蹴りを受けた巨漢はそのまま展望デッキをゴロゴロと転がり、数メートルほど滑ってから停止した。

 うつ伏せにぶっ倒れていた巨漢だが、すぐに跳ね起きると「何をする!?」と叫ぶ。何をするの台詞はこちらの方だ。



「オレはそこの綺麗な人との愛を確かめ合おうとしていただけだろう!!」


「愛もクソもないんですよ、自惚れてんじゃねえです不細工が。全身整形し直してから生まれ変わってやり直してください」


「酷い言いようだな!?」



 巨漢はギリギリと歯軋りをすると、



「間男め、オレとそこの男の愛を邪魔するとはいい度胸だ!!」



 全身に力を込めた巨漢の姿が、見る間に変貌を遂げていく。


 酔っ払った影響で赤みが差していただけの肌は鬼のように赤く染まり、もじゃもじゃのアフロヘアーから鬼の角が突き出してくる。唇からも牙がメキメキと伸びてきて、身長も筋肉も膨れ上がって巨大化した。

 展望デッキに現れたのは、立派な赤鬼である。どこかのおとぎ話に出てくる鬼の【OD】か。


 ユーシアはライフルケースから純白の狙撃銃を取り出しつつ、



「リヴ君、この【OD】ってどこのおとぎ話だと思う?」


「興味ないですね」



 リヴはレインコートの裾を摘んで、軽く揺らす。


 裾からゴトンと音を立てて落としたのは、何とチェーンソーだった。リヴは何の躊躇いもなくそれを引っ掴むと、慣れた手つきで起動させる。

 回転する鋭い刃の群れ。耳障りな駆動音が静寂を引き裂く。



「殺せば同じです」


「相変わらず殺意が高い」


「今日は特に殺意が高いですよ、僕は。ミンチにしてやります」



 いつも以上に殺意をみなぎらせる相棒の真っ黒いてるてる坊主に、ユーシアは苦笑するのだった。

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