×クズニートと引き籠り娘との面会予定

「お茶と麦茶、どちらにしますか?」

「あ、えー、麦茶でお願いします」

「御手洗さんは?」

「では、私もお願いします」


 話が長くなると悟った成田が気を利かせて二人の飲み終わっていた湯飲み茶碗を下げるついでに聞いた。二人とも麦茶を選んだので冷蔵庫から麦茶のボトルを取り出して新しく出したコップに注いで置くと同時に成田の携帯電話の着信が鳴る。


「あ、スミマセン。別件の電話が来たのでちょっと離席します」


 成田は一言そう言って部屋から出て行った。

 二人っきりになった空間に緊張感と気まずさで口が乾いた仁翔は冷たい麦茶を流し込む。


「では、二人きりですが話を進めますね」

「あ、はい」


 軽く背筋を伸ばして抜けそうだった気を取り除き、仁翔は聞く態勢を整えた。

 目の前に座っている御手洗が緊張している素振りを見せないのは踏んだ場数の違いだろう。


「――では前置き無く行きましょう。まず最初に娘が暴漢に襲われたのはこれで二度目なんです」


 少しだけ軽く感じてしまうくらいに気後れがない淡々とした語り口で話し始めた。


 御手洗の娘の名は御手洗直美。当時は明るくリーダーシップのある活発で元気な女の子だったという。中学二年生の夏に事件は起きた。仲の良い友達の三人グループでプールから帰っている時のことだった。普段なら脇道をせず帰るところだが少しでも長く喋りたいという子供ながらの理由で遠回りな少し暗い路地裏へ三人で入った。すると直美の友達二人は唐突に謝ってその場を離れたらしい。それと同時に現れた暴漢のグループに拉致され、逃げられないようにと金槌で膝を壊された上で廃工場に監禁された。助けれられるまでの間に犯され、傷つけられ、心身ともに大きな傷を付けられ重度の対人恐怖症を患い心を閉ざしてしまったという。

 以来、異性に対しては完全拒否、同性に対しては親密に近しい人のみに限り調子の良い時に会う程度になり、部屋に引き籠っていたとのこと。

 要約するとそういう内容だ。


(思った以上の激重案件に頭突っ込んじゃったか?)


 ここまでの話を聞いて、そんな大事なことを本当にこんなクズニートに任せて良いのだろうかという自虐的疑念が浮かび上がる。けれど一度口に出して決めたことなので相手側が拒否しない限りは仁翔の意志は変わらないし、揺るがなかった。


「……それでも外に出る切っ掛けみたいな事があったから、今の状況があるんですよね?」

「ええ、そうです。切っ掛けは些細な事だったんですけれど……そのお陰であの子も少しだけ前向きになったんです。その矢先に今回のようなことが起きてしまったので……」

「何というか、その、言い方が良くないのは重々承知なのですが……運が悪かった、としか言えません」


 これは完全に仁翔の日頃からのコミュニケーション不足の賜物だろう。相手への配慮考えすぎて上手い言い回しが見つからず思ったことをそのまま口から零れ落とした。


「いえいえ、流石にそこまで予測出来たら神の御業ですよ……」


 自虐的に上っ面だけの乾いた笑みを浮かべ合う二人。共に今のシリアスっぽい雰囲気を壊したい様子が窺える。

 けれど重たい話の後なのでどうにもその雰囲気が抜け出せない。


「――それで葛城さん、娘との面会の段取りをこの場で決めたいと思っているのですが今後のご予定を伺っても宜しいですか?」

「あ、はい。予定ですか。其方の都合で立てて良いですよ。今は仕事もしていないので」


 無駄な見栄を張って『今は』と言っているが実際のところ『今も』が正しい。なにせ仁翔は今のところ仕事を探す気など毛頭無いのだから。 


「では、誠に勝手ながらこちらの都合で申し訳ないのですが、明日でも宜しいでしょうか? 明日が悪いのであれば来月の頭、七月一日になりますけど……」


 手帳を出して予定の確認した御手洗は言葉尻を言い淀み、何かを言うべきか言わないべきか迷っている様に見えた。


「何か不都合なことがあるんですか?」

「いえ、そういう訳ではないのですが、出来れば明日にして貰いたいのです……娘の久しぶりの我が儘なので親として叶えさせてやりたいのです」

「分かりました。明日ですね」


 間髪入れず了承した仁翔に驚きと困惑をする御手洗。

 仁翔は今まで一度口に出した後は流れに身を任せてきた人生なので迷うことはない。それに話を聞いた後の今だからこそ御手洗がどんな思いを込めて発露した言葉なのかが理解できるから拒否する意味がないと思っていた。


「良いのですか?」

「良いですよ。どうせ特に予定とかないですし、俺自身、その、会ってみたいと思っていますし」


 まだ無視できるくらいの小さく朧げな気持ちを誤魔化すように仁翔は膝の上で手を組み親指をクルクル回しながら目線を少し上に外した。逆に御手洗は嬉しそうな雰囲気になり言葉の節々が心なしか跳ねている。


「ありがとうございます――では、早速ですが明日の予定のお話をしましょう。まずは仮組ではありますが此方で軽く制作した予定表があります」

 

 印字で構成されている紙を渡された。書かれているのは面会場所と時間予定、それと施設の注意事項が簡潔に纏められている。


「ああ、それと面会場所のパンフレットも渡しますね」


 パフレットの表紙には『猫々宮児童養護施設』書かれていた。裏表紙の住所と簡易的な地図を見る限り隣町の郊外、山の麓の森にあるらしいことが記載されている。交通の便はそこそこ良く電車とバスを使えば行く距離だ。

 軽くパンフレットをパラパラと捲って見落としが無いように内容を確認しているとテーブルにホチキスで紙の端の上下二か所が止められた手書きの冊子が置かれた。


「あの、この冊子は何なんですか?」

「これは娘との面会するときに必要なルールを纏めたモノです。何かあるといけないので初面会する人には必ず読むように言って渡しているんです。ここに書いてあることを軽くで良いので頭に入れて頂けると有難いです」


 その冊子の一ページ目を捲って最初に書かれていた文字に戸惑う。


「あの、『男性は接触禁止』と書かれているのですが……俺は大丈夫ですか?」

「直美から葛城さんに助けて頂いた時に手を触れたと聞いています。あの子が自ら触れたという事は直観で信頼出来ると感じたからだと思います。私はそれを信じます。何かあった場合は親である私が責任を取るので安心してください」


 根拠は御手洗から見た直美の言動と弱いが発する声には力強さがあり、説得力はそれで十分と言えるほどの押しの強さがある。

 差し当たって仁翔はそれを信じることにした。


「――他に明日の件も含めて聞きたいことがあれば質問してください」

「えっと、今、聞きたいことは……面会ってどんな感じでするんですか?」

「ああ、先に説明するべきでしたね。面会は葛城さんと直美で一対一です。ヘッドフォンとアイマスクをしていて視覚と聴覚を制限している状態からスタートして最初は直美から一方的に喋ります。その後、直美本人が良いと思ったらヘッドフォン、アイマスクの順で段階を踏んで制限を解除していき喋るという形になります。理由としては予想外のことが起こる確率を少しでも下げるためです。二人以上ですと確率であの子のトラウマを刺激してしまいかねないので」

「確率……ですか?」

「TRPGのロールダイス見たいなモノだと思えば良いですよ。尤も、ファンブルになると刀傷沙汰になりかねないですけどね」


 静かに微笑む御手洗は天然なのか計算なのか定かではないが、人を選ぶ分かりやすい例えという矛盾と想像しうる現実的最悪の予想が混ざり合った混沌としたナニカがここにあるという事だけは仁翔は理解した。


「……あー、この児童養護施設って電車とバスどっちが早いですか?」


 リアクションがし辛いので話の方向を変えた。

 少々、露骨気味だと仁翔も自覚していており申し訳ないと思っている。


「どちらも同じくらいなので、歩くのを少なくしたいのであればバスの方がお勧めです。料金で考えるのであれば電車の方が安いですよ」


 あまり気にも留めていない様子の御手洗は答える。

 社会経験の差とも言えるだろうか、スルースキルが高いとでも言うべきか。はたまた唯々ボケることに失敗して触れられたくないだけなのだろうか。どれにせよ直ぐに切り替えていることに仁翔は凄いと感じていた。


「すみません、今戻りました。何処まで話が進みましたか?」


 先程、電話で出て行った成田が戻って来た。


「ほとんど話は終わりました。明日、面会してくれることになりましたので今、明日の予定の確認と移動手段の話をしているところです」

「そうですか……明日なら私が車出しましょうか? 明日は休みを取ってますし」


 手帳で予定を確認してから自ら送迎すると名乗り出る成田。


「良いですね。葛城さん、それで良いでしょうか?」

「スミマセン、自分は乗り物が酔いが酷くて特に車に乗ることは避けたいんです。何故か電車は大丈夫なんですけどね」


 乗り物酔いをするのは事実だがそもそも仁翔の根底にはこんなニートが人を頼って良いのかという気持ちがあり、出来るだけ人を頼らないようしたいと思っている。それを雰囲気的に理解した御手洗はせめてと言わんばかりに交通費を出すことだけは譲らなかったので仁翔は甘んじてその提案を飲んだ。


 その後、直美について幾つかの質問と裁判のことで聞きそびれていたことなどを雑談を交えながら行い時間が過ぎていく。


「――あとはご質問とかは無いようでしたら今日はこの辺りで解散で良いですか?」

「あ、はい。どう接すれば良いのかだいぶイメージが固まりましたので……後は明日次第って感じです」


 仁翔なりに満足いくまで根掘り葉掘り聞き明日への決心がついて息を軽く吐いた。


「それは良かったです」


 御手洗は顔を綻ばせてホッとした表情をすると話の締めくくりとして仁翔に尋ねた。


「――では、最後に葛城さん。一つ良いですか?」

「なんでしょうか」

「貴方は私と直美のお願いに応じてくれた立場です。なので失敗しても構わないのであの子と楽しくお話して貰えたら嬉しい限りです。どうかよろしくお願いします」


 たとえそれがどんな結果を生もうが後悔せず、行く末を見守る慈しみと覚悟の表れなのだろうか。このお願いには御手洗の母親としての矜持が垣間見える。


「分かりました。明日、緊張とかで何か変な事言うかもしれませんが心に留めときます」


 明日への期待と緊張、それと不安が織り交ざり昂った気持ちを宥めるように御手洗の言葉をしかと受け止めて話が終わった。


「じゃあ、時間も良い感じですし、この辺りで解散ということで二人とも良いですか?」


 時計を見ながら成田は言う。

 仁翔も御手洗も同意し、仁翔は明日の予定を一通り確認してから弁護士事務所を後にした。

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