第4話 笑裏刀蔵

<メールが来ています>


無視だ。


カイン・ガラドリエルは無気力になっていた。先日、獅堂穏奈たちを「人の死なない戦争」を担う「戦の聖女」に仕立てると高らかに宣言したカインだが、本年度からいきなり給料を減らされて好物のハンバーガーを喰いに行くこともできない。そもそも担任も担当科目も持たない、本職教師が休んだ時の代打扱いでしかない非常勤の扱いなどこんなものなのだが、軍で栄光の一時代を味わった経験のあるカインとしては今の落ちぶれ具合が辛い。軍人として最初の2年ぐらいは腐ったレーションとか平気で食っていたのだが。


<メールが来ています>


 読み上げソフトがまた言った。どうやら同じ送り主が再度メールを送信してきたらしい。しつこいやつだ。


 ジリリン、ジリリン!


「うぁ!?」


 ついに携帯端末に直接電話がかかる。驚いたカインは危うく端末を落としかけ、かろうじて広い上げ、これ以上無視するとこの相手が下宿まで押しかけてきかねない、と仕方なく。本当に仕方なく電話に出る。軍略兵法を語るときならともかく、それ以外におけるカインは基本的に根暗の引きこもり。電話など掛けたくも受けたくもない。携帯端末と言うアイテムによって首輪を掛けられているような気分になり、非常に不愉快だった。こんなメンタルで将軍職が務まるのかと言われそうだが、電話を前にすると物理的に頭痛と吐き気がするのだ。


「はい、ガラドリエルですが」

「カイン? アンタなにやってんの!?」

「……どなたですか、ニルフェル准将」

「わかってんじゃない。……アタシたちの構想を実現する《聖女》を手に入れたってことだったけど、その割に元気ないわね?」

「実際先立つものがなくてね。お前のような資産家にはわからない悩みだろうが」

「お金がないなら働きなさいよ」

「俺の罪状は国家反逆罪だよ。辛うじてお情けで学園の非常勤講師に引っ掛かっている状態だ。それ以外の就労など許されない」

「アジュナーダインに隠れもない名将と言われたカイン・ガラドリエルがおちぶれたものね……。そんじゃ、おねーさんが食事を作って上げましょうか」

「いや、それはやめてください」

「即答。なんで?」

「お前の食事は前衛的すぎて食えたものではない。毒を喰うのと空腹なら後者を選ぶ、そういうことだ」

「誰の料理が毒よ!?」

「毒は言いすぎだったか、戦術兵器だ」

「アンタそれウチのパパの前で言える!?」

「……元帥を引き合いに出すのは卑怯かと思うが」

 電話の相手が幼馴染の親友・ニルフェルだったことでカインの緊張はやや緩むが、その所為で空腹も進む。いつものバーガーショップにお情けを乞うか……と思う反面、頭を下げて得られるものが得々とした説教だけだったら嫌だな……とも思う。とはいえ緊張せずに会話できるような相手は他にいない。あの店員は昔からのなじみなのだ。


「まあ、いまのところ《聖女》たちはいいのよ、彼女らに血なまぐさい実際の戦場を経験させるつもりはないんだから」

「ああ、そうだな。それは同意だ」

「けど、アジュナーダインに危機がないわけじゃあないわけよ」

「? ウズン・ハサンとは8年の同盟を結んだはず。アベル宰相はそのあたりの契約に疎漏のある人物では……」

「アンタ半年間軍務を離れてたし、クズルパシュからは捕捉できるけどアジュナーダインからだと分かりづらいか。でも、そんなの実戦では言い訳だからね。白羊朝ウズン・ハサンの大外から、サファヴィーのラルダーン。いまはウズン・ハサンが盾の役目をなしてるけど、ラルダーンの突破力はウズン・ハサン以上。今後半年で白羊朝は撃滅されるでしょうね」

「それで、アジュナーダインを藩屏としておきたいクズルパシュの軍師殿としては俺に注意を喚起した、というわけか」

「いざ北西地方の遊牧騎馬民族と戦闘になったら、アンタは中央に返り咲けるでしょ? ほかに敵騎兵を相手にできる将軍はいないんだもの。そのダメ押しに、今度アジュナーダインに行くわ」

「は? どういう……、切れた。わざわざかけ直すのも面倒だからな……」

 一方的に切られた携帯端末は懐に収め、下宿を出た。朝のバーガーショップで文句をたれられながらも廃棄品のハンバーガーを貰い、店内でテーブルを探すと見知った顔があった。


灰色がかった黒髪ポニーテールに、異常なほど大きなおっぱい。おっぱいで判別するのもどうかとは思うが、このサイズは見間違えようがない。


「あ、ガラドリエル先生」

「やあ、穏奈。君も朝食か?」

「はい、お恥ずかしながら朝が弱くて……。下宿に入るとエフェメラさんもこれまでみたいに起こしてくれなくなっちゃったので……」

「なるほど」


 しばらく二人でもそもそと食っていたが、ふと思い当たりカインは携帯端末を起動、お絵かきソフトにぱぱっと地図を書きつけ、複数の都市国家群の状況を作ってみせる。現実の政治問題を見せると危機感をあおってしまうので、あくまで架空の話として提示する。


「これは……?」

「気負わなくていい。《戦の聖女》に設問と言ったところだ。君がこの、3大国に囲まれている小国の将軍であるとしたらどう戦う?」

「……まず、流言を放ってaとbの敵対心を煽り、戦わせるでしょうか。その疲弊に乗じてcが参戦し、三者それぞれが国力を疲弊させたところで敵の首都を落とします」

 穏奈は眉間にしわを寄せながらもそう言った。そしてその回答はカインの脳内にあるものとほぼ等しい。クズルパシュは南方の守りをゆだねる価値のある存在として滅ぼす必要がない(国力から言っても現状、滅ぼすことは不可能に等しい)が、白羊朝とサファヴィーは叩く必要がある。現在同盟中の白羊朝にはだまし討ちを加えることになるが、サファヴィーを誘って白羊朝を攻撃、そしてサファヴィーの後ろから攻撃を加えるといったところか。なんにせよあまりクリーンな戦い方ではないが、自分が他国よの数分の一の勢力しかもたないアジュナーダインの将軍と考えると汚い手も使わざるを得ない。


「いや、今は将軍ではないわけだが」

「?」


 登校し、歴史編纂室にこもって歴史書と兵書を読むある意味幸せな時間を過ごしていると、呼び出しを受けて理事長室へ。理事長は偉そうに振る舞う小人でカインはこの男が嫌いだし苦手だったが、いちおう雇われの身としては従わねばならない。2、3の雑用、力仕事を押し付けらたカインがやむなく雑用に従事していると、一人の女性がやってきた。修道衣にウィンプルといういで立ち、さらに顔の下半分にはマスクを着用していて目元しかわからないが、それでも絶世の美女というほかない細身の彼女は、愕然とした、というふうでカインに近寄り、声をかけた。


「アンタ……なにやってんの?」

「ああ、ニルフェルか。近いうちに来るのだろうとは思ったが、早かったな」

「アンタが飢え死にする前にと思って急いできたのよ! それで、なに雑用なんかやってんの。アジュナーダインの武の至宝といわれた男が」

「こういう仕事をこなして信用を作っておけば、理事長の懐に入り込めるだろう?」

「笑裏刀蔵?」

「そんなところだ」

 笑裏刀蔵。笑顔の裏に刀を蔵す。相手の言う通り思う通りに振る舞って油断させ、いざ一朝事あれば電撃戦で相手を滅ぼしてしまう策略である。現実世界においてこの戦術の巧妙であったことは三国・魏の軍師にして晋の宣祖司馬懿にとどめを刺すだろう。強大な曹一族をボケて見せる「笑」の演技で油断させ、敵が油断したすきに自分の勢力を確立させ電撃戦の「刀」で曹一族を滅ぼしてしまった。ニルフェルはそれを言っているのであり、カインも主語を抜きにしてそんなところだと答えたのはこの策が反逆の要素を大きく含むため。もちろんカインとしては雇い主である理事長を打倒する意図などないのだが。


「ともかく、宰相府に行くわよ」

「……気が進まないな」

「アンタ、その気の弱い性格どーにかしなさい。能力はあるのになんでもかんでも二の足踏んじゃって」

「宰相府ということは、アベル爺さんに会うのだろう? いよいよ気が進まない……」

「そんなこっちゃ人を殺さないで済む戦争の実現なんか夢のまた夢よ! アンタがもっと図太くなるように、この滞在期間で鍛え直してあげる!」


 そうして、アジュナーダインのもと将軍はクズルパシュの軍師に引きずられ、政庁の宰相府に向かうことになるのだった……。

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