失せもの2

 森で発見された青年に、目立つ外傷は見られない。だが、モンスとシルワ夫婦の家に運び込まれてからも、彼が目を覚ます様子はなかった。

 夫婦は、病で亡くした息子を思い出して不安になり、交代で青年を見守った。

 村に一人だけいる医者も呼んで、青年を診察してもらったが、その身体に特に異常は見受けられず、経過観察するしかないと言われた。

 一昼夜ほど経った頃、青年は薄らと目を開けた。彼は、宝石のように透き通った緑色の目で、自身を見守る老夫婦を見つめ返した。

「気が付いたのね。気分はどう?」

 シルワが声をかけても、青年は寝台に横たわったまま、無表情に老夫婦を見ているだけだった。

わしはモンス、こっちは女房のシルワだ。お前さん、名前は?」 

 言葉が分からないのだろうかとも思いつつ、モンスが問いかけると、青年は僅かに何かを考えるような表情を見せた。

「……記憶にない」

 青年は、抑揚のない声で、ぽつりと言った。

「自分の名前が、分からないの?あなた、裸で森の中に倒れていたけど、どこから来たの?」

「……名前……分からない……何も……」

 シルワの言葉に、青年は眉根を寄せた。

 ふと、モンスは部屋の中が薄暗くなっているのに気付いた。日没が近いのだろう。彼は壁に取り付けられたスイッチを操作して、天井の照明を点けた。

 天井を見上げていた青年は、目を細めた。

「眩しかったかい。何年か前に、こんな田舎にも魔導炉まどうろができてね。魔法の力で灯りを点けたり、魔導絡繰まどうからくりを動かしたりできるようになったのさ。隣のアルカナム帝国なんかじゃ、夜でも魔法の灯りで昼間のように明るいという話だがね」

 モンスの言葉を聞いた青年の目に、僅かだが、感情の揺らぎが浮かんだ。

魔導炉まどうろ……空間から取り込んだマナを動力に変換する装置……魔力伝導物質を介し……離れた場所にある魔導絡繰まどうからくりを稼働させることが可能……」

 青年が、ぼそぼそと呟いた。

「難しいことを知っているんだねぇ。それなのに、自分のことは分からないなんて」

 シルワが言うと、青年の目に再び僅かな感情の揺らぎが現れた。それは、ほんの少し悲しみを含んでいるようにも見えた。

「あぁ、別に責めている訳じゃないのよ。……ねぇ、あなた」

 シルワが、夫に声をかけた。

「この子、しばらく、この家に置いてやれないかしら。自分が、どこの誰なのかも分からないのに、放り出せないでしょ?」

「もちろん、構わないぞ。なに、一人増えるくらい、どうということはないさ」

 モンスは、妻の提案を快く承諾した。

「何も心配しないで養生するといいよ。いま、何か食べられそうなものを作るからね」

 シルワは言って、台所へと向かった。

 青年は、自分の世話を焼く老夫婦を不思議そうに見ていた。



※お気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、この世界における「魔導炉」は発電所のようなものです。

現代社会の「電気」を「魔法」に置き換えた感じです。

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