8 狩りの後の夜会

 別荘の大ホールのパーティは今日の獲物が美味しく調理されて所狭しと並べられている。狩りは大きな鹿を狩った公爵様が一番だったそうだ。イノシシも出て騎士団が狩ったという。魔獣は出なかったよう。


 私は何故かコーデリアが持ってきた濃いブルーのオーガンジーのドレスを着ている。裾に向かって濃くなってゆくグラデーション生地で、かすみ草に似た花の刺繍が腰から胸と裾に向かって枝葉を広げ花を散らしている。花は刺繍の代わりに宝石が縫い付けられ、きらりきらりと照明を浴びて輝く。袖は短いシースルー、ひらひらと若さを強調するように。


「ドレスなんかいただけないわ、コーデリア」

 非常に高価そうなドレスで私は尻込みした。

「実はねヘディ、あなたの絵姿をエサに呼んだの」

「へ」

 絵姿って、あの時の──。

「綺麗な女の子は居ないだろってムカつくことを言ったらしいわ」

「ミシェル……」

「これは私じゃなくて、そいつの贈り物だから遠慮なく着てちょうだい」

 コーデリアはにっこり笑う。

「ウチは一口乗りたいだけなの」

 もしかして、ナジュドのあの話だろうか。

「安心して、私も乗ってるから」

 ミシェルもにっこり笑う。

「そうなの? あなたたちの為なら私頑張ってみるわ」

「「頑張らなくていいわ、ヘディ。そのままでいいから」」

 何故か慌てて引き止められた。どうして?



「ヘディ、後でボートに乗ろう」

 誘うナジュドの言葉はもう異国風じゃない。最初の時は揶揄われたのか。

「ドレスをありがとう」というと「よく似合っている」と両手を広げて褒める。


 ナジュドは今、立て襟の綺麗に刺繍が施された濃い色の服を着て、ショールのようなものを身体にぐるぐる巻いている。とても似合っている。そう思って見ていたらナジュドが嬉しそうに笑った。


「そうね」

 返事をする前に、ナジュドは人差し指を出し、カードを出して手品を始めた。机の上にパラリと綺麗にカードを並べ私が一枚選んで、彼がそのカードを当てる。

 やがて「ここに居たのか」とナジュドの友人が来て連れて行った。

 彼は引っ張りだこで一つ所にじっとしてはいない。



 カードと一緒に取り残されてしまった。ひとりでソリティアをして遊ぶ。

「どうした、ひとりか?」

 目を上げると金髪碧眼の王子様がいた。こんな時に出現するのね。

「エドウィン殿下、占いをしていました」

 立とうとするのを制して、飲み物を渡してくれて目の前の椅子に座る。洗練されたその動きは先程の男と好対照だ。いや、どちらも洗練されている。私の付け焼刃とは違う。


 落ち着かなくてすぐに立ち上がって逃げ出したい気持ちと、ゆっくりとグラスを傾けながら目の前の王子様を見ていたい気持ちと──。


 ああ、分かった。

 この人は私を母と同じ目に遭わせる。とても愛している、でも同じくらい憎い。心が引き裂かれる。

 母は男爵様を愛していたんだろう。そして男爵夫人も男爵を愛していたのか。

 だから私に呪いをかけたのか。


「ナジュドは止めておいた方がいい。国に帰れば、お妃が3人、側室が5人、恋人は沢山いるそうだよ」

 目をぱちくりとした私に「ジョークかもしれないがね」と顔を横に向ける。

 その方向には例の異国人がいて女性に囲まれて談笑している。私の前世の知識でいえばジョークとも思えないけれど。


 何と言えばいいのだろう。ナジュドはイレギュラーみたいな人だ。物語に出ないような人。何でここに居るんだろう。


 そしてイレギュラーではない人がやって来る。

「本当にわたくしもうかうか出来ませんわね。あなたのような方がいらっしゃると殿方は皆そわそわして」

 令嬢アルヴィナは口元をそっと扇で隠す。私の身分は低いので黙って聞くしかないのかしら。ちゃんと婚約者を捕まえていて欲しいわね。


 そう思ったけれど、本当に捕まえてさっさと行ってしまうと、私は──。


 だから、そうなる前に、ゲームオーバーにしなきゃ。

 サヨナラ──。

 私はとても怖がりになったのかしら。


 あの人を捕まえて、このアイスブルーの瞳で篭絡して、そして、そして──。


 私のこの顔は、このアイスブルーの瞳は何の為にあるのか。

 私はどうしてここに居るのか、呪いのように何度もやり直すのはもう嫌なのだけれど。




「綺麗なお嬢さん、月が綺麗だよ、散歩に行こう」

 見上げると大袈裟な手つきでハンカチを差し出される。泣いていないわよ、涙は転げ落ちそうだけど──。

「お邪魔したかな」

「いえ」

 ナジュドは私の手を取って立ち上がらせる。テラスを抜けて外に出た。


 なるほど綺麗なハーフムーンが輝いている。庭園には所々明かりが配してあって結構明るい。

「俺は卑怯なんだ、ヘディの弱っているところに付け込みたい」

 囁く言葉は私のたどたどしい彼の国の言葉と違って流暢だ。これが彼の本当の姿なのだろう。


 私の肩を抱き寄せる男は、コーデリアの商会の取引先だと聞いた。

 異国の客人。日焼けした肌の色、鈍色の長い髪、群青の瞳、薄い唇は大抵にっこり笑っていて、とても綺麗なお顔だけれど──。浮気な人なのかしら。

 しなやかに歩く姿はネコ科の動物を思わせる。きっと上等のビロードのようにとても手触りが良いだろう。触ったらその爪で引っ掻かれるかしら。


「そうね、お妃が3人、側室が5人、恋人は沢山?」

「誰だい、その羨ましい男は」

「あなたの事よ」


 庭園を抜けて坂道を下って行くとボートハウスに着いた。魔道灯に照らされた桟橋に、まるで用意してあったかのようにボートが繋がれていて、ナジュドは軽々とボートに乗ると手を差し出す。彼の手に掴まってボートに乗った。


 ナジュドは櫂を握って力強く漕ぎ出した。

 暗い湖の湖面に広がる月と星が、櫂の作る波で形を変えて広がって行く。

 湖の真ん中に出てボートは止まった。

 別荘の明かりが少し遠くに見える。

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