第3話 不敵に笑うは男装の妖狐

 思いがけぬ少年の発言に、教室の中が一瞬どよめいた。生徒たちの多くもまた、梅園六花の姿に畏敬の念を抱いていたからに他ならない。そんな彼女に対し、正面切って疑問を投げかける気骨のある者がいるとは。

 声の主は妖怪だろうな、とトリニキは呑気に思っていた。人妖共学の学園が成立している事からも解るように、基本的には妖怪たちは人間に対して友好的ではある。だがそれでも、彼らの方が上位種族である事には変わりない。トリニキはその事を知っていた。彼の生家が、悪事を働く妖怪と闘う事を生業としていたのだから。

 もちろん、六花自身も黙ってはいなかった。


「誰だ! ひとの事情を知らずに免罪符だのなんだのと囀るクソダボは!」


 教室のどよめきが一瞬にして静まった。愛くるしい面立ちからは想像もつかぬような剣幕の恫喝だった。雷獣と聞いていたからその声はまさしく雷鳴のようでもあった。癖のある銀髪がふわりと浮かび、その周囲に小さな稲妻が走る所さえトリニキは見てしまったのだ。

 沸点の低い子だわこれは。恐らく生徒も教師も満場一致でそのような判断を六花に下したのであろう。何せクソダボなどと言う、カンサイ地方にて最上級の罵倒さえ使ってしまっているのだから。


「そんな、クソダボだなんてとんだご挨拶じゃないか、梅園さん」


 静まりかえった教室の中で、少年の声は朗々と響いていた。今度は何処で誰が発言しているのかははっきりと解った。声の主は、事もあろうにその場に立ち上がって六花を見据えていたのだから。

 少年とも少女ともつかぬ声の主は、概ね男子生徒のように見えた。と言っても今どき珍しい学ランを身に着けていたからそう思っただけではあるけれど。もっとも、学ランやズボンだから男子生徒と決めるのは早計であろうが。


「初めまして梅園さん。僕は宮坂京子って言うんだ。残念ながら女として産まれちゃったんだけどね。それはそうと、僕の事は気軽に宮坂君とか宮坂さんって呼んでもらったら嬉しいな」


 学ラン姿の生徒――実は女子生徒だった宮坂京子は、胸に左手を添えつつ自己紹介を行っていた。

 あの子女の子だったんだ。宮坂京子が男装女子であると判明したトリニキは、若い頃に読んだ短編小説を思い出していた。あれはたしか、宝石を持つ貴族の少女が、男装して少年兵士になっていた話だ。そこまで思い出してトリニキはかぶりを振った。

 あの話は宮坂京子とは無関係だ。それに何より、子供に明るく語って聞かせられるようなエンディングを迎えた訳ではない。むしろいっそ、残酷なエンディングではなかったか、と。

 そのように思案を巡らせていたためか、教室内で湧いた黄色い声――今回は女子たちの歓声であるとはっきりと判った――が遠くから聞こえる声のように思えてならなかった。

 宮坂京子はなおも起立した状態で、芝居がかった様子で言葉を続けた。


「ただ、このクラスの風紀委員として、編入生である梅園さんに注意したくてね」

「宮坂さん、委員決めは自己紹介の後に行う予定なんだけどなぁ。風紀委員だって、君意外に志望者が出るかもしれないからね」


 今宮先生のツッコミは、意外にも何処かズレてすっとぼけたようなものだった。今この状況で言うのか……と、現にトリニキも脳内でツッコミを入れてしまったほどである。


「鳥塚先生もそう思われますよね?」


 狸教師はジト目のトリニキに対し、事もあろうに同意を求める始末である。トリニキは曖昧に頷くのがやっとだった。


……ホントにカッコいいわ」

「ほんまそれだわ。男子以上にイケメンだもんねぇ」

「うちら、もうに風紀委員をやってもらっても構わないって思ってるから」

 

 乙女たちの声をトリニキは戸惑い半分納得半分に聞いていた。トリニキは男であるが、年頃の少女が漢を疎み同性である少女や女性に恋心を抱くのはよくある事だと知っていたからだ。それは彼女らが異性愛者であったとしても。

 さもなければ、タカラヅカがああも乙女や淑女たちの心を掴みはしないだろう。

 それにしても。女子たちの声援を浴びながら、京子は言い放つ。


「梅園さん。君も中々度胸のある娘なんだねぇ。何せ朝の健やかな時間帯から、流血騒ぎも厭わずに来たんだからさ。しかもそれを絡まれたの一言で片づけてしまうなんて。流石だよ梅園さん。僕にはちょっと真似できないね」

「あんたみたいなか弱いに、アタシの真似なんざ荷が重いだろうね」


 六花の言葉はあからさまに皮肉を含んでいた。京子は笑みを絶やさないものの、それでも毛足の長い銀白の一尾がびくっと震えたのをトリニキは見た。


「てゆーかさ、流血沙汰って何だよ? 血の臭いをプンプンさせている訳じゃああるまいに、一体何を根拠に――」

「気付かなかったの梅園さん。肩口に返り血がついてるよ?」

「出鱈目を。そんな所には血は飛ばなかった――」


 途中まで言いかけて、ハッとした六花は口をつぐんだ。トリニキの視る限り、京子の示した所のみならず、返り血らしい物は目立たない。

 京子はここで笑みを深めた。全くもって妖狐らしい、狡猾でしかも残忍さを具えているような笑みだった。


「ふふふっ。カマをかけてみたんだよ。でも梅園さん。今ので言質が取れたね」


 が。短く言い捨てると、六花は渋々と言った様子で頷いた。


「宮坂京子の言うとおりだよ。アタシをただの、遊び好きな女だと思い込んだアホが三人くらいいてな、そいつらを撃退しているうちにこんな時間になっちまったんだよ」


 夕方にでもニュースになるんじゃねえの? その後六花は淡々とそう言っただけだった。


 休み時間。職員室に引き戻ったトリニキは頭を抱えてため息をついていた。このあやかし学園が五十分受業制であり、その合間に休み時間があるのが実にありがたかった。

 とはいえ、この休み時間がここまで有難く感じるとはトリニキも想定外であったが。むしろ予備校では一マス九十分だったから、頻繁に休み時間が来ることに違和感を覚えないかと心配していたほどだ。


「大丈夫ですか、鳥塚先生」


 トリニキの許にやってきたのは米田先生だった。彼女は確か四組の担任を行っているという話だった気がする。


「さっき今宮先生からお話を聞いたんですけどね、編入生の梅園さんは元気な子で……風紀委員になった宮坂さんがとっても張り切ったそうね」


 やっぱり物は言いようなんだな。そう思ったものの、今のトリニキには笑う気力さえ残されていなかった。生徒たちを甘く見ていたのだと思い知らされたからだ。梅園六花が教室に入って来てから、場の空気は彼女らに掌握されたも同然だったのだ。ベテランと思しき今宮先生ですら、彼女らをなだめて誘導するのがやっとだったのだから。


「それにしても宮坂さんも、新学期早々編入生の女の子に突っかかるなんてねぇ……あの子、基本的には女の子には親切なんですけれど」


 そうなんですか。トリニキの言葉には疑念の色が濃く浮かんでいた。宮坂京子も曲者だとトリニキは既に感じていた。


「米田先生。宮坂京子はどんな生徒なのですか。もしよろしければ、僕に彼女の事を教えてください」

「もちろんですわ。あの子の事も、前もって伝えていた方が良かったと思っていますし――」


 頷いた米田先生の顔には、何処か物憂げなものが浮かんでいるように思えてならなかった。

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