第七章 4
「……私は、やはりあなたが神の子に思える」
「なんで? 俺は知っての通りイカれちまってるぞ。昼間見ただろ。正気じゃねえんだ」
「それでも笑っていた。あなたの過去を、私は知らない。けれど、きっと笑えるようなものではないのだろうと……。しかし、そうであっても私に笑いかけて、『大したことではない』とでも言うような姿を見て、私は自分の矮小さを思い知った。今も、理不尽な感情を向けられていたと知っても、怒りもしない」
「だから、正気じゃねえから笑えたんだって。俺は自分に起こったことを、自分事だって思えねえんだよ。逃げてきたから。理不尽だろうって言ったって、それも自分のことだって思えねえから、感情が動かねえだけだ。要は無責任なんだよ」
アンドレーアは黙り込んじまった。まあ、ここまで言えばこいつも呆れたんじゃねえかな。
「……私は、あなたを自分より高い存在だと、思っていたかったのかな……」
片割れはボソボソと呟いた。自分で意識していないところでそう思って、自分を納得させていたんだろうか。俺はどうやら、こいつから色々と奪っていっちまったみたいだから。相手は自分より高い存在なんだから、大切なものを取られても仕方ない、って具合に。でも実際は、さっき言ったとおりだ。俺は残念ながら、全く大した存在なんかじゃない。
「……父はいつも、私を通してあなたを見ていた。あなたのために日々祈る彼を見てきました。私が出遅れたせいで、私の代わりに兄弟は死んだのだから、彼の分も立派に生きねばと……。なのに、あなたが生きていたと知っても、私は素直に喜ぶこともできない。なぜ、私は……」
俺の分も。二人分の命を背負っているつもりで生きてきたんだろう。なら、俺が生きていたとなったら、余計に背負ってきた一人分の苦労は何だったんだ。そう思うのは当然じゃないか。
「……『私は苦しんでいい身分じゃない』ってか?」
「あなたを前にして、こんな弱音など吐きたくなかったのに」
互いの境遇なんて知りやしない。今少し話したくらいで、これまでの人生の説明なんてしきれない。たぶん、こいつは俺のほうが自分より悲惨な経験をしてきたんだと思っている。そうかもしれない。けど、俺のこれまでの人生全てが悲惨さでできてるわけじゃねえし、それなりに楽しかったことだって、思い返しきれないほどある。ただ、今は悪かったことに目が向きがちになってるってだけだ。
「……なあ」
「……はい」
「俺の分まで背負わせて、悪かったな」
十五でパレス大に入って、神官修行もこなして、この若さで正式な神官って認められるってのは、並の努力で成し遂げられることじゃないはずだ。こいつが俺とほとんど同じ人間なら、周りが『天才』なんて評価しようが、実際はそんなものじゃない。そりゃ、元のでき自体は悪かねえだろうけど、血反吐出すくらいの気持ちで臨まなきゃ、たぶん無理だ。仮に逆の立場だったとして、俺はそれができただろうか。……まあ、ほとんど同じ人間なら、その立場に置かれたら俺にもできたのかもしれねえ。けど、別の環境で育って今こうして生きてる『俺』だったら、できねえだろう。俺はこいつから母親を奪っておいて、そんなこととは露知らず、まあまあ適当に生きてきた。どっちのがしんどかったとか、比べられるものじゃねえ。実際にその人生を生きてみなきゃ分からねえことなんて、いくらでもある。
なんて、俺は考えながらぼんやりしてた。そうしたら、アンドレーアが微妙に声を震わせながら言いだした。
「……違う。私はそんな、崇高な理由で努力してきたわけじゃない……。私はただ、父を独占したかっただけだ。私の背後にもう一人の影を探されることが嫌だった。彼の前にいたのは私だけなのに……。父が意図せずそうしてしまうのも、仕方がない。分かっている。けれど、あなたが母の愛全てを受け取ったのなら、私は父の愛全てを受け取りたかった。そんな幼稚な感情に任せて、躍起になっていた。それだけなのに……」
「そりゃ、思うだろうよ。覚えてもいねえ兄弟の姿いっつも重ねられて、気分いいわけねえ」
「――そうやって、『仕方ない』と、達観した態度をとるな!」
アンドレーアが掴みかかってきた。俺の薄い上着の襟を両手で握りしめたこいつの、昼の光の下では青く輝く両目が、同じ色した俺の目とかち合う。月光が、小さな海から溢れた雫を、水晶のかけらみたいにきらめかせた。それが見えたのも一瞬、アンドレーアはずるりと砂の上に膝をついて、うなだれた。
「あなたと張り合えない自分が、情けない……」
俺と同じこと考えてやがる。双子ってのは、こういうものなのか? それとも俺達だから?
「……なんでだか、似てんだよな。互いに相手に張り合えないって思ってる」
比べたらきりがねえ。それでも比べたがっちまうのは、相手が自分とほとんど同じ人間だって感じてるからか? 初めは、せいぜい見た目くらいしか似ちゃいねえと思ってたのに、少し腹割って話せば、もういいってほど思い知らされる。結局、根本的なところが同じなんだって。
俺も砂の上に膝をついて、泣いてる片割れの背中に腕を回してみた。俺よりも、やっぱりほんの少し肉付きが薄い。……いや、今は同じくらいかもしれない。俺はここ最近で結構痩せた。なんて思っていたら、俺の背中にも腕が回ってきた。
無性に、懐かしいような感情が込み上げてきた。生まれる前は、こうしていたんだろうか。互いの心音が、一切のずれもなく重なってくるのを感じる。元々一つだったみたいに――、いや、間違いなく元は一つだったんだ。
言葉は不必要な気がした。理由なんざ分からねえ安心感で満たされていく。忘れていた感覚を取り戻すような奇妙さは、嫌なものじゃない。俺たちは黙ってるだけでいい。言葉で言い合うより、この方が伝わる重要な何かがある。俺がそう感じてるのと同じように相手も感じてるのが分かるんだ。『気がする』んじゃない。確信できる。
寝ちまったのかと思うくらい、静かで、穏やかな時間だった。空が薄く白んできて、遠くの方で雷光が輝くのを見た。
「……そろそろ離れようぜ」
俺は途中からヤシの幹に背中預けて、もたれ掛かってくるアンドレーアを抱えていた。いい加減体が疲れてきた。こいつだって、そんなに居心地良さそうな体勢じゃねえのに、離れねえからそのままにしておいたけど。もう夜も明けちまうってんだから、十分だろ。
「……もう少し」
「子供かよ」
思わず笑っちまった。でも、考えてみりゃ、こいつは親にも大して甘えてこなかったんだろう。俺は親父や、調査隊のやつらや、マリアとかに甘えて、程々に甘やかされて育ってきたけど。それなら、俺が貰ってきた分、こいつにいくらかやってもいいか。
「しゃあねえな」
言って、アンドレーアの、俺よりよっぽど艶が良くて柔らかい髪を指に巻いて、頭を撫でてやった。そうしたら、
「それはやめてください」
って俺の手を煩わしそうにどかすんで、可笑しくなっちまった。俺もガキの頃、こんなふうに嫌がったりしたもんだ。
「触り心地がいいんだよ」
俺はもう一度、癖っ毛を揉んだ。アンドレーアはたぶん諦めたんだろう。嫌なら離れりゃいいのに離れねえんだから、実際は大して嫌じゃねえんだ。
また遠くで雷が光った。ラピスラズリとアメジストが融け合って彩る明け方の水平線に、アンバーの色が混ざり始めて、海はアイオライトに染まってくる。太陽が顔を出すまでは、こいつを甘やかしてやろう。そうしたら、帰って寝るんだ。
なんだか、久々に気分良く眠れる気がする。
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