1-8.誘導

 子羊の燻製肉やソーセージなどといった豪華なツマミと一緒に果実酒をちびちびやりながらアレクサンドラが理解したのは、クラウゼ青年は商人としては致命的に人が良く、夢想家だということだった。


 搾取は取り引きとはいえない。取り引きというからには相応で公平な価格で、お互い納得して行わなければ。

 それはそうだろうが、弱い立場の者が泣き寝入りすることになるのが世の常だ。

 買い叩かれようがまったく利益がなくなるよりは良い。高値だろうと生きるために必要な最低限のものは手に入れなければならない。

 足元を見られるのは常に弱い立場の人間なのだ。


「僕は今がチャンスだと考えていたんです。戦後の混乱で王がいない状態の今なら新しく始められるんじゃと。だけど欲深い人間は僕よりもっと抜け目がなかった」

 それはそうだ。世の中、欲深くてズル賢い人間が得をするようにできているのだから。富める者は更に富み、貧しい者は更に貧しく……。


「だけど考え直したんです。従来の交易ルートを支配したところで食品や木材や毛皮の利益は少ない。だから独占しようとするのだろうけど……。僕はもっと別のものに目をつけたんです」

 酔っぱらって死んだ魚のようになっていた水色の瞳が輝いた。

「この刺繍です」

 エンドウ豆のポタージュを口に運ぼうとしていたアレクサンドラは「は?」と目を丸くする。


「僕も持ってます」

 腰のベルトの袋からクラウゼはクロスを取り出した。

「この刺繍、作者はあなたですか?」

「いいえ、違う」

「じゃあ、ターニャさんはそのショールはどこで手に入れたんですか?」

「さあ、どこだったかしら……」


「このクロスの刺繍と同じ作者のものですよね。僕はこれをそこの露店で見つけたんです」

「……」

「驚くほど安値で買えました。これ、金持ちのご婦人の目に留まれば、三十倍の値段ででも欲しがりますよ」

 確かに、素材は質素だが、ユナリアの刺繍の技術は素晴らしくデザインは斬新だ。清楚で繊細で、色糸を使っていないのにゴージャス。良い材料を使えば、富裕層向けの商品になるだろう。


「この作者を紹介してもらいたくて、露店の主に訊いたのですが知らないっていうんです。持ち込まれたものを買い取っただけだって」

「ほかに、露店であなたの目に留まったものはあった?」

「え? ええ。絡んだ根っこが持ち手になってる水差し、あれ、おもしろいよな。節がそのままの木ベラも。ああいう野性味があって素朴なの、イマドキ都市では珍しいから、店に並べたらおもしろいだろうなあ」


 無邪気な口ぶりにアレクサンドラは思わず笑う。

 ――妖精はただ、きれいなものや珍しいものが好きで……

 そういう性質は、人間の中にだって多々ある。

「ターニャさん、なんで笑ったんですか」

「いいえ、別に」

 ただ人間は、利用する者とされる者とに分かれるけれど。


 すでにまったりしているふたりの後ろをどやどやと荒い足音の一団が通り過ぎた。

「見かけない美人がいるぞ。おいおい美人さん、そんなつまらないガキと飲んでないで俺たちの杓をしてくれよ」

 とんでもなくツマラナイ誘い文句だ。クラウゼの誘い方のほうがまだ気が利いていた。


 鼻白んだアレクサンドラだったが、表情を取り繕って男たちを振り返った。

「私は酌婦じゃないし、ここはお酒とお料理の味だけで充分満足できるお店でしょう」

 心配顔で窺っていた店員を手招きし、アレクサンドラは銀貨を数枚渡した。

「こちらの皆さんにとびきりなのを振る舞ってあげて」

 一団は歓声をあげて店の中央のテーブル席に落ち着いた。

「豪胆な美人さんに乾杯!」


 調子よく乾杯するのに肩をすくめてみせてから、アレクサンドラはそっと席を立った。

「ターニャさん! どこに行くんですかっ」

 酔いで朦朧としつつクラウゼはアレクサンドラの手を握る。

「ちょっと外の空気を吸ってくるだけよ」

「戻ってきてくださいよ」

 はいはいと宥めてアレクサンドラは通りへと出た。

 いつの間にか日は暮れて、露店はみな撤収した後だった。


 もっとしっかりと目を配っておけば良かった。ユナリアの刺繍やヘンリックさんの木工品が並んでいたかもしれなかったのに。

 飲食店は賑やかだが、通りには人もまばらだ。少し考えてから、アレクサンドラは鐘楼のある礼拝堂へと向かった。


 閉まっていた扉を開くと、中は暗かった。扉を開いたままにして祭壇に向かって数歩進む。

 扉から差し込む月明かりがギリギリ届く位置で待っていると、彼女を追ってきた足音の持ち主が現れた。

 顎髭を生やした上背のある、亜麻色の髪の男性だった。

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