ソーサリー・ピース
とm
冒険のプロローグ
Ⅰ
───ん……。
窓枠の向こうでパタり、はためいては、朝を告げるように囀ずる可愛らしい小鳥たちに、寒そうでいて淋しげながらも、気合を入れる人々の話し声。
頬を霞かすめるイジワルな冷気に、追い出すのを躊躇う優しいコットンの温もり。
眉根を寄せつつ、左向きで沈む体を、猫のように伸ばしながら瞼を開けると、瞳にボヤけた灰青色が差し込んだ。
もう朝か─────
洗いたてのタオルを抱きしめるようなワクワクと、未知の世界への緊張感が、いやに居心地の悪い寂しさを引き連れて、肥大化していくのが分かる。
そう───今日は試験日であり出立の日。
───準備しないと!!!
グッと気合を入れると、ふかふかのマットに手をつき、膝をマットに食い込ませながら上体を毛布から引き上げていく。
毛布が背中を撫でるようにして身体から離れていくと、さっきまで傍そばにいた温もりが霧散した。
寒い──腕を抱き、肩を震わせる。
いつもなら、すぐにでも毛布を脚に掛けるだろう。けど、今はそんな気にならなかった。
すぐにでも制服を着て、外を巡りたいからだ。
身体から離れた毛布の端がベッドから垂れていて、床に触れそうだという事にも構わなかった。
正座になると、再び伸びをしながら盛大なあくびを漏らした。
どうやら脳の方は、まだ切り替え中らしい。 少しもどかしい。
伸びが終わると目尻に涙をポツリと浮かべ、左手を暖房用リモコンへと伸ばしてボタンを押した。
「あれ?」
身体を洗面所へ向かわせようとしたところで、ふと、部屋中に鳴り響いているはずのものが鳴っていないことに気付く。
何となく気になって視線を近くの時計へとずらして行く。
早く起きすぎたかな───
目覚まし時計が鳴るより先に、目を覚ますことなんてよくある事だ。今日もきっとそんなとこだろう。
そう思う私だったが、視界の中央に時刻を捉えた瞬間、思わず呼吸を止めてしまった。
(えっ……? なんで鳴ってないの?)
しばし、フリーズする。
(て、それよりも)
六時四十五分────────って。
血の気がものすごい勢いで引いていく。
溢れんばかりの焦燥感が一気に胸の麓ふもとまで押し寄せてきた。
「ヤバっ……!」
慌てはためく手足を使い、醒めきれない身体を無理やりベッドから投げ降ろす。
昨日、消灯した後、微かに残ってくれた寝室の温もりはスッカリ消えていて、代わりに家を訪れた冷気によって布団を出て直ぐの身体を強ばらせた。
(ヤバいヤバいヤバいヤバいって……! 予定より十五分遅いじゃん!!)
七帖程の冷たい木床をトストス。
「寒っ」
強張る足を走るにしては遅い速度で進めながら、腕を抱き、細く小さな叫びを上げて、カントリーチックな部屋を駆ける。
(て、あ!!!!! 昨日の私、なんで設定しなかったの!!???)
鳴らなかった理由、それは目覚まし時計の設定を変更し忘れていたからだった。
ちなみに、普段の設定では七時十分と、八時半頃から始まる仕事に備えていた。
それに今、気付いたのだ。
昨日の有り余る時間に後悔の炎を燃やしながら「この私のポンコツやろー!」 と、叫ぶ。
つい勢い余り、洗面台にもたれかかる──が、何とか体勢を戻して鏡の自分と顔を見合せた。
(まあ悔やんでても仕方無いし、取り敢えず出る時間を七時に変更……あ、これは……)
鏡に映る自分の、白めの目尻にカサカサとした結晶、頬骨を起点に薄い糸がぶら下がっている。
それを見つけた途端、トレーラーハウスの入口。そのオレンジの電灯が照らす入口階段に座った、黒髪セミショートの女性。
ロンリーさんの"泣き笑いする姿"が脳裏にチラついた。
私は、思わず瞼を閉じる。
「うわっ」
突き刺すような冷水を勢いよく両手に浴びせると、感情ごと洗い流せと、バシャバシャ擦りながら目元を洗っていく。
最悪だ。さっきのフラッシュバックにどうでもいい笑い話や愚痴、その後の会話までもが掘り起こされてしまった───────
あーーーーー!!!!!!!!!!!
私は叫ぶ。
❄︎
昨日の夜、私はみっともないくらい大泣きした。
寝る準備を済ませて八時頃、家の中、眠気も無く、でも早く寝たいなと布団を被ってゴロゴロしていると、ノックが聴こえた。
明日の話かな。 眠くないからちょうど良かった。 などと思いながら、部屋の蛍光灯をそのままにドアを開けると、仕事帰りでクタクタになった筈はずのロンリーさんが、どういう訳か元気そうに、愉快な笑みを浮かべて誘ってきた。
『今、デッカい彗星来てるんだけど。 見に来てみない? 眺め、良いとこ知ってるんだ』
「え? 」
めっちゃ元気そうじゃん、いつもは
なんか鼻に指やってフフんとか、言ってるし。
私が明日、朝早くにここを出るから張り切ってるのかな。 今日逃したら暫くは長話、出来そうにないし。
そんなことを思いつつ私は、「仕方ないなー。 眠くなったら帰らせてねー」と、ロンリーさんの誘いに乗った。
戻れるなら私を殴ってでも寝かせてやりたい。そしたらこの恥ずかしさも消えて気まずくなくなるから。
私は、その誘いに乗ったあとの出来事を思い、猛烈に後悔している。
❅
というかそもそも、いい眺めって誘われて来た場所がロンリーさん家の玄関先ってどうよ。
家うちから一歩外に出て眺めるのと変わんないじゃん。
何なら、帰りちょっと長くなるのあの後だからキツかったし……
あ、そか、アイツ泣いてもすぐ帰れるように、あの場所で……
今となっちゃどうでもいいけど。
洗顔を終えると、私はほんの少し赤くなった目元に顔を顰しかめながら、ため息を漏らす。
とはいえ、綺麗だったなー。 カエムル彗星。 三百年に一度だっけ。 すごいなー。
なによりその三百年に一度が、昨日っていうんだから。 偶然ってやつ?
───────いや、合わせる顔が無い!
(もういっそ、今すぐにでも出発しようかなっ……こっそり抜け出してね……て、まだ皆にお礼出来てないんだよ私)
自分にツッコミつつ、大きめのため息を漏らす私。 惨めだ。
───割り切るか。
歯ブラシと歯磨き粉を取り出す。
歯ブラシに歯磨き粉を付けると、歯磨き粉を元の場所に戻した。
せかせかと歯を磨きながら、空いた手で櫛を取り出し、肩まで伸びた赤毛の跳ねを梳いていく。
普段は別々にゆっくりと済ませていくのだが、今回は時間がない。 新しい技に挑戦してみる事にした。
(それにしてもあと六分か。 最悪、朝ごはん抜きで……)
寝癖が落ち着いてきたところで、櫛、歯ブラシを洗い、口内を軽く漱ゆすいだ。
(いや、やっぱご飯は食べておこう。
入学式の途中にお腹鳴ったらやだし)
タオルで顔を拭き終わると、再び木床を駆ける。相変わらず冷たくはあるものの、足はもう馴染んでいて、なんか凄いなって思った。
そして、冷凍庫を開けると、レーズン入りの大きめな蒸しパンを取り出してレンジで温めた。
(まだ温まって無さそうだけど、時間無いからなー)
少し暖めた後の蒸しパンが乗る皿を、コンと音を立てダイニングテーブルに乗せると、次は食器棚の元へと向かい、今見ると不出来に思える陶器のコップを取り出した。 相変わらずこの部屋の雰囲気と合っていない。
続けて、冷蔵庫から大きめの真空ドリンクボトルを取りだして蓋を開け、作り置きのフルーツジュースを不出来なコップに注いでいく。
甘酸っぱい香りに、新鮮なフルーツを頭に浮かべた。
(余った分は皆に配るとして)
ふと時計を見やる。
(あと三分か)
フルーツジュースを余した容器を冷蔵庫に戻すと、バタッ───────そっそっそっそっ……
コップからジュースを零さぬよう、気を付けながらゆっくりと食卓へ向かう。
無事に着くと、陶器コップをテーブルに置き、椅子に深く腰掛けた。手を合わせる。
あ。
特性クリームが乗った手のひらサイズの皿を、冷蔵庫から持って来たところで、改めて手を合わせ、朝食が始まった。
(冷た。 けど……。 美味い。 でも今日はちゃんと温めて食べたかったな。 ちゃんとお礼言えずにここ出る方が嫌だから我慢するけど。
しっかし、これがしばらく食べられなくなるのか。 ちょっと寂しいな。 リルコでエッグベネディクト食べられるのは、楽しみだけど)
リルコとは、ラポール郊外の国境手前に立ち並ぶオーニングの一番前にあるカフェで、正式名称は【Lyrical Lucks Coffee】。
外観、内装ともにシックで洗練された開放感を煌めかせていて、初めて入った時はその見慣れない内観に目を白黒させていた。
そういえば、あの時立ち止まってあわあわしてた私に声をかけてくれた優しい店員さん。
マナーや注文の仕方、この店のオススメまで教えてくれて、ほんと天使みたいだったなー。
まあ。 終始側で、笑い堪えて見てただけのネクレスとガイドさんは悪魔みたいだったけど。
店員さん、元気してるかなー。
ちなみにエッグベネディクト、(正確にはラポール特性のエッグベネディクトだが)は、その店のオススメだ。
───────て、早く食べないと!!!
「ご馳走様!」
両手を合わせて、洗ったお皿とコップを食洗機に入れると、最後は制服に着替えるべく、ハンガーポールの元へと走りだした。
そして、ハンガーポールに着くと、先ずその横のベッドにベージュのパジャマを脱ぎ捨てる。
あ、そういえば。ここを出たら、皆に家の掃除とメンテを任せることになるのか。
場合によっては、工事とかも。
ただでさえ忙しそうなのに、なんか申し訳ないな。
下着姿になった私は、悪い魔女が植えた木のような形をしたハンガーポールから、急いで制服のシャツとリボン、ジャンパースカートにボレロを取り外していく。
このハンガーポールもこの家には場違いだな。
ふと、口角が緩んだ。
友人のウォリーと会って間もない梅雨の出来事を思い出したからだ。 ハンガーポールやコップ、椅子をDIYすることになったあるバイトの休日。
作ったはいいものの出来は最悪で、椅子に関してはその日の内に使い物でなくなってしまったが、ウォリーは『幸せ』だと、呟きながら号泣していた。
訳も分からず私もその涙に釣られちゃったんだけど、それをキッカケにウォリーといえば"泣き虫"、私と言えば"貰い泣き虫"というレッテルが付いたのは苦くもある"いい思い出"だ。
「もう、二年か」
きっと今日も盛大に泣いてくれるだろう。貰い泣き虫の私からすると、何としてでも我慢して欲しいんだけど。て、誰が貰い泣き虫や! ついツッコんでしまった。
まあ、あの泣き虫ウォリーだから仕方ないか。ハンカチ持っていこ。
ちなみにウォリーは、私の数少ない友人の一人であり、色々とお世話になったバイトの先輩でもある。
シャツの胸元に緑のリボンをあしらい、風モチーフのロゴが胸元に入る紺のジャンスカを着ると、風をモチーフとしたエンブレムが煌めく水色のボレロを羽織り、長めの靴下に脚を通していく。
最後に後ろ髪を結い上げると、仕上げに近くにあるサッチェルバック風指定バックを持ち上げ、その中に入ったコンパクトミラーを取りだした。
頭上にかざして身だしなみをチェックする。
まずポニテはOK。スマイルは、ちょっとぎこちないけど別にいいとして。服の乱れは無しと。
(時間は七時六分。 あと二十分か。 やっぱ予定通りには行かないなー)
(て、どうしよ。 まだ気まずい。 皆、特にロンリーさんと会うのがめちゃくちゃ気まずい。 どうしよ)
(……取り敢えず出るか)
コンパクトミラーをバッグにしまい、玄関へと走った。
(て、パジャマ!)
玄関の手前からベッドのもとへUターン。
急いでパジャマをたたみ終えると、ついでに忘れていた暖房の電源を切った。
そして、家具や電化製品、観葉植物に別れの挨拶を投げると、緊張とワクワク、複雑な思いを胸に携え、
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