―04― 下僕の儀式

「ただいまー」


 そう言いながら玄関の扉をあける。

 なんていうかものすごく疲れた。今日はいろんなことがありすぎた。

 ちなみにあの後、父さんに文句の一つでも言ってやろうと電話をかけた。


『まぁ、そういうことだから頼んだよ。うまくお嬢様のご機嫌をとってくれ』


 電話口での父さんはあまりにも呑気だった。

 どうやら逼迫したオレの気持ちが向こうには伝わっていないらしい。


「おい、よくこんな面倒なことに巻き込みやがったな!」

『ん? なんだ、奏生ならてっきり喜んでくれると思ったんだけどなー。だって、写真みせてもらったけど、めちゃくちゃかわいい子じゃないか。あんな子で結婚できるなんて、羨ましいやつめ』

「まだ結婚できるかどうか決まっていないだろ」

『あぁ、お嬢様のご機嫌が少し斜めみたいだからな。うまくご機嫌をとるんだぞー』


 そんな子供をあやすみたいなテンションで言われても。


『あぁ、あと、父さん用事でしばらく家に帰ってこないから』

『は?』


 詳しく聞こうと思った頃には、電話はすでに切れていた。ホント勝手なやつだ。


「ん?」


 玄関に入って異変に気がつく。見覚えのない靴が置いてあったのだ。とはいえ、心当たりはある。


「おかえりなさい、お兄ちゃん!」

「あら、奏生じゃない。いつもクラスでぼっちでいるあなたの家にかわいいワタシが遊びに来てあげたわ。どう? うれしいでしょ?」

「別にうれしくねーよ」


 やはり予想通り、寧々が家に遊びに来ていた。どうやらリビングで妹のアキとゲームで遊んでいたようだ。はぁ、なんでオレの周りにいる女はこう面倒なやつしかいないんだ。


「さっきね、寧々ちゃんと偶然会ってね、だから誘ったんだ」

「そうだったか」

「えぇ、だから、ここに来たのはあんたのためじゃないってわけ。残念でしたね」


 得意げになって寧々がそう言う。


「寧々、夕飯も食べていくだろ」

「えぇ、そうね。せっかくだし食べてあげる。寧々様があなたの食事を食べてあげるなんて、ありがたく思うのよ」


 少しは遠慮したらどうなんだ、とか口には出さない。言ったところで無駄だからな。

 今夜は三人で夕食を食べることになりそうだな。父さんはしばらく帰ってこないみたいだし。

 寧々は週に三日ぐらいの頻度でこうして遊びにやってくる。

 なぜか妹のアキが寧々に懐いてしまったようで、遊び相手になってもらっているのだ。


「奏生、手伝ってあげてもいいけど」


 キッチンで夕飯の準備を始めていると、寧々が立ち上がってそう言った。


「そうやってこの前手伝ってもらった結果、悲惨な目にあったのをもうお忘れか?」

「あ、あれは、調子悪かっただけで」

「調子悪いで砂糖と塩を間違えるやつがいるか」


 そう指摘すると、寧々は不服そうに頬を膨らませる。なにも言わないってことは反論が思いつかないってことだ。


「ほら、お前はアキと遊んでいろ。料理は俺一人でやったほうが早いんだよ」

「まぁ、それもそうね」


 よしっ、これで安心して料理に取り組める。

 寧々は家事スキルが致命的なない。彼女に料理を手伝わせて、何度後悔するはめになったか。


「よし、できたぞ」

「わー、おいしそう」

「ホント、あなた料理の才能だけはあるよね。流石、ワタシの下僕」

「まぁな、料理だけは自信あるんだよ」


 賞賛の声ももらったわけだし、三人で夕飯を食べ始める。


「そういえば、今日、クラスに転校生がやってきたわよね」

「おい、ご飯を食べながらしゃべるな」


 せっかく悪くない気分で食事をしていたのに、風不死のことを思い出したせいでテンションが下がる。


「へー、どんな転校生がきたの?」


 妹のアキが尋ねる。


「ワタシと同じくらいの美少女だったわね」

「へー、それってすごい美少女じゃん!」

「でも、あぁいう可愛い顔をしているやつに限って、性格は最悪なのよ」


 確かに。お前が言うと説得力があるな。


「あと、付き合いが悪そうだったわね。『私、海外に住んでいたので日本のことよくわからないですー』みたいなこと言っていたくせに、いざ優しくしてあげようとしていた生徒たちのことを軽くあしらっていたし。まぁ、でも顔が可愛いから、それでも男子たちは彼女に言い寄るんだろうけど」


 寧々は風不死と席が離れていたくせに、彼女のことをよく観察していたようだ。さすが、コミュ力があるぶん、人を観察する力はあるらしい。


「あんたは転校生のことどう思った?」


 寧々はオレの目をまっすぐ見ていた。


「別になんとも……」

「なにその答え。席が隣だったよね。かわいい子が隣だからって、浮かれたりしないの?」

「席が隣だからって仲良くなれるわけじゃないしな。浮かれる理由がない」

「確かに、陰キャのあんたじゃ仲良くなるのは無理ね」


 そう、本当ならオレみたいな陰キャが風不死のような煌びやかな生徒と話すことさえできないはずだった。

 けど、事情が事情だ。

 オレはなんとしてでも彼女を堕とさなくてはいけない。

 ……と、そうだ。風不死とのこと、寧々に言ったほうがいいのかな? いや、言わなくていいか。うちの悲惨な借金事情なんて、聞きたくないだろうし。


「ねぇ、下僕。いつものやつやって」


 夕食後、寧々がそう話しかけてきた。


「仰せのままにお姫様」


 露骨にかしこまってそう口にする。すると、寧々はまんざらでもない様子で鼻を鳴らした。

 いつからこんなこと初めたんだっけ? オレたちの間にはおかしな習慣があった。


「どう? 女子高生の生足なんて滅多に触れないんだから、幸運に思いなさいよ」

「あぁ、ホントオレは幸運だよ」


 なんで、こんなことやってるんだろうとか冷静になって思うが、無心でオレは続ける。


「それにしても、昔より随分うまくなったよね」

「姫様のおかげだな」


 そう言いながら、オレは彼女の太ももを親指で押す。

 こうやって、時間があるとき必ずオレは彼女の太ももから足先にかけてマッサージをするのがオレたちの決まりだった。

 あぁ、そうだ。この習慣は彼女がオレを初めて下僕にすると宣言した日から続いているんだ。

 このマッサージは儀式のようなものだ。

 マッサージをされているとき、彼女はいつも満足そうにオレのことを見つめている。彼女のほうが目線が高いため、自然と彼女はオレを見下す姿勢になる。こうして腰を落としてかしずくように彼女の生足を触ることで、オレが下僕で彼女が主人であることをお互い再認識する。

 これはそういう儀式だ。


「ホント二人って、仲がいいよねー。結婚しちゃえばいいのに」


 二人の様子を見ていた妹のアキがそんなことを口にした。

 あまりの妄言に思わず親指に力をいれてしまう。結果、「ふにゃっ」と寧々が奇声を発していた。

 お前には、これが仲が良いように見えるのか。育て方を間違えてしまったのかもしれない。


「下僕がワタシの結婚相手とかおこがましいにもほどがあるでしょ」


 ほら、寧々もそう言っているし。


「えー、そんなことないと思うけどなー」


 アキ、それ以上おかしなこと言ったら、お兄ちゃんでも怒るぞ。

 ……結婚か。

 ふと、風不死のことが頭に浮かぶ。風不死が相手とは限らないんだろうが、オレも寧々もいつかは別々の人と結婚するんだろうな。そのとき、寧々とのこの歪な主従関係も終わりを迎えるのかもしれない。



▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽

【あとがき】

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