ショートショート・ワークス 恋慕譚集 超短編集

南瀬匡躬

第1話 おとぎ話は表参道で-両思いと言霊-

 美希は後ろで束ねた髪のゴム止めをほどいた。気が重い。終業時刻まであと数分。決まって週末の黄昏時は憂鬱だ。

「はあ」

 またも会社の同僚の範子がセッティングした合コンという大仕事が彼女を悩ませる。

 東京の下町と都心の境目あたり、馬喰町にある小さな繊維問屋の事務職員。花の東京を夢見て上京して三年目の夏だった。


『どうせ見栄っ張りの範子のことだ。また適当に会社とか大きく見せているんだろうな。今回はあたし何を求められるんだろう』

 設定を合わせてほしいという要求をしてくるに決まっているのだ。ため息が止まらない。

「前回は、銀座の生まれで、都内の小学校の幼なじみ。前々回は帰国子女。正直、あたしは女優じゃないからなりきれない。嘘がばれるし、話せなくなる」

 気が重いままバッグに荷物をまとめると、更衣室に向かった。

 コツコツと響くヒールの音が美希の後ろをついてくる。

「範子だ」

 美希にはすぐに分かった。範子の派手目のファッションに似合うのは常に高いヒールと知っているのだ。この会社の女性社員でヒールを履いて通勤してくるのは範子だけだ。地下深くにある駅から地上に出るのに、パンプスのほうが便利なのを皆知っている。だが彼女はあえて、ヒールを履いてくる。

「美希」

 範子は声をかけてきた。まだ更衣室にも着いていない。

「今日の場所は、ここね。別々に行くわよ」 


 そう言って後ろから背中越しに、一枚の紙切れを渡す。

『表参道駅前。Z1出口正面のビル、B1F 小料理 出雲 午後六時開始。モデルの卵って設定で』

 彼女は、美希に紙を渡すとすぐにコツコツと音を立ててまた去って行った。

 一方の美希のほうは、更衣室に入って、大きなため息をつく。

「どこをどうやったら、あたしのこのルックスでモデルの卵になれるのよ、もういい加減にしてほしいわ。もう、あたしってば美しくなっちゃえば良いのに!」

 半ばやけくその雄叫びをする美希。彼女の発した声が更衣室に響くと、先月、お参りした街角にある神社で受けたお守りが優しく輝き始めた。もちろん、彼女は気づいていない。

 そのままの髪で、ジーンズによれよれのTシャツ。カジュアルと言えば聞こえは良いが、着の身着のままの格好で美希は表参道の駅に着いた。地下鉄の窓に映る自分の姿に、モデルの素質など、みじんもないことくらい自覚していた。

「あと四十分か……。ちょっと早く着きすぎたわ」

 そう言って美希は近くのファッションビルに入ろうとしたそのとき、向かいから小走りに駆けてくる人影。手にジェラート、アイスクリームを持った少年とぶつかった。

『べちゃ』

 当然、少年のジェラートはコーンの部分からへし折れ、美希の衣服はジーンズも、Tシャツもチョコレート色に変色している。さらに美希は歩道に倒れて、尻もちをつく。

その上に、折れた片割れのジェラートが宙を舞ったあと、彼女の頭のてっぺんに着地したのだ。まるでとんがり帽子のように頭にコーンを載せた美希。髪の毛にはジェラートがしたたり落ちている。

珠佐生すさおなんてことを!」

 一人の男性が走ってくる。この少年の保護者のようだ。

「お怪我はありませんか?」

 見た目、男性は身なりの整った清潔そうな三十代後半の年上だ。

「大丈夫ですと言いたいところですが、これから会合に出るのにこの格好ではまずいので、どこかで洋服を洗って、乾かして……」と言った途中で、男性は「もちろんです」と言葉を遮った。そして彼は「失礼」と言って、美希の手を握ると、子供を連れて、真正面のビルに入った。

八幡やわた君、大至急、この女性に似合いそうな会食にいける軽めのフォーマルを用意して」

 男性は受付にいた女性に声をかける。

「はい、急いで用意します」

 女性は手慣れたもんで、美希の全身を軽く見ると、頷いて、バックヤードに入った。これでサイズが分かってしまうなど、プロ中のプロだ。

「三島君、この女性を急いで隣の美容室に連れて行って、髪を洗ってもらって」

「はい」

 今度はスーツでびしっと決めた男性が、美希の肩を押して、「こちらへどうぞ!」とビルの通路、廊下に出る。廊下の向かいには高級そうな美容室の店舗があった。

『美容室 別宮』と書かれた扉を入ると、カリスマ美容師のようなブラウンの髪をした男性が、待ち受けていた。

「至急、洗髪とパーティー用のナチュラルヘアで」と頼む三島。

「あの、パーティーでは……」

 正直者の美希は『単なる合コン』という事を告げようとしたが、言葉を遮られ、三島は美希を美容師にあずけると去ってしまった。すぐに洗髪を始める美容師。そこそこアイスクリームが落ちた頃に声を発した。

「じゃあ、ナチュラルヘアで」

 そう言って、長めのヘアピンを何本も彼女の髪に挟んでいく。斜めからはさみが入る。こんなおしゃれな青山の美容室なんて、一生縁が無いと思っていた美希。驚きを隠せない。二十分ほどで、髪のセットが終わる。大至急の割には女優さんのような美しい髪に仕上がっている。

 程なくして、先ほどの三島が入ってきた。

「終わってますよ」と美容師。

「ありがとう。請求書はウチに回してくれ」

「はい」

 その言葉を聞き終えると三島は再び、廊下越しの最初のファッション関係の事務所に戻る。試着室のような場所があり、今度は待ち受けていた洋服の手配をしていた八幡という女性が手を引いて、美希を押し込んだ。

「こちらは弊社のカジュアルにもフォーマルにも使えるドレスです。日常にお召しになっても違和感はございません」

 そう言って、水色のシンプルなワンピースを渡す。腰のところでリボン風に見えるベルトでウエストもきれいに見せられる。


 着替えが終わって、試着室の鏡の自分を見る美希。

「これがあたし?」

 そこに、いつものさえない、ぶーたれた顔の自分はいない。髪をセットして、エレガントな服を着こなす、田舎で夢見ていた東京の暮らしを、ほんのひと掴み手にしたような気分だ。

「お詫びと言っては何ですが、着たままお帰りください。差し上げますのでご返却は無用です。手前味噌の弊社製品で、まかなってしまい大変恐縮です。お召しになっていたものは、ランドリーにかけてこの紙袋に入っていますので。この度は大変失礼しました」

 珠佐生と呼ばれる少年の父親が丁寧にお詫びをした。

「いえ、こちらこそ、至れり尽くせりのご対応に感謝しております。ありがとうございました」

 美希も深々とお辞儀を返した。


 美希は範子に渡された紙切れを手に、合コンの会場に入る。なんとか開始時間には間に合ったようだ。

「ここよ」と範子。

 彼女と仲の良い女性社員三名が同席している。

 最初からあてがった席に勧められる。前の席にいるのは、冴えないくんと呼ばれる、眼鏡にぼさぼさ髪の男性だ。あまり仕事も出来そうには見えない。

「こんにちは」

 でも今日の美希は違った。与えてもらった借り物の自分のおかげで自信を持って、その冴えないくんに優しくしているのだ。

「こんにちは。僕、山都武彦やまとたけひこっていいます」

多賀御美希たがおみきです」

「綺麗な方ですね」と笑う彼。

「やだわ。お世辞ですか? おまけの役割の私に」

「そんな、僕こそいつもこんな数あわせの役割なんです。なのに美希さんはやさしい。モデルさんってお高い人ばかりと思っていました」

「だってあたしはモデルじゃないわ。単なる数あわせできているの」と正直に話す美希。鞄からほとんど使わない名刺を取り出して、机上のカクテルグラスの横にぽんと軽く放った。こんな時、いつもなら困った顔で、なんて答えようかと、範子にサインを送る場面だ。

 そして、「だってあたしもいつもあなたと同じような役回りだから」と素直に正直な気持ちで接した。

 彼は少し驚いた顔をしたが、言葉を続けた。

「そんなお綺麗なのに、数あわせのはずが」という冴えないくんに、美希は、

「今日はたまたまおしゃれできただけ。これもみんなひとのおかげなの」と笑う。

 美希はこの日初めて、合コンを最後までいた。いつもは用事を作って、半ば逃げ出す格好でその場を去る。ところが今日は楽しかったのだ。山都の飾らない日常のずっこけ話が楽しく、おなかを抱えて笑いっぱなしだった。合コンと言うよりも、慰労会の談笑時間のようだった。

 帰りがけに、さっき出された名刺をもらった武彦が、静かに頷いて、優しい目で美希の後ろ姿を見送っていた。


 翌日、会社に行くと美希の直属上司ではない仕入れバイヤーの津島が、庶務課の扉を開ける。

「ここに多賀御美希さんているかな?」

 美希はぎょっとした。発注ミスでもやらかしたかと杞憂の念を隠せない。思わずデスクで居住まいを正した姿勢で固まっている。

「美希。呼ばれているよ」

 隣の席の主婦、由紀子が肩を軽く叩く。

 我に返ると美希は、

「はい、あたしです!」と挙手した。嫌な汗が額を走る。

 出勤を確かめると津島は、

「おお、君が多賀御美希くんか」と親しげに至近距離に立った。

「なんでしょうか?」

 不安げな美希の表情に、津島は物怖じもせずに続ける。

「なんかね。仕入れ先の大手繊維メーカーの社長さんの息子さんがね、君の知り合いだそうでね。今年大学を卒業してお父さんの会社に就職する人なんだけど、話の流れで、本日出勤していれば連れてきましょうという事になってね。とっても重要な会社の社長さんだ。失礼の無いようにね」

 美希は首を傾げる。

「その御曹司とあたしに何の関係があるんですか?」

 すると今度は津島が首を傾げる。

「あれ? 昨日パーティーで同席したと先方はおっしゃっていたんだが、ここに多賀御くんって名字の人は君だけだよね?」

「はい」と言ってから、「パーティー?」と、再度小首を傾げる美希。


 津島に連れられて、応接室に向かう美希。そこにはバリッとスーツを着込んだ昨日の『数合わせくん』が座って居るではないか。

「山都君?」と美希。

「やあ」と右手を挙げる。

 今日はびしっと髪を整えて、しわ一つ無い衣服、メリハリのきいた群青色のネクタイ、山都はどこから見てもビジネスマンである。

 美希が彼の前に座ると、彼の横に座る年輩の男性が彼に変わって話し始める。

「実は昨日、ウチの息子が、すごく気さくで良い子を見つけた、と言うんだ。聞けば、御社は弊社の取引先、しかも今日、商談でお伺いする予定がある。それで急遽、息子が初めて気に入った女性のお顔を拝見したいと思いまして、失礼とは思いましたが、就業中で大変恐縮ですが、お呼び立てしました。親ばかと笑ってください」と言う。これが彼の父親である。銀縁の眼鏡に、グレイの髪、目元は彼に似ている。

「もしお時間があれば、終業時刻過ぎたら、ちょっと一席設けるので、今日は私もお仲間に入れてもらって、お話などお伺いできますか?」と彼の父親が言う。

 美希は「はい」とうつむいたまま、真っ赤になっていた。少しだけ顔を上げると、山都がウインクをした。

『あたしってば、もっと美しくなっちゃえば良いのに!』

 彼女は再び心中で呟いた。

 古来より「言霊ことだま」という不思議な魔法がある。心を込めて言葉にすると、それが現実になるという現象だ。美希の心願は成就し、わらしべ長者のような長者成功譚となった。単なる独り言が、アイスクリームから始まった一連の出来事を呼び寄せ、あっという間に社長候補の男性の恋人、そして婚約者へとつながっていくようだ。その先の話はまた機会があれば、お披露目しよう。

                                                                   (了)

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