第4羽

 抜け出す前は精神的に大変だったが、抜け出してからは肉体的に大変だった。

 家なし当てなし一文無し。

 無いこと三昧で途方にくれそうになりながら、太陽を背にして歩き続けていると鳩が意識を取り戻した。

「あれ? 俺まだ生きてんの? こいつはラッキーだ。てっきり絞められて今頃皿の上にでも並んでるところかと思ったぜ。いや、今いるのは天国の可能性も捨てきれねえな」

 相変わらずの減らず口に安堵しながら、ちょっとだけ声を出して笑った。今思えばこんな風に笑うのなんて、いつぶりのことだろう。

「お前みたいな鳩が天国にいけるもんか」

 言ってから、傷つけてないかちょっとだけ不安になりはしたが、鳩は鼻で笑ったあといつものように返してくれた。

「なーに言ってるんだ。俺みたいな鳩こそが天国へ行けるんだよ。なんたって、今お前が外にいるのは俺のお陰なんだからな。感謝しろ」

 偉そうに鳩胸をめいっぱい張って主張している様子は、前は腹立たしいだけだったのに、今はお腹がくすぐったく感じられるのだった。

 生きててくれて良かった。

「そうだね」

 素直に認めると、鳩は拍子抜けしたような顔をした。

「お前が素直だと変な気分だ。まったく、調子狂うぜ。……悪いことじゃねえけどよ」

 最後にボソッと言われた言葉が妙にこそばゆかった。こそばゆくて、思わずフフっと笑ってしまう。

「なーにがおかしいんだ?」

「内緒」

 鳩のとぼけた顔が一生懸命私の顔を覗き込もうとするのが余計におかしくて声を出して笑ってしまった。

「内緒ってなんだよー」

「ふふふ。なーいしょ」


 鳩が目を覚まし、ほっとしたのも束の間だった。

 寝泊まりする場所はもちろんのことだが、食料をどうしたものか。

 悩んでいると、鳩が不安そうに、何かを察したようにこちらを見て呟いた。

「お前まさか、家出る前になにかしらかっぱらってこなかったのか? 金とか衣料品とか食料とか。……まさかな?」

 持ってきませんでしたと言いづらくて黙り込んでいると、鳩の視線が徐々に痛くなってきた。

「お前まさか本当に? 嘘だろ? まじで? 計画性なさすぎだろ」

 信じられないといった様子で鳩が喚いているのを、ただただ申し訳ない気持ちで黙って聞くしかなかった。申し訳無さから目を逸らす。

「……いや、備えがないのも無理ねえか」

 そっと鳩を見ると、少し考え込むように目を閉じ首を縮めていた。

「ごめんね。出たがってた癖になんにも備えてなかったから」

「後悔してもどうにもならないもんさ。大事なのは何もない今できることはなにかってことだろ」

 いつも悪態をついている鳩が優しい言葉を急にかけてきたので、思わずドキりとさせられる。

「……そうだね」

 鳩はふっと笑うと、クルッポと鳴いてこう続けた。

「お前を責めたところでまめだんごも何も得られねえからな。さあて、こっからどうすっか」

 いつも通りの口ぶりだったが、いつもの悪態と異なり前を向いて歩けるような温かい言葉だった。

「どうしようね」

 鳩は軽く首を傾げ、私を見た。

「お前そういや家を出たことないんだったな。ちょいとその辺のカラスみてえにゴミでも漁ってきな」

 一度くらい出たことがあると抗議したかったが、ゴミを漁ってこいという言葉の方に意識が向いてしまった。

「ゴミ? 漁ったらなにかあるの? ゴミはゴミじゃないの?」

 言われた意味がわからず鳩に質問をしていると、鳩はククルクーと鳴き声を上げた後呆れたように口を開いた。

「お前さんはゴミしか捨ててなかったんだろうけどな、世の中にはまだ食えるのにゴミ箱に捨てちまう輩がいるのさ。カラスともある程度交流があった俺の話でも聞きな」

 鳩は少し遠くを見つめ、思い出しながら話を始めた。


 そうだな、あれは確か俺が電信柱に止まっていたときのことだ。

 俺が真っ白だからか、よくカラスに話しかけられたんだ。

 カラスどもは夜闇や暗がりに紛れて目立たない時があるが、昼間はかなり目立つ。逆に俺みたいな真っ白いやつは夜目立って昼間はあまり目立たないのか? なんて聞かれたこともある。

 昼でも夜でも関係なく俺は目立ったさ。目立たない時ってのは雪が積もったときくらいなもんさ。

 そうやってカラスどもとくだらん世間話や色の話題を繰り広げているうちに、目の前でゴミを漁り始めたんだ。よければお前も漁らないか? なんて声までかけてきてな。

 俺は断った。臭くて汚くて嫌だってな。

 そしたらカラスどもがいうんだ。ごちそうがたまにあるぞ、と。

 実際、食いかけのケーキだの、なんだのがゴミ袋からわんさかでてきてるのを見せられたときはたまげたもんさ。そんだけ人間どもは食に困っていねえのかってな。

 それでも俺は、そのへんのおっさんおばさんどもに愛嬌振りまきながら歩いてれば勝手にパンくずだのなんだのを放り投げられる方が好きだったんだ。ゴミ漁りなんて臭くて汚くてやってらんねえっての。


 話し終えた鳩はブルブルッと体を震わせた。

 え? それで終わり?

 絶句した。こいつは自分のしたくなくてたまらんことを私にやらせようっていうのだ。

「どうした? なんか言いたそうな顔してんじゃねえか」

 鳩はとぼけた顔で話しかけてきた。ちょっと怒ってしまいそうで拳を強く握ってしまったが、テーブルの上で寝ていた鳩が脳裏に浮かび、ゆっくりと拳をほどいていった。

「そりゃそうだよ。だって、そんなにしたくないことを人にやらせようっていうのだから、頭に血がのぼるよ」

 鳩はきょとんとしながら聞いていたが、鼻で笑うといつものように話し始めた。それが嬉しくてたまらない自分がいる。

「お前みたいな箱入りを世間の荒波に晒してやろうと思ったのさ。野良の洗礼ってやつよ。ようこそ野生の世界へ」

 悪びれもしないのが憎たらしくてたまらないが、心から安心した。安心できた。しかしそれでもはやり、ゴミ漁りは嫌だった。

「他の方法はないの? 木の実を取って食べたり、山菜食べたり野草食べたりとかそういうの。魚取って食べたりとか…。 どうしてもゴミ漁りしないとダメ?」

 ゴミ漁りなんてしたことなかったけれど、鳩の嫌がる気持ちがとてもよくわかったからこそ、やりたくはなかった。

「そうだなあ。山も海もこっから遠いし、その辺の店で万引きしてこいよ。人間のガキがそういうことしてんのそういや見たことあったわ。なんか気弱そうなやつが、ズボンずらしてパンツ見えててポケットに手え突っ込んだやつらに取り囲まれて、なんか喚かれたかと思えば店に入っていってな。棚からこっそり物とって服の下とかに隠して怯えながら出てきてたわ。『万引きご苦労さん』なんて大声で言われて、更に怯えてて、それ見て周りはケラケラ笑ってやがった。見てて気分悪かったな」

「ちょっと待ってね。その気分悪かったとか思ったことを私にやらせようってわけ?」

「そうだぞ。ガキんちょどもの事情は知らねえが、今はそんなこと言ってらんねえだろ。生きるために致し方なくやるんだよ。そんでもって俺に美味い飯を食わせてくれ」

 呆れて物も言えなかったが、鳩の言い分は間違ってはいない。

 そうは思っても、盗むのは気が引ける。しかしだからといって、家に戻れば鳩の命はないだろうし、自分もどうなるかわからない。死なせるよりも、死ぬよりも、ずっとマシなことのように思えるのだった。

「わかったよ、やってみる。ただ、私より鳩の方が盗みをするには良いんじゃない? 私と違って空を飛べるわけだし、ずっと確実に盗めるんじゃないかな? 今は怪我してて難しいだろうけど、引きこもってた私よりずっと動ける気がするんだ」

 鳩はチッチッチと言いながら風切羽を振ってみせた。

「特訓だ。特訓! 体を動かす特訓でもあり、世間の厳しさに身を晒す特訓だ。ちったあ痛い目見たっていいってことよ。盛大に失敗してこい。俺は高みの見物でもしといてやる」

 失敗という言葉を聞くと体が怯んだ。

 確かに、これは鳩が言うように特訓になり得るのだろうという気がしてくる。

「失敗したら私たちご飯抜きだよね?」

 同時に、プレッシャーでもあった。しくじれば自分だけでなく鳩も飯抜きになってしまう。

「ん? 飯抜きになるのはお前だけだから安心しな」

「え? どういうこと?」

 拍子抜けしたように口を開いていると、鳩がケラケラ笑い始めた。

「おめーが失敗しても俺はその辺で愛嬌振りまいて歩いてりゃホームレスっぽいおっちゃんたちからパンくず恵んでもらえるのさ。ごちそう取ってくれたら俺にもくれってだけで、責任感じる必要なんて欠片もねえよ! 自分のための特訓してこいっつってんだ」

 少し肩の荷が下りた気がした。ちょっとだけ心が軽い。

「盛大に失敗したら笑ってやるし、次上手く盗むための作戦一緒に考えような」

 一気に勇気づけられたように思えた。

 この鳩、実は優しいのでは?

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