第5話 寝顔は絶対見せたくない

「手を、繋ぎませんか?」

「え?」


 ロドリーゴと私は、同じベッドで寝ている。お互いに背を向けながら。 


「いずれそういうことをする時、いきなりするのはできません。徐々に肉体的接触を図っていきませんと……」


 肉体的接触……その無機質な響きがおかしくて、私はクスクス笑ってしまった。 


「何がおかしいのです?」

 ロドリーゴの少し怒った声がする。

「ごめんなさい。なんだかおかしくて。もうちょっとマシな言い方はないのかなって」

「他に言いようがなくて……」

「いいですよ。手を繋ぎましょう。大教皇様」

「ベッドで大教皇はやめてください。ロドリーゴでお願いします」

「はい……ロドリーゴ」


 ロドリーゴが私の手を握った。

 手を握ったと言っても、私の人差し指を掴んだだけだ。

 私たちはお互いに背を向けたまま、指と指と合わせる。なんとも寝づらい姿勢だ。

 ただ、お互いに向かい合って寝るのは少し恥ずかしい。そのほうが緊張して眠れないかもしれない。

 だからこの肩が痛くなる姿勢を維持しながら、なんとか目を閉じる。


「……どうして私が妻だと異端者にバレたのでしょう?」

 眠れないからつい話してしまう。

「この屋敷に異端者のスパイがいるのでしょう。おそらく使用人の中にいますね。必ず見つけ出しますからご安心を」

「そんな……家の中にスパイだなんて」  


 私は少し怖くなった。

 あの親切な使用人たちの中に、敵がいるなんて信じたくない。


「大丈夫です。私が守ります。私の妻ですからね」

「はい……」

 ロドリーゴが私の手をぎゅっと握った。

「あるいは、フアンがスパイかもしれません」

「え?そんなのあり得ないでしょ……だって実の弟だもの」

 私は驚いてロドリーゴのほうを向いた。

「実の弟だからですよ……父上は私よりフアンをずっと可愛がっていました。でも、後継者には私を選びました。そのことをフアンは、恨んでいるでしょう。口には出しませんけどね。私が生きているよりも、死んだほうが嬉しいのは確かです」


 すごく仲が良く見えていたのに……。

 実の兄弟を疑うなんて酷いと思う。

 でも、気持ちは私もわかる気がした。私も妹のシャルロットとは、上手く行っていなかった。

 まあ私の場合は、妹のほうがずっと両親から可愛がられて、聖女に選ばれたのは妹のほうだ。

 1番身近にいるからこそ、相手の成功が妬ましくなる。

 聖女に選ばれた妹を素直に祝えるかと言えば、正直、無理だ。 


 聖女と言えば、どうしてローヴェレ枢機卿が倒れた時、解毒魔法が使えたんだろう?

 聖女しか使えない高等魔法のはずなのに。


「どうして私が解毒魔法を使えたか、何かわかりますか?」

 もしかしたら、大教皇のロドリーゴなら何か知っているかもしれない。

「私もわかりません……きっと奇跡が起こったのでしょう」


 奇跡……そうだよね。きっとたまたま。ただのマグレに違いないよね。


 ロドリーゴはくるっと身体をこちらへ向けた。

 私たちは、ついに向かい合って手を繋いでいた。


「すみません。やはり背を向けたままでは寝にくいです。こうやってお互いの顔を見ながら寝ましょう」

「ですよね……」


 絶対に、私は先に寝ないぞ。

 寝顔を見られるのが恥ずかしいから。  


 ◇◇◇

 

 「ルクレツィアさん、もう朝ですよ」

「うーん……」

 ロドリーゴが私の身体を揺すった。

「はっ!」

 ロドリーゴの顔が間近にあって、私はびっくりした。 


 ああ……絶対にロドリーゴより先に起きようと思っていたのに。

 ついつい、爆睡してしまった私。

 でも無理もないか。昨日はいろいろなことがありすぎたもんな……。


 ロドリーゴは白いローブに、銀のロザリオを首にかけていた。要するに、もう仕事用の服に着替えていた。 


「私は仕事へ行きます。夜まで帰りません。昨日の異端者のこともありますから、ルクレツィアさんに護衛の騎士をつけます。ミケロット、入っていいぞ!」 


 ロドリーゴがそう言うと、すらりと背の高い男が寝室へ入ってきた。

 少し落ち窪んだ目に、影のように存在感のない男。漆黒の巻き髪が怪しい雰囲気を漂わせている。


「この男はミケロットと言います。私が最も信頼する部下です。剣の腕は一流で、頼りになります。外出する時は、必ずミケロットと一緒に行ってください」

「今日なんですけど、フェラーラ枢機卿の奥さん、ファルネーゼさんにお茶に誘われているんです」

「でしたら、ミケロットを連れて行ってください。影のような男ですから、一緒にいても気になりません」

 ロドリーゴは慌てて寝室から出ていた。 


 さて……ミケロットという謎の男と寝室に2人きりにされた私。

 じっと黙って、ベッドの隣に立っていた。

「あの……着替えますので、少し出ていてもらえますか?」

 ミケロットさんは黙って出て行った。

 なんだか無愛想な人だな……こんな人とずっと一緒にいなきゃいけないなんて。

 

 ◇◇◇


「奥様、支度はできましたか?」

 ぶっきらぼうな声で、ミケロットさんが訪ねてくる。

「できました。そろそろ行きましょう」

「奥様、決して私の側を離れないでください」 


 昼間のロムレスの街は活気に溢れていた。お店がたくさんあって、人々は楽しそうに話したり遊んだりしている。

 街を歩いてみたかった。

 いくら影の花嫁とは言え、街も歩けないのは嫌だった。

 人々の服装は洗練されていてオシャレ。私の領地とは大違い。

 田舎育ちの私は、街の雰囲気に少し圧倒されていた。

 たしかに人がとても多い。もしここに暗殺者が紛れ込んでいても、絶対にわからない。

 無事にフェラーラ枢機卿の屋敷まで辿り着けるだろうか。


 しばらく街を歩いていると、

「奥様!」

 ミケロットさんが私を思いっきり引っ張った。

「いった!何?」

「あそこの子どもです。奥様を狙っています」

 ミケロットさんが指差した先には、7歳くらいの少女がいた。

 井戸に座ってこちらを見ている。 


「子どもでしょう?」

「強い殺気を感じます。武器を隠し持っていると思います」

 よく見ると、少女はポケットの中に手を入れていた。

「たしかに何か持っているみたいだけど、考えすぎじゃない?」

「あの目は子どもの目ではありません。ここは迂回して——」


 針が、飛んできた。

 私の目の、ほんの数ミリ先で止まる。

 ミケロットさんが刺さる直前で掴んでくれた。


 ——それは一瞬のことだった。

 ミケロットさんは走り出し、少女の髪を掴んだ。

 それから——井戸の中に少女を突き落とした。

 何の躊躇もなく。


「早く助けなきゃ!」


 私は井戸へ駆け寄った。

 かなり深い井戸だ。底から少女が溺れる音がする。


「ダメです。このまま死なせてあげましょう」

「だって……まだ子どもじゃ」

「これを見てください」

 小さな細長い竹の筒だ。

「吹き矢です。針に毒を塗って、相手を殺すのです。あの子は奥様を殺そうとしたのです」

「でも……」

「私は旦那様から、どんな手を使っても奥様を守るように言われました」

「子どもを殺すなんて……」

「あの子は孤児です。私もそうだったからわかります。異端者かローヴェレ枢機卿に金で雇われただと思います。どの道、ここで助けたとしても、雇い主に口封じのために殺されるでしょう。だからここで溺れる死ぬ方が楽なのです」


 井戸からは、もう音がしなかった。

 息絶えたのだ。


「次からは馬車で移動しましょう。奥様は影と言え、大教皇の妻なのです。常に狙われています。だから街を普通に歩くことはできません」


 どこかで私は、事態を軽く考えていたのかもしれない。

 いくら何でも、子どもを使ってまで私を殺そうとする人たちがいるとは、考えもしなかった。

 今までの田舎貴族の生活とは全然違う……そのことが、わかっていなかった。


「ここは危険です。早くフェラーラ枢機卿の屋敷へ向かいましょう」


 影の花嫁がこんなに危ないとはね。

 本当に、割に合わない結婚だと思ってしまった……。

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