第42話 苦悩の日々

 私の仕事はお正月やゴールデンウィークは関係なく過ぎていく。なので私にとってはちょうど良かった。

 相変わらず、毎日バタバタと仕事をして時間は過ぎていく。住所変更の手続きも一通り終えて、落ち着いた頃、弁護士さんからメールが届いた。



「あちらの代理人から書類が届いたのでメールで送ります。回答が求められているものもありますので、確認してお返事をいただけると助かります」

 と、またもや夜の休憩中だった。

 インスタントの焼きそばを食べている時だった。


(ラーメンではないので、ギリセーフ。)

 メールを開いて、また怒りが込み上げてくる。予想通り、もしくは予想を越えた文言が並んでいた。


「元旦に細田勇二さんがご自宅に戻られました。その際に持ち出された物について、お二人でご相談して了承の上に持ち出された物でしょうか?それとも了承なしで持ち出された物でしょうか?」

 という文章と、私が持ち出した物のリストが並んでいた。


 代理人さんよ、貴方も国家資格を持つ弁護士でしょう?バカなの?

 接近禁止命令が出されている夫婦が相談などしますかねぇ。

 自分の犯罪が原因で家庭が崩壊した事は頭からすっぽりとぬけていらっしゃるのかしら?

 なんて、優しい言葉で表せる感情ではなかった。



 私はインスタントの焼きそばを口に突っ込んで、メールで返信をした。

 一つ一つを箇条書きにして。


・冷蔵庫…購入時に私が半分お金を支払っております。

・食卓テーブルセット、テレビ台…母親が引っ越しの時に買ってくれた物です。

・電子レンジ…自分で買いました。

・炊飯器…母の日だったか誕生日だったか、プレゼントで貰いました。

・電気ポット、小さな食器棚、掃除機、サーキュレーター、加湿器、カラーボックス。

 これらは必要だったので持ち出しました。持ち出した物は最低限の物にしています。

 犯罪がなければ、こんな事にはならなかったので、相談する必要はないと考えて持ち出しました。



 メールを送信して、何だか情けなくなった。

 お正月に自宅に戻り、家の中の景色を見て。あの犯罪者は自分の弁護人にそんな報告をしたのか。

 もっと、考える事はなかったのだろうか。

 自分のした事の末路だとは考えなかったのだろうか。



 暫くすると、弁護士さんからの返事が返ってきた。

「そのような理由がきちんとあったのですね。相手方にはそのように伝えておきます。現在は、離婚調停に向けて書類を作成している事を相手方にもお伝えしてあります。また何かありましたら、すぐにご連絡をさせていただきます」


 私の弁護士さんは、私のメールを見てどう思ったのだろうか。弁護士さんには私が持ち出した物などの報告はしなかったし、聞かれる事もなかった。とにかく私の行動にはすべて何らかの反論をしてきた。まるで私が加害者のような気分にさえなってしまう。



 私はそのまま、少し柔らかくなってしまった焼きそばを食べ続ける。

(こんなにしょーもない奴だったか。)

 私は一体、勇二の何を見てきたのだろうか。

 結婚するまでの約6年間、何を見て何を信じてきたのだろうか。

 結婚してからも、何を見ていたのだろうか。

 私が愛した人は、そんなにひどい人間だったのか。


 仕事よりも疲れた。


 休日、久しぶりにゆっくりと眠った。

 相変わらず、娘とは殆ど会うこともなく、時間だけが過ぎている。

 母親と連絡を取り、久しぶりに買い物に行く。

 もちろん、オッドのトイレの砂やチュールなどをまとめ買いをして娘の家に届けて貰うためだった。


「あのさー、弁護士さんから連絡が入ってさ」

 と、私は母親に弁護士さんからのメールの内容を伝える。

 もちろん母親は怒っていた。

「自分のせいなのに、そんな荷物を持ち出した事をいちいち言うなんて!そんな内容の文章を送ってくる弁護人もどうかしてる!」




 そして私は娘の家の前で母親と荷物を下ろした。

「お願いね!」

「うん、瑠璃もちゃんとご飯食べてね。貴方のせいではないから!悪いのはあいつなんだからね!」

「ありがとう」

 と、私は少し笑って母親に手を振った。

 そして信号が変わったので、ゆっくりと車を走らせた。



 そう、この頃の私は自分を責め続けていた。

 私があんな奴を選ばなければ、娘は傷つく事はなかったんだと。

 毎日毎日、自分を責め続け、ひとりになると涙を流していた。


 新しい部屋に戻り、食卓テーブルに座る。テーブルに残っているボンドの跡がある。

 私はちゃんと覚えている。

 勇二が娘のアクセサリーを修理をしていて、誤って着けてしまった跡だった。


(くそっ!)

 と、ゴシゴシと拭いてみる。アルコールを使っても擦っても取れやしない。


 テーブルの向きを変えようかとも思ったが、そのままにしている。

 私はこの席が気に入っているから。

 そこのテーブルの脚の下にはオッドがガジガジと爪で引っ掻いたキズがのこっているから。


「んもー、だぁれ?こんな所ガジガジしたのーー!」

 と私が見つけて怒っていた。

「んにゃーん」

 とオッドが首を傾げながら私を見ていた記憶が甦ってくる。


 ボンドの跡が残る場所にはコースターを置きっぱなしにして見えないように隠す事にした。


 いつまでもいつまでも、私は苦しめられる。

 細田瑠璃。

 犯罪者の妻で、被害者の母親。


 とりあえず、早く終わらせてしまいたい。

 離婚をして、娘の傷を癒すための時間を増やしたい。


 こんなに原因も明確なのだから。

 慰謝料の金額だって、普通の離婚と同じにされては困る。

 そんな事を考えながら、休みの日はあっという間に終わってしまう。


 その頃から、私は少しずつ心が弱り始めていた。

 泣きつかれて眠るか、眠れない夜が増えた。



 そして今日もまた、仕事に出かける。

 重い体を無理やり動かして、食事をとる。

 テレビを見ながらのんびりと。

 だが、テレビの画面は別世界にあるように見えた。テレビから聞こえてくるタレントの笑い声も、話し声すらも、私から見ると薄い透明な壁の向こう側のように感じていた。

 面白くない、笑えない、耳に入ってこない。

 口に運んでいるヨーグルトも美味しくない。


 その次の日からテレビを見なくなった。

 朝食も静かな部屋でひとりで食べる。

 建物の外で会話をする声が聞こえてくる。

 通りすぎていく救急車の音が聞こえてくる。

 カチャカチャと器とスプーンが当たる音だけが響く部屋。

 私は孤独になってしまった。

 仕事の日は休憩室で、携帯を見ながら食事をとる。


 休日は、娘の部屋で食事をする。娘は仕事で留守にしていた。オッドの相手をしたり、ご飯をあげたりして、母親と話をしながら食事をとった。


 たまに娘も居たのだけれど。

 私の離婚の話が進まないのが辛そうに見えて、私は長く一緒に居れなかった。


 何だかモヤモヤとしながら、私達親子の絆は遠慮がちに繋がっている。



 そして、そんな私の所へ漸く弁護士さんからの連絡が入った。

 これもまた、前回と同じように酷く私を苦しめる文章だった。

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