三日月

 圭介が大学に進学してから半年程が経っていた。学校にも一人暮らしにも慣れ、友人が何人かでき、それなりに新生活は軌道に乗っていた。


 ある日曜日の昼下がり、圭介が昼食を摂ろうと思い炒飯を作っていると、携帯電話に一件のメッセージが入った。名前を見ると蓮からで、また何かの雑談だろうと思った圭介はすぐに中身を開かずに昼飯作りを再開した。


そして出来た炒飯を皿に盛り食べ始めると、メッセージの事を思い出した彼は携帯電話をテーブルに置いたまま操作した。いつもと同じような内容だと思い何の心構えも無くそれを開いた圭介の手が宙で止まった。


『これからそっち行っていい?住所どこ?』


「・・・は?」

突然のことにそんな声が漏れた。

『そっちって俺の家?お前の家から遠いだろ』

動揺しながらも返信をすると、いつもは猫のような気まぐれなペースで返信をしてくるのに今回はすぐに返事があった。

『いいから、教えて』

久し振りに顔でも見たくなったというのだろうか。そんな情に厚い奴とは思えなかったが、深く考えず圭介は自分の住所を蓮に送った。


それから二時間程経った頃、部屋のインターホンが鳴った。圭介が怪訝そうにドアを開けると、紺色のブルゾンとグレーのジーンズを着て、コンビニの袋を片手に提げた蓮が立っていた。笑っているというほどではないが、目尻と口元が緩んでいる。昔から真剣な表情をほとんどしない奴だった。

「突然ごめんね。上がっていい?」

その表情を崩さないまま蓮が聞くので、圭介は「ああ」と言ってドアを先ほどより大きめに開けた。それを見た蓮はにこっと笑い、「お邪魔しまーす」と言って家に入って来た。


二人で居間に入ると、圭介は使っていないハンガーを手に取り、蓮からブルゾンを預かり衣装ラックに掛けた。それを見ていた蓮は、

「圭ちゃん相変わらず面倒見良いね。さすがお兄ちゃん」

と先ほどよりもにやけた顔をして言った。いつの間にか彼はソファーに座り背もたれの部分に頬杖を付いていた。


「栞ちゃんはもう高校生だっけ?あっという間だよねえ」

栞というのは圭介の三歳下の妹だった。今年から高校生で、圭介が並の学力なのに対し栞は県内屈指の学力レベルの高校に通っていた。


圭介が「そうだな」と返事をすると、

「ていうか、一人暮らしなのにこんな大きいソファー買ったの?彼女でも出来たわけ?」

と蓮がソファーの背もたれをぽんぽんと叩き聞いてきた。

「たまにそこで横になってテレビとか見てるから」


そして何か飲むか?と聞くと蓮は買ってきた、と言いコンビニの袋を顎でしゃくった。座るところはソファーしか無いので、圭介は蓮の座っている場所と人一人分空けて腰掛けた。


「それで・・・急にどうしたんだ?何かあったのか?」

半年ぶりに蓮の顔を見たが、最後に会った時と何ら変わりはなかった。夜の仕事をしているのにやつれていないんだな、と思ったが、学生時代から不良仲間と夜もほっつき歩いていたので変わっていなくても不思議ではなかった。


「えー・・・?何か無いと来ちゃだめなの?昔はあんなしょっちゅう会ってたのに、薄情だなあ」

からかうような口調で話す蓮を見て、やっぱり何かあったなと圭介は思った。蓮は何かを誤魔化したい時、人を茶化すような態度を取ることがあった。普段から彼はそんな調子だったが、長年の付き合いである圭介はその違いに敏感だった。


圭介が黙っていると蓮は一瞬真顔になった。そしてコンビニの袋から緑茶のペットボトルを取り出すと一口飲み、圭介に横顔を見せたまま少し口をつぐんだ。


「・・・女の子を一人殺した」

「・・・は?」


最初は何か冗談を言っているのかと思った。蓮はまたいつもの薄ら笑いに戻っている。それを見た圭介は冗談ではないことを感覚的に悟った。

蓮は笑ってはいたが、その笑顔は自己破滅的な行為をした時によく浮かべる笑みだった。

話の続きを聞いたところによると、勤め先のキャバクラ嬢にしつこく言い寄られ、最初はうまく躱していたもののあまりにもしつこかったので、昨日とうとう殺害したとのことだった。

状況的に蓮が殺害したことはすぐに発覚しそうだったので、今日こうして家と職場から逃げ出してきたらしい。


「女の子達とスタッフって、恋愛禁止なんだよ。バレたらクビになるし、下手するとこの業界で二度と働けなくなる可能性だってあるんだ。せっかく仕事に就いて、少しはまともに生きようと思ってたのにさ」

「だからって・・・殺さなくてもいいだろ。人を殺したら、解雇どころか犯罪者じゃないか」

圭介が問い詰めるように言うと、

「だってもう・・・うざったかったから」

と理由にならないような説明をした。蓮はまたさっきと同じ笑みを貼り付けていた。


「それで・・・ここに来たのはまさか」

「そう、さすが鋭い圭ちゃん。しばらくこの家に居させてよ」

蓮は指をパチンと鳴らしてウインクをしたが、圭介は顔を青くした。

「いや・・・、無理だって・・・そのうち見つかるに決まってるだろ」

「だから、隠れる場所が決まるまでの間だよ。中学と高校の不良仲間は実家の近くだからすぐに居所が割れちゃうかもしれないし。ここは遠いから、うちの親達が圭ちゃんの名前を出さない限りはすぐに見つからないんじゃないかな」


ソファーにのけ反りながら蓮が言った。その姿は人を殺したとは思えない程悠然としていて、昔から何事も顔色一つ変えずにやってしまう奴だったけど、さすがに落ち着きすぎていると思った。その彼の態度に圭介の方が動揺した。


「隠れる場所ならホテルとか・・・あるだろ」

ようやく言葉を絞り出すと、蓮はだめだめ、と首を振った。

「なんかそういうとこって足が付きそうじゃん?おマワリさんの情報網って恐いからさー」

そして蓮は上体を起こすと圭介に向き直った。

「ね?頼むよ。幼馴染のピンチを助けると思ってさ」

自分がどうするべきなのかしばらく判断できずにいたが、そうやって両手を顔の前で合わせて懇願する彼を前に、圭介はとうとう何も言い返すことができなくなった。



 蓮の食事は自分で都合させた。圭介が自炊した時は分けてやることもあったが、基本的には蓮が言ったように「居させる」だけだった。


居間と寝室は分かれていたので、圭介はそれまで通り寝室で寝て、蓮はソファーで休ませた。いくら寝転べるサイズのソファーとはいえ毎日それでは負担が掛かるとも思われたが、彼を家に置くことを承諾しただけでも感謝してほしかった。蓮が圭介を痛めつけるとは考えづらかったが、やはり殺人を犯した人間と同居するのはそれなりに緊張した。



次の日大学から帰って来ると、蓮が「おかえり」とソファーに座ったまま笑顔を向けた。彼はコンビニ以外は外出していないようで、暇を持て余していたのだと買ってきたらしいファッション雑誌をめくりながらぼやいた。


「ねえ、このゲームやってもいい?今日は雑誌とか見てたけど、明日以降退屈で死んじゃいそう」

テレビの前に置いてあるゲーム機を指す蓮に、圭介は溜息をついた。

「別にいいけど、この先どうするのか考えてるのかよ」

荷物を片付けながら諫める圭介に対し、蓮は「んー」と間延びした返事をした。

「考えてないこともないよ」

そしてお腹減った、と言い夕食用に買ってきたらしい弁当を開け始めた。圭介はまた心の中で溜息をついた。


圭介がダイニングで夕食を食べ始める頃には、蓮はもう食事を終えていて圭介の携帯ゲーム機で遊んでいた。二人の間には特に会話も無かった為、蓮が座っているソファー越しにあるテレビをリモコンで点けた。

映った番組はニュースだった。まず最初に、「キャバクラスタッフ女性 首絞められ死亡」というテロップが目に飛び込んで来た。画面の右上には「××県××市」と書いてある。蓮が勤めていたキャバクラがある街だ。

そして女性のニュースキャスターが内容を読み上げようとしたので、圭介はすぐにチャンネルを変えた。その間蓮は手元のゲーム機をずっと見ていたが、圭介がチャンネルを変えた理由を分かっている気がした。


番組を手頃なバラエティーに変えて夕食を再開したが、圭介の頭の中には「首を絞められ死亡」という文字が生々しく貼り付いていた。

「殺した」だけだとまだ多少は抽象的な捉え方が出来たが、具体的な殺害方法を知ってしまうとリアリティが増してしまう。


怯える女性の首に両手を掛ける蓮。その表情はやはりいつもの薄ら笑いかもしれないし、あるいはそんな時くらいは真顔かもしれなかった。


頭の中のイメージを振り切るように、考えることをやめた。残りの食事を味わいもせずに一気に流し込んだ。



 翌日、圭介は大学に向かう電車の中で蓮の事件について検索してみた。被害に遭ったキャバクラ嬢の遺体は店の従業員室で見つかっていて、記事には「同店に勤務する男性従業員(18)の行方がわからなくなっており、何らかの事情を知っているものとしてこの男性の捜索にあたっている」とあった。蓮の名前も顔写真も出ていないのは、まだ容疑者の段階だからだろう。

蓮がこの先どうするつもりなのかは分からないが、名前も顔も晒されていないのならしばらくは逃げられるだろうか。

しかし蓮が容疑者と認識されている以上、ずっと警察から逃げ切ることなど出来ないだろう。それについてどう考えているのか気になった。


しかしそれを明確に蓮を問いただす機会は訪れなかった。圭介がどう切り出したらいいのか考えているうちに蓮は姿を消してしまったのである。彼が家に来てから四日過ぎた日、大学から帰って来ると簡単な書き置きだけ残して蓮は居なくなっていた。圭介はその書き置きをぼうっと眺め、これで蓮と会うのは果たして最後なのだろうかと考えた。しかし何となく、これで終わりではないような不吉な予感がしていた。

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