第35話

「……え?」


 わたしは起き上がりこぼしよろしく顔を上げ、左右を見回す。でもレストランはやっぱりCloseで……え?


「待ってるって言わなかったっけ?」


 続いて譲くんの声がして、わたしはもう一度辺りを見やった。レストランに寄りそうような大木の向こう、ちょうどテラス席のあるほう。その角から、普段より洒落っ気を忍ばせたネクタイ姿の譲くんがこっちを向いた。

 続いて本物のプリンセスと見紛うドレスを着たかれんさんが、手招きする。

 テラス席では、かれんさんと譲くんのほかに新郎と思われる盛装姿の男性と、譲くんたちの弟らしい男の子もいる。新郎がわたしに向かってぺこりと頭を下げる。


「なんで……」


 わたしは地面に膝をついたまま、立ち上がれなかった。むしろ、逆に力が抜けてしまって地面にへたりこむ有様。

 譲くんが呆れた顔で近づいてきた。へたりこんだままのわたしの前に屈みこむ。


「お疲れさま」

「なんで……? もうパーティーは終わったんじゃ」


 譲くんがわたしの手ごと引っ張りあげる。けれど、疲労がいっぺんに押し寄せたのと、譲くんを見たら力が抜けたのとで踏ん張りがきかない。

 申し訳なく思いつつも、譲くんの腕に両手ですがってなんとか立ちあがった。


「終わったから、ここで待ってたんだって。……なんか満身創痍まんしんそうい?」

「だって……」


 あとの言葉が続かない。今日いちにちの騒動が頭をよぎって、言葉にならない。

 だけど、譲くんには伝わったらしかった。そばに落ちていた花束を拾いあげる。


「よく頑張ったな」


 うん、とどうにか返すと、譲くんが笑った。

 優しい笑みだった。




 パーティーは大成功だったらしい。譲くんの司会が仏頂面過ぎて、一部の女性陣のウケがよかったらしい。なんだって?

 わたしは隣に座った譲くんを盗み見る。譲くんに老婆よろしく手を引かれ、かれんさんたちが座るテラス席にお邪魔したのはついさきほど。

 パーティーは終わったものの、かれんさんたちはわたしを待つためにお店のスタッフに交渉してテラス席を開けてもらっていたのだという。おかげで、わたしもなんとか新郎新婦の美しい姿を拝むことができた……のはいいけれど。


「何人かから電話番号もらってたよね、譲」


 かれんさんの言葉に、わたしはえっ、と譲くんを二度見した。じっとりした視線になったのは否定しない。

 譲くんがふて腐れた顔をした。


「別にかける気ないし」

「いやでも、伊吹さんがいるのにもらうのはよくないと思うよ?」

「なんでここで伊吹さんが出てくんの」


 譲くんがけげんそうに言う。なんなの、むしゃくしゃしてきたぞ。

 わたしが大変な思いでいるときに、譲くんは華やかなドレス姿のお姉様たちにもてはやされていたのか。しかも、恋人がいるというのに彼女たちからのお誘いを受け取っていたのか。に落ちない。


「知らない」


 譲くんは頓着しなすぎるゆえに天然のひとたらしと化しているのだ。これは伊吹さんが余裕をなくすのもわかる……とわたしは初めて伊吹さんに同情した。だからって応援はしないけど。


「そうそう、これ。女神ちゃ……直央ちゃんが作ってくれたんでしょ? ありがとうー!」


 かれんさんが、足元に置いていた大きな紙袋から取りだしたのは、わたしがこっそり作成していたウェルカムボードだった。

 真ん中には幸せそのものの新婚ふたりを、そしてその周りを今日の列席者五十人の顔が囲んでいる、わたしの力作だ。


「全員描かれてるウェルカムボードなんて初めて見た、ってすごい盛り上がったよ。写真を撮る子も続出したんだから。嬉しかったーっ!」


 反対隣に座っていたかれんさんに、ぎゅっと抱きしめられる。胸の奥がじんわりと潤んできた。


「でもこれ、譲くんには言ってなかったのに」


 イーゼルに立てかけたまま、布をかけて自宅に置いていたはずだ。額装もまだしていなかったのに、なぜ。


「悪い、勝手に見た」


 わたしは首を横に振る。譲くんが荷物を持っていくと言ってくれたとき、伝えそびれたから諦めていたのだ。ちゃんとかれんさんに渡せてよかった。


「でもこれ、受け取れない。返すね」

「まさか、どなたかのお顔がおかしかったですか? 直します!」


 わたしは青ざめてウェルカムボードを受け取った。

 どんな失礼をしでかしたのかと目を皿にして確認する。かれんさんが、ぽん、とわたしの肩に手を置いた。


「違う。これ、直央ちゃんがいない! 譲でも一応ここに載ってんのに、直央ちゃんがいないのはダメ。却下。承認できない」


 わたしはぽかんとして、ウェルカムボードから顔を上げた。そんな理由?


「……描く気はあったんです。わたしも輪に入れてもらおうと思って。でも自分は後回しにしていたら、描けないまま今日になっちゃってました。なんか、わたしけっきょく肝心なところでなにもできなくて……」

「それ本気で言ってる? 直央ちゃんが水面下で私たちのためにしてくれたこと、ちゃんと譲から聞いてるし全部受け取ったから!」


 喉元に熱の塊がこみあげる。

 不運に見舞われるからとひとのために頑張らなかったら、なにかを失う気がする。そう思っていた。そう思うことで、自分を肯定しようと懸命だったのかもしれない。大河さんに否定されたときだったから、よけいに。

 でもここまで走るあいだ、そんなの関係なしに、ただ譲くんとかれんさんの幸せを祈っていた。

 

「直央ちゃんがいなかったら、今日こんなに幸せーっ! な気分にはなれなかった。直央ちゃんの司会が見れなかったのは惜しいけど、ほんとうにありがとう」


 かれんさんの頬は上気してほんのりと桜色だだ。


「わたしも、皆さんと盛り上がりたかったです。ご結婚、おめでとうございます! かれんさんに出会えて、大事な日にお祝いさせてもらえてよかった……です」


 言えた。

 これが言いたかった。


 譲くんもかれんさんも、そしてお初にお目にかかる弟さんも幸せそう。もちろん、かれんさんの旦那さまも。ここには幸せがあふれている。


 毎日はたいてい、代わり映えしない一日の繰り返しだ。


 その中に、幸運があったり不運があったりする。

 ひとはそういった運に、あっちこっち体をぶつけながら、それでも明日は今日よりよい日になりますようにと願って生きている。


 そのなかで、たとえ上手くいかない日々が続いても。立て続けにぺしゃんこに潰されることが起きても。

 大事なひとたちが笑ってくれるなら、きっと。


 今日もなんとか、前を向いてゆけるんだ。


「ウェルカムボード、完成させたらまたお渡ししますね」


わたしは花のプリンセスみたいなかれんさんに、薔薇の花束を渡す。それから、もうひとつの花束のすずらんを、一本ずつばらして全員に配った。


「皆さんに、幸運が訪れますように」

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