五章 女神はキメようと思います

第24話

「更衣室でなーにしてんの、直央」


 部屋の隅にキャンバスを立てかけ、色を乗せるのに励んでいたわたしは、友香の声にふり返った。


「これ? 譲くんのお姉さんの結婚パーティーにウェルカムボードを飾ろうと思って。最後の追いこみ。もうあんまり時間がないんだよね」


 ウェルカムボードの存在を、わたしはプランナーさんに相談して初めて知った。パーティーの受付に飾っておくと出席者にも喜ばれるのだという。

 わたしは意気揚々とパーティーの招待客全員の顔をウェルカムボードに描きこむという計画を立てたはいいものの、ここへきての激務と大河さんに時間を取られるおかげで、思うように進んでいなかったのだ。

 参加者の写真はいろんな口実を作ってかれんさんや譲くん、劇団のひとたちからも集めたというのに。

 五十人の顔をそのひとの特徴がわかるようにかき分けるのは、なかなか至難の業でもある。パーティーまであと一週間を切ってしまった現状、わたしは足りない時間を捻出するために仕事の昼休みを絵を描く時間に充てていた。


「だからって会社でやる?」


 友香が呆れたとばかりに、更衣室の中央に設置されたベンチに腰かける。はい、と野菜ジュースの紙パックとカロリーバーを渡された。「助かる」と受け取ってカロリーバーの包装をく。


「自分がせてきてんの、わかってる? 目元もくまができてるし。花嫁よりあんたがエステに行ったほうがいいんじゃない?」

「それでかー。今日、スカートがやたらと回るなと思った」


 わたしはタイトスカートの腰周りに指を差しこむ。おっと、たしかに隙間ができているな。


「あんたは夢中になると、我が身をおろそかにするとこあるよね。幹事終わったら早く彼氏作んなさいよ。直央の面倒を見てくれる彼氏」

「そんな簡単に作れるものじゃないでしょー」


 わたしは、もそもそとカロリーバーを野菜ジュースで流しこむ。


「だから苑田はお勧め物件だったのに。なんだかんだ言って、直央のこと面倒見てくれたしさあ。マウント女に遠慮してる場合じゃなかったんだよ? わかってる?」

「……だよねえ。なんかいろいろ遅かったかも」


 ぽつりと漏らすと、友香がぎょっとした。


「なに、苑田となにがあったわけ?」

「譲くんは明日には帰ってくる予定だよ」


 カロリーバーを食べ終え、わたしはふたたび絵筆を手にした。まだ休憩時間終了まで二十分はある。


「そうじゃなくて、恋愛的ななにかが進んだわけじゃないの?」

「違うって。こう……いいなあと思ったときには手遅れだったっていう意味で。ううん、手遅れじゃなくたって、わたしから行ったらまず間違いなく不運に巻きこみそうだからこれでよかったのも」


 友香が唐突に訳知り顔で腕を組んだ。


「なるほど。やーっと気づいたわけか。それでせめてこっちは頑張るって? それは張り切るってものだよね」

「友香、鋭い」

「なに言ってんの。体質を気にして臆病になったあげく、自分の気持ちに鈍いのがダメなんでしょ」


 うっ、筆が滑りかけた。危ない。図星すぎて笑うしかないけど。


「返す言葉もなーい」

「直央の気持ちはわかるけどね。恋愛は連敗中だもんね。しかもクズ間瀬に引っかかったら臆病にもなる」

「わたしの周りは手厳しいひとばっか……」

「愛ある助言と言いなさい。でも、相手が付き合ってたって、手遅れにはなんないじゃん。そっちが別れるまで待つとか、取るとか、やりようはあるでしょ」

「恋愛猛者もさ……!」


 不穏な言葉を堂々と放つ友香に、怖いを通り越していっそ感心してしまう。師匠だ、師匠。


「取るのはちょっと。譲くん自身がそういうの嫌だと思うし」

「じゃあふたりが別れるのを虎視眈々と狙え。いい? あざとマウント女に好きな男を遠慮してんじゃないわよ。あんたにはガッツがあるでしょ! 待ってるくらい、誰にも迷惑かけないんだから」


 友香がぴしりと断言する。

 ふたりで顔を見合わせ……噴きだした。上手くいく見込みなんかまったくないのに、友香の言葉のおかげで心が軽くなった。

 そうだよね。ふたりがどうなるかということと、わたしの気持ちは別だ。わたしの気持ちを大事にしないと。


「で、ドレスのサイズは大丈夫なの? それだけ痩せると、見栄えしなくならない?」

「……ドレス……ドレス? ……忘れてた!」


 わたしははっとして勢いよく立ちあがった。

 仮にもパーティーに参加するというのに、当日の服装についてなにも考えていなかった。そういえば靴を買おうと決めていたことさえ、パーティーの準備やなにやらですっかり頭の隅に押しやられていた。

 譲くんの大事な家族の大切な時間に、仕事のスーツでなんて行けやしない。


「友香、ありがと……! 買う、すぐ買う。明日買う! ってああー!」


 招待客の顔から絵の具がはみ出てしまい、わたしはつかのま魂を抜かれた気分になった。だめだだめだ、と慌てて水を塗り色を吸いとる。これってもしかして不運? ……じゃないよね、ただのうっかりだ。気をつけなくては。


 わたしはリカバリーにいそしみつつ、脳内のやることリストの最上段にドレスの購入を加える。


 ところがただのうっかりなんて、これから起きることに比べればほんお序の口だった。

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