第12話

「えっ、そう……かな」

 目尻をだらしなくゆるめたわたしを、譲くんが悪戯めいた顔で笑う。

「おなじ案件を担当する地獄を見なくてすんだ。朗報サンキュ」


 そんな顔は初めてかも、とか。今までより気を許されたのかな、とか。思ったのが台無しだ。


「励ましてくれたのかと思ったのに! 譲くんって、けっこう意地悪だよね」

「それは失礼しました、と。笑ってるうちに傷も癒えるでしょ」


 譲くんがまた桜を見あげる。わたしも桜を見るふりをしながら、こっそり譲くんの横顔を見た。

 譲くんの言うとおりだな。いつのまにか傷は小さくなって、新しい部署も悪くない気がしてきてる。「明日ね」と切りだすと、譲くんがわたしに向き直った。


「新しい靴を買いにいってくる」


 譲くんが「そ」とぶっきらぼうに、でも優しく笑った。





 翌日、わたしはデパートに足を向けた。

 途中、かれんさんにいくつか確認をお願いしていた事項の返事がきたので、譲くんにもメッセージを送る。

 かれんさんは基本的に「女神ちゃんがいいならなんでもオッケー」と言ってくれる。けれど、かれんさんの好みも趣味もほとんど知らないわたしが決めるのにはやっぱり限界があって、弟である譲くんの反応は貴重な意見なのだ。


【かれんさんはOKって言ってくれたけど、どう? 好みに合ってるか確認してほしい】


 いくつかの画像と文章を添えて送信すれば、デパートはもう目と鼻の先だ。

 あと数日で今年度が終わりという気忙しさと、新しい季節を迎える期待を孕んでか、デパートの建つ通りは普段より人通りが多かった。

 表はまだ肌寒くても、デパートの中はすっかり春真っ盛りだ。化粧品カウンターに並べられたアイシャドウも口紅も、花々が咲き誇るかのように華やぐ。鞄やアクセサリーも、なんとなしパステルカラーが目について、色彩の豊富さに圧倒される。

 でも、来てよかった。強制的に春を見せつけられるというのには、心理的な効果もあるみたいだ。

 ともすれば留まろうとする心が、ぐんと前に押し出されるというか。

 時間は容赦なく進んでいくものなんだな。としみじみ思いつつ、わたしは婦人靴のフロアを見て回る。恋人でもない譲くんを買い物に付き合わせる発想はなかったけれど、友香は誘えばよかったかも。

 ところが。これも不運の一環なんだろうか。


「あいつまじで幸運の女神だったんだよ。名前のとおり」


 どうして自分の名前って、雑踏の中でもまっすぐ耳に届いてしまうんだろう。なんかそういう心理学用語があったような気もする。

 わたしが足を止めたのは婦人靴売り場の端、仕事でも使えてデザイン性もあり疲れにくい、という万能なパンプスを探していたときだった。

 声の主は間違えようもなく大河さんだった。それとなく辺りを見回せば、階段の脇で壁にもたれて電話をする姿が目に入る。わたしはそっとあとずさった。


「あいつオイシイ女でさ、ここ一番ってときにポカするから客は全部俺に流れてくんだよ。黙って隣に立ってるだけで優良顧客がじゃんじゃん取れんだよな。入れ食い」


 したり顔と笑い声。

 わたしはうつむき、ぐっと拳を握りこむ。


「けど、女としては終わってるわ。どんだけ自分に価値あると思ってんだか、もったいぶってなかなかヤらせねえんだよ。胸にパッド詰めまくってんじゃね?」


 もったいぶってなんかない。心づもりをして臨んだときに限って、不運に妨害されるだけで。

 大河さんの舌打ちがよみがえった。

 そっか、舌打ちのほうが真実だったんだな。仕事中は、わたしが落としたお客様を拾いあげられるから親切だっただけで。フォローしてくれるいい先輩だと慕っていたのは、わたしだけか。

 電話の相手は友人か、それとも本命の恋人か。大河さんが、裏でオイシがってるなんて思いもしなかった。フォローと称して客も成果も横取りされていたとか……ムカムカしてきた。一発殴ってもいいかな。やらないけど。

 そんなことを考えていたら、すぐ横をひとりの女性がすり抜けていった。

 きゅるんとした大きな目、絶妙な抜け感のあるシニヨンと細いうなじ。オフホワイトのニットに、薄いピンクのフレアスカート。白いブーツ。ひと言でいって、守ってあげたくなる雰囲気。

 つい目で追うと、その子は階段のほうへ曲がった。大河さんの名前を呼ぶのが耳にばっちり届く。


「この前のひとと違くない……?」


 二股どころか、三股だったってこと? 鳥肌が立った。

 ふたりからは死角になっているので見えてないとは思うけれど、わたしは壁際にぴたりと貼りつく。

 大河さんが電話とは打って変わって、色っぽい声で可愛い子に応じる。ああ、胸がムカムカする。色気全開で恋人に接する大河さんも、大河さんに甘ったるい声で応じる恋人も。それをこそこそ見ているわたしも嫌だ。

 踵を返して足早に出口を目指す。泣きたくないのに鼻の奥がつんとしてくる。ちょうどデパートの自動扉を出たとき、バッグの中でスマートフォンが鳴った。


【こっちのが姉さんの好みだと思う。手配サンキュ】


 メッセージのあとには、わたしがいくつか送ったケーキのサンプル画像のうち、ひとつを指さす絵文字がついていた。譲くんだ。

 なんてことのないメッセージだけど、ふと肩の力が抜けた。


【わかった、レストランにも連絡しておくよ】


 わたしは人混みを縫って駅に向かいながらプランナーさんに電話をかけ、ケーキの件を伝える。

 それから、と思いついてプランナーさんに相談した。

 譲くんたちに、わたしからもお祝いの気持ちを伝えたい。

 プランナーさんは快く、ある提案をしてくれた。


「でしたら、こんな演出はいかがですか? 花嫁様に喜ばれること間違いなしです」 


 大河さんの姿は、いつのまにかすっかり薄れていた。それよりもいまは、これからやることのほうが大事。

 わたしはプランナーさんのアドバイスを元にあるものを用意すべく、目的地を変更した。

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