第6話

 土曜日の午後、普段にも増して人出の多いゆるやかな坂道を苑田さんと並んで歩きながら、わたしは今日五度めの「なんでこうなった?」を心の内で繰り返す。


『姉さんが、女神さんに会いたいってゴネてうるさいんだよ。五分でいいから会ってくんない?』

『え、わたしに女神的なものを期待されてる? 加護がほしいとかだったら無理だよ』

『そっち系じゃないから安心して』


 じゃあどっち系なんだ。

 とりあえず会うことにはしたものの、いまだに事態がのみこめない。

 坂道に沿って様々なショップが並ぶ。インテリア雑貨の店、アクセサリーショップ、アンティークの器を扱う店、などなど。どれもセンスがよく、ウィンドウショッピングにぴったりだ。大学が近いのもあって、歩いているのは大学生くらいの女子が圧倒的に多い。

 その女子大生たちが、苑田さんをちらちらと見る。

 なんでだろ、とわたしも苑田さんをこっそり見あげた。

 三寒四温ならぬ五寒中の季節だが、今日の苑田さんのコーデはグレーのチノパンに白スウェット、そしてラフな素材の黒ジャケット……と思ったら、おっと。


「苑田さん、そのスウェット、フード付きならフードはジャケットの外に出したほうがいいんじゃ?」

「あー、どうりでなんか背中がもぞもぞすると思った」


 苑田さんが、ごそごそとフードをジャケットの下から引っ張り出す。うん、これでよくなった。苑田さんってば、服のセンスは悪くないのに、着こなしに無頓着だな。

 しげしげと苑田さんを見たわたしは、ふと首をひねった。

 着こなしには難があれど、本人の素材はよいのでは。重めの前髪に隠れて見えにくかったが、目元がクールなところとか、手足がすらりとしてるところとか。

 案外、不自然に盛り上がった背中ではなく、苑田さんの造りそのものが見られていたのかもしれない。

 などと考えていたら、「まだ変?」とかれた。わたしは問題なし、と首を横に振る。


「念のためもう一度言っておくけど、なにを頼まれても断るからね? 断るにしても直接言うべきだと思ったから、お会いするだけだからね?」

「わかってるって」

「それで、どんな依頼なの?」

「結婚パーティーの幹事を引き受けてほしいんだってさ」

「はい? ……それお呼びじゃないよわたし」


 わたしはすぐさまきびすを返したけれど、苑田さんに腕をつかまれるほうが早かった。


「待って。頼むから待って」

「会った回数で言えば、苑田さんともこれが二度めだよね? お姉さんとは面識ないし、そんな大役おかしいって」


 いやいや、と帰ろうとするわたしと引き留めようとする苑田さん。


かばんとは面識あるでしょ。あれの持ち主」

「なに言ってんですか。鞄のパーティーじゃあるまいし」

「ノリいいね、女神さん」

そらさないで。あとこの際だから言うけど、苗字で呼ぶのはやめてほしい。自分の苗字、好きじゃなくて」


 この苗字のおかげで、何度羞恥しゅうちにさらされてきたことか。病院やお店で「女神様」と呼ばれるたび、相手の顔に浮かぶ「女神様……!」な顔よ。この「……」と「!」に含まれた、なんともいえない感慨を向けられたほうはたまったものではない。

 あとは、「実生活で女神様だなんて初めて言っちゃった!」というなんともいえない表情とかもね。けっこう耐えてきたからね。実際に、ありがたみのある名前ですねと言われたこともあるし。

 そのたびに、不運体質ですけどねとは言えずに心の中でだけ平謝りしてきた。前回はあれきりだと思ったから言わなかっただけで、実は苗字を呼ばれるたびに落ち着かなかった。

 という怨念おんねんをこめて苑田さんを見ると、手を放した苑田さんが真面目な顔をした。


「わかった。直央」


「っと……」

 なんか、胸に衝撃がきた。

「あれ、違った?」

「ううん、合ってる」

「じゃ、俺も名前でいい」


 苑田さんは二歳上で先輩だけれど、出会いが出会いだっただけにいまいち先輩感が薄い。

 その上、他人に巻きこまれがちな不憫さとか、着こなしが「あと一歩!」な残念さを考え合わせると。


「譲くん? かな」

「ん」


 しまった、呼び名を改める必要なんてなかった。わたしは苑田さ……譲くんとは、もう関わらないつもりなんだった。





 結婚パーティーの幹事。それはたいていは親しい友人か、そうでなくても面識のある相手に頼むものだと思う。少なくともわたしの認識ではそうだ。最近は代行業者という手もあるけれど。

 なぜわたしにその役を回そうとするのか理解に苦しむ。人生の晴れ舞台という賭け金をすべてドブに捨てる気なんだろうか。

 指定されたカフェの素朴そぼくな木製のドアに手をかけた譲くんが、わたしの疑問にふり返った。


「……それは」


 譲くんは気まずそうに目を逸らす。わたしが「譲くん?」と低い声で詰め寄ると、譲くんは重い口を開いた。


「恋人に二股かけられた不運体質の女神っていう名前の同僚の話をしたら、食いつかれたんで……」

「ひとの不幸を赤裸々せきららに話すのやめようね!?」

「姉という生き物は、弟の都合なんて考えちゃいねー」


 実感がこもってらっしゃる上に、譲くんはわたしの話など耳に入らなかったようで、重いため息だけが返ってきた。

 話すほうも話すほうだけれど、食いつくほうもおかしくないか。いったいなにに食いつかれたんだか。でも、不運体質までバレてるのなら、断るのは簡単だ。

 わたしはよし、と断り文句を頭の中で整理し、譲くんに続いて入店した。

まるで森に迷いこんだかと錯覚するようなカフェに、わたしは目をしばたたかせた。ナチュラルテイストで統一された店内のいたるところに、観葉植物がひしめいている。

 フロアの真ん中には柱かと思うようなシンボルツリーが植えられ、みずみずしい枝葉が天井をう。森林浴でもできそうだ。

 そのシンボルツリーの向こう側、奥のソファ席に向かって譲くんが手を上げた。わたしもそちらに目を向けた。


「うそ、妖精かな……?」

 わたしはいったん目をつむってから、ふたたびソファ席の女性を見る。

「やっぱり妖精……」

「姉さん、連れてきた」


 こんなにあどけない顔のお嬢さんが、譲くんのお姉さん? わたしの脳内がちかちかと点滅するあいだに、妖精が腰を浮かせた。その仕草もまるで実体を感じさせない。


「女神ちゃん! 苑田かれんです。もうすぐ小牧かれんね。今日は来てくれてありがとう」

 わたしは手をかれんさんの両手につかまれ、向かいに座らされる。

 なんて可愛いひとなんだろう。腰の辺りでふわりと揺れる茶色の髪も、つるりとした小さなおでこも、どこか少女めいた儚さがある。

 かれんさんが森の妖精なら、譲くんはその森番だな。わたしはひとりで納得した。


「姉さん、女神じゃなくて直央だから」

「えーっ、女神ちゃんのほうがぜったい可愛い。この私が言うんだから正解」

「かれんさんなら女神ちゃん呼びでもいいです……」


 譲くんは気を利かせてくれたみたいだけど、この妖精にならなんと呼ばれても問題なしだ。可愛いの威力。


「ほらね? ね、ね、女神ちゃん、ここのパフェは一生に五十回くらい食べないと後悔するから食べて」

「おお……それは期待が高まります。じゃあわたしは、この森のフェアリーテイルパフェをお願いします」

「さすが女神ちゃん。それ私のお勧めベスト四に入るやつ。じゃあ私は金のおのパフェにしよ」


 渋いネーミングのパフェをかれんさんが頼む。譲くんはひとり、能面のような顔でブラックコーヒーを頼んだ。若干、かれんさんへの諦めがにじんでいる気もするけど、なぜだろう。


「それでさっそくなんですが、幹事の件で」

「うん、譲はこき使っていいからね」

「いえ、そうではなく」

「会場は押さえてあるから、あとはプランナーさんと詳細詰めてね。全面的に女神ちゃんにお任せするから好きにやって。楽しみにしてるね!」


 わたしは無言で譲くんに助けを求めたけれど、必殺、目逸らしの術によって裏切られた。譲くんの目はうつろだ。

 わたしはここへきてようやく、まずい、と思い始めた。かれんさんは、見た目に反してかなりの強者だ。

 巻きこまれ体質だと言った譲くんの諦観ていかんのにじんだ顔が頭によみがえった。おそらくこのお姉さんがその元凶なのではないか。

 いまだって、譲くんはいっさいの抵抗を放棄ほうきしている。これは非常にまずい。


「待ってください。聞いておられると思いますが、わたしは不運体質持ちなんです。わたしが引き受けたら大事な新婚さんのパーティーにどんな水を差すことになるか……! なので、こればっかりはお受けできません」


 勢いよく頭も下げようとしたら、ちょうど店員がパフェを持ってきた。フェアリーテイルなパフェを前に、気勢が削がれてしまうではないか。ふわふわのホイップとスポンジ、上にちりばめられたパステルカラーのチョコレート菓子。これは妖精の羽?


「大丈夫よ。譲から、女神ちゃんは不運続きでもしぶとく突き進むって聞いてるから」

「いえいえ、そんなんじゃな……ひっ」


 かれんさんが、金の斧パフェから斧の形をしたクッキーをつまみ上げると、わたしの前で振りまわす。青いソーダの湖面に浮かぶホイップクリームの小島に突き立てた。シンプルに怖い。


「心配しないで、女神ちゃんならできる! 私も応援するから!」

「え? いえあの」

「ありがとう、頑張ってね!」

「あ……じゃあ……はい……やらせていただきます?」


 押して押して畳みかける怒濤の攻撃に、気がつけばわたしの口はわたしの意思とは真逆の言葉を押し出していた。


「女神ちゃんならそう言ってくれると思ってたー!」


 わたしは敗北感に打ちひしがれた。目の前には、満面の笑顔でパフェに刺さった金の斧をかみ砕く妖精、もとい魔女。

 隣には、諦めを通り越して無の境地に達したらしい森番。目が、白目になってるよ。

 どこにもわたしの救助隊は見当たらない。

 これはもう腹を括るくくしかないのか。ええい、とわたしはお腹に力を入れた。


「わかりました。やるからには雨にも負けず風にも負けず不運にも負けず、全力でかれんさんの晴れの日を成功させます!」


 瞬間、店内のシンボルツリーから、めりめり……という異様な音がした。

 なに、と思って見あげるのと同時に、天井に這わせられたシンボルツリーの枝が剥がれる。

 枝はわたしのフェアリーテイルパフェとピンポイントで激突した。


「うっそぉ」


 この体質で人様の幸せのお手伝いって……ハードル高くない?

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