第4話
苑田さんに借りたお金で、わたしはなんとか改札を抜けることができた。なんかもう、苑田さんには頭が上がらない気がしてきた。
苑田さんとは途中までおなじルートだ。ホームに移動したときには、それまでの酔いもどこへやら、ぐったりとしてしまった。
地下鉄はちょうど出発したあとらしく、閑散としたホームがわびしさを倍増させる。ベンチにぐったりと座りこむと、酔っ払った頭で全力疾走をした反動が一気にのしかかってきた。いろんな糸が切れてしまった気分。
「決めどきに限って不運に見舞われるって言ってたけどさ」
ベンチの横に立った苑田さんが切りだし、わたしは顔を上げた。
「受験とか就活とかどうしてたわけ?」
「うーん、そっちは不運の対象外だった気がする。もちろん、だからどれも成功したってわけじゃないけど、単純にわたしの実力不足というか。受験会場に向かうはずが、海外に売り飛ばされた、とかはなかったな」
なるほど、と苑田さんがひとりごちた。
「要するに、他人が絡むことで本気になるとぽしゃる」
わたしは首を
「……そうかも?」
「そうかも、じゃなくて明らかにそうでしょ。まさか毎回、ぎりぎりで電車に間に合わせようとするたびに、不運に遭ってるわけじゃないでしょ」
「あー……言われてみれば。ははは……それで巻きこまれた苑田さんには大変申し訳なく」
「別に、謝ることじゃないけど。他人のことで頑張って不運に遭うのって、損じゃない? 俺だったら、他人に巻きこまれるのなんてごめんだけど」
「いやそれ、営業として失格じゃない?」
「仕事は別として」
わたしはしばらく、ぽっかりと黒い空間の広がる線路のほうを眺めて、答えを探す。
「言われてみれば……かも」
「そんなだから間瀬さんに体よくあしらわれるんでしょ」
さりげなくディスられた。ほんのちょっとだけ忘れていられた大河さんの言葉を思い出し、わたしはうっ、と手で顔を覆う。
「苑田さん、傷心女子の心臓を
「悪い」
「やっぱり
「悪いって。言い過ぎた」
顔を覆った手のあいだからそっと盗み見ると、苑田さんは非常に慌てた顔をしていた。本心から反省しているようだ。しめしめ。
「なーんて、そんなに怒ってないよ。ていうか、苑田さんもおなじだよね。巻きこまれるのがごめんだっていうわりに、間瀬さんに声をかけられたとき素直にエレベーターを降りてきたし」
「あれは
でも少なくとも、あのときは逃げ切れたような。とは思ったけれど、苑田さんの目が死んだ魚のようになったので、言わないでおいた。いろいろと苦労してきたのだろう。
わたしは「けどさ」とホームの壁にもたれた苑田さんと目を合わせた。
「わたしの損得はさておき、最終的に上手くいけばOKじゃない? いやもちろんわたしだって今回のことはショックだし、間瀬さんなんか痛い目に遭えとも思うよ? 鏡の前で念入りに服装チェックした自分が滑稽だし、あんな場面を目撃さえしなければ、今ごろ間瀬さんとデートできたのに……とか思わないでもないし。でも……だからって手を抜くのは違うなって。手を抜きだすと、自分に言い訳ばかりしそうで」
苑田さんの細い目が軽く見開かれる。
それを見たら、急にいたたまれなくなってきた。
「……あの、なんか言ってくれる?」
「ん」
なにその気のない反応は、と言いかけて思い直した。
「あ、そう思えるのは不運の降りかかる先がわたしだけだからか。苑田さんを巻き添えにしないように注意する」
「今後、女神さんとおなじプロジェクトに関わればやばいってことはよくわかった」
「だね、恐ろしい未来が見える」
「でもま、そのときはよろしく。失恋から立ち直ったらもりもり働いて」
「その言葉を後悔しないように。苑田くんが眠る暇もないほど売るよ」
ホームにアナウンスが流れ、電車が滑りこむ。わたしたちも乗車口に並ぶ。ところが、苑田さんは電車に乗りこまなかった。
あれ、と疑問を口に出す前に苑田さんが今日いちにち持っていたハンドバッグを軽く持ちあげた。
「これ、姉さんに渡しにいくから。ホテルのあれ、上階のレストランに忘れてきたから取りにいけって言われて、取りに戻ったところだった」
「え、じゃあ……」
「いい運動になったわ。そっちも気をつけて帰って。電車代も返さなくていいから」
苑田さんが背を向けて歩きだす。なんと、ホームすら別だったのか。意外といいひとだな。
それにしても走る必要なんてなかったのでは……。謝るまもなく閉まった扉に、わたしは脱力してもたれかかった。
ああもう、今日はわれながらダメすぎる。
唯一の救いは、この先苑田さんと関わる機会はないだろうということくらい。
わたしの所属する産業第一事業部が扱うのは、主にオフィスに設置される複合機。苑田さんの設計第一部が手掛ける大型の特殊プリンターは入らないので、まずもって仕事で関わることもない。
お互いに、関わってはいけないと身に染みたところだし。
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