8.消えた魔法装丁たち

 再び路地を抜け、スズランの園を通り、その先の魔法図書館へ。

 白い柱が立ち並ぶエントランスにたどり着いたリゼットたちは、やっと一息ついて座り込んだ。


「疲れた、今日は厄日か」

「ほんとですねぇ、どうしてこんなことになったんでしょう」

「…………」


 リゼットの能天気な発言にも、クライドは罵声を返すことはなかった。ただ疲れたように目頭をもんで、小さくため息をもらす。


「お前、ただの変態かと思ったら、規格外のバカだな」

「む、どういう意味ですか。変態はまだしもバカ呼ばわりは聞き捨てなりません」

「さすがに意味わかんねぇよ……。ま、それはいい。ほら魔法装丁を出せ」


 クライドが手を差し出す。リゼットの腕の中で、装丁本はぴくりと震える。どこか怯えてためらうような様子に、装丁師は困惑をあらわにする。


「真面目にどうしたってんだ。なぜ戻ってこない」

「理由はわからないですけど……何か怖がってるみたいですよ、この子」

「怖がってる?」


 眉を寄せるクライドに見つめられ、装丁から顔を出した生き物が耳を下げた。どういう理由か不明だが、戻りたくても戻れない事情があるのだろうか。


「一体どういうことなんだ」

「さあ……というか、ずっと気になってたんですが。この魔法装丁? って何なんですか? それくらい説明してくれてもいいじゃないですか」

「……はあ、まあ。仕方ないな……」


 クライドは手に顎を乗せて息を吐いた。ちらりと緑の装丁に視線を当て、ゆっくりと立ち上がる。


「……『魔法装丁』は、俺の曽祖父である装丁師によって魔力を付与された『装丁本』の総称だ。装丁に触れた人々の願いを『叶える』ために創り出された魔法の品で、かつての大公家にも献上されたことがある」

「人々の願いを『叶える』魔法の品……? どんな願いでも叶えてくれるのですか」

「いいや、すべての願いは叶えられない。込められた魔法の力や願いの強さによって、それぞれ効果が異なる。たとえば、大公家に献上された装丁本は『より良い出会いを導く』魔法がかけられていた」


 『より良い出会いを導く魔法』。どこかで聞いたような言葉だ。リゼットが首をかしげると、クライドは指をくるくるとまわしながら苦笑いする。


「そんなものがあるなんて信じられないか?」

「いいえ。さっきの風を見たら、さすがに信じますよ。じゃあ、もしかしてこの魔法装丁には風の力が込められてるんです?」

「まあな。曽祖父が最後に作り上げた装丁本――四大の『烙印』。風、水、火、地の四つの属性を込められた、世界を揺るがすほどの力を持つ――それがこの魔法装丁だ」


 リゼットは手の中に納まった装丁を見つめる。世界を揺るがすほどの力を持つなんて到底信じられなかった。けれど先ほどの騒ぎが力の一端でしかないなら、それも決して誇張ではないのかもしれない。


「そう。そんな強大な力を持つがゆえに、曽祖父はこれらの装丁に封印をかけた。それを先ごろ、どこの馬の骨とも知れぬ変態バカが解き放ってしまったわけさ」


 あれだけの事態の引き金を引いたのは、確かにリゼットの手だった。神妙な顔で黙り込む少女に、クライドは肩をすくめてみせる。


「ま、解き放たれた魔法装丁はあと二つ。やつらが悪さを始めたら、俺が封印してみせるさ。それが魔法装丁を受け継ぐ一族の責務でもあるしな。だかお前は大人しくおうちに帰るだけでいい」


 最初、あれほど怒り狂っていたはずなのに、クライドの表情は限りなくドライだった。彼自身、リゼットに対する思いを切り替えたということだろう。たぶん、いやきっと、より悪い方向にだが。


「待ってください。わたしにも……手伝わせてください」

「余計な手はいらない。たとえお前が魔法をぶん殴って黙らせられるような力の持ち主でも、いやだからこそ余計危険なんだよ。もし万が一、魔法装丁を破壊なんかしたりしたら、この街くらい一瞬で吹き飛びかねない」


 街が吹っ飛ぶ。その言葉にさすがのリゼットも青ざめた。猫には責任を果たすといったものの、事態は想像の斜め上の深刻さだ。クライドの言う通り、何の知識もない少女が立ち向かえることではないのかもしれない。


「だけど、わたしには無視できない理由があります」

「理由? なんだそれは」

「私がこの交易都市ソレル大公の娘、リゼット・フォン・ソレイユだからです。町の危機を見過ごすことは、我が家名に泥を塗るのと同じことなのです」


 リゼットの告白に、一介の装丁師はあんぐりと口を開けた。まさか、あれだけ罵っておいて正体に気づいていなかったのだろうか。小公女に向けられた視線には、若干の動揺が含まれていた。


「なるほど、あんたが例の『小公女』だったわけか」

「そうですよ。だからリゼットだって言ったじゃないですか」

「そ、そんなんでわかるか! どこのお嬢様のリゼットかと……ああっ、もうそれはいい! で? 小公女様? しがない装丁師でしかない俺に何をお望みで?」


 クライドは顔をしかめたまま、リゼットから目をそらす。おそらく、ここで小公女として『命じれば』、クライドは何でも聞き入れてくれるはずだ。だが、相手に無理を通すために権限を振りかざして何になるのか。それが本当に自分のしたいことなの?


「クライドさん、わたしと一緒に魔法装丁を探してください」

「ご命令とあらば」

「いいえ、命令じゃありません。これは『お願い』です。あなたには拒否権があるし、わたしの言葉を聞き入れる必要はない。だけど」


 リゼットは決然と前を向く。自分の言葉で他人の行動を左右してしまうことが、これほど嫌な気持になるとは思わなかった。できれば、クライドにはクライドの意志でリゼットを認めてほしい。それが高望みだということは、すでに理解してはいたけれど。


「だけど、わたしは『あなた』と一緒に問題を解決したいんです。クライドさんは嫌だと思うけれど、それでも」

「……なんでそこまでこだわる? 俺が装丁師だからか」

「それはあります。でも、それだけじゃない」


 一歩だけ、リゼットは前へと踏み出した。クライドへの距離はまだまだ遠いかもしれない。それでも一歩ずつ歩んでいけばたどり着けるなんて、そんな幻想を夢見てしまう。


 どうしてそんな風に思うのか、はっきりとした答えは見つけられない、それでも。


「わたしにとっての『最良の出会い』は、あなたのような気がするんです。装丁師――わたしの夢と願いを体現するような人」


 リゼットはそっと胸に手を当て、微笑んだ。かつて祖母は、リゼットのより良い未来を願って装丁本を贈ってくれた。その記憶はいつしか色あせてしまったけれど、今でも胸の奥に大切にしまわれている。


 祖母の装丁本は、すべての願いは叶えないかもしれない。しかしきっと、それがもたらす『最良の出会い』は本物だ。リゼットはそう信じる。誰よりも信じている。


「だからクライドさん。お願いします。わたしと一緒に、魔法装丁を探してください」


 答えはすぐには返らなかった。クライドは深いため息をつくと、リゼットに背を向ける。不信、拒絶。後ろ向きの感情しか刻まれていない背中は、不意に揺れてもう一度こちらを振り返った。


「わかったよ、好きにしろ」

「! じゃ、じゃあ!」

「ただし、俺の指示には従ってもらう。それが最低条件だ」

「ありがとうございます! 『クライド師匠』!」


 リゼットは歓喜と共にクライドに手を伸ばす。あまりの熱烈さに顔をひきつらせたクライドは、迫る手を振り払いながら毒づいた。


「やっぱりうぜぇ」


 第一幕――了


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