041 灰神のお導き

■同時刻

■ヴァシラ帝国 帝都ヴァンシア

凱旋通りトライアンフ・ブルバード


「くそっ……なんだってこんなことに……無敵じゃなかったのかよ」

 月明かりの下、人混みを避けるようにして細い路地をよろめきながら歩いている男の影があった。

 武器は何も持っていない。着ているものは簡素な麻布の服。陰りのない月光のせいで夜でもなお、建物の影が路地に落ちている。


 男は思い出したようにメニュー画面を表示して、自分の名前や職業が秘匿マスキング処理されていることを確認する。


『青騎士』としての装備を剥がされたとき、個人情報を秘匿モードにしておいたか確認していなかったが、どうやら無意識に操作していたようだ。

 男は安堵の吐息を漏らす。


 ……あるいは『青騎士』に備わっている機能として、自動的に秘匿マスキングされるのかもしれない。

 あのいかがわしい装備なら、それくらいのことは本人の許可を必要とせずにやりそうだ。

 男は、壁に寄りかかって、まるでサーチライトのように自分を照らしている二つの月を忌々しげに睨む。


 ……とにかく、アイツの元へ行かなければならないか……。できればこのままバックレたいが。


 簡単な仕事のはずだった。


 一切の物理攻撃も、魔導術や法術による攻撃であっても、決して傷つけることができない最強の装備。一撃必殺の攻撃力を付与された手甲ガントレット青魔合銀ミスリルの大剣。


 あの憎たらしい大魔導術師アーク・ウィザードとの『決闘デュエル』に勝利して、装備品とアイテムを根こそぎ手に入れる。

 その中にあるはずの『フリトト』と明記されているアイテムを、依頼主であるアイツへ引き渡す。


 たったそれだけで、自分は最強の騎士団を作り上げることができるはずだった。


 あの『青騎士』の力と共に。


 ――この装備はね、言うなれば次世代の『執行者エグゼキューター』なんだよ。


 いつも笑っているような細い目の男が言った台詞。


 確かに最初はそう思った。大魔導術師アーク・ウィザードが放つ強力な稲妻の攻撃でも、びくともしなかった。


 しかし、あの二人がイチャイチャとキスをした当たりから事態は一変する。


 通るはずのない攻撃がヒットする。しかも初級レベルの魔導術なのに、尋常ではない威力となってヒットポイントを削られた。


 無敵のはずが、一瞬で形勢が逆転する。まったく事態が飲み込めないまま『戦闘バトル』は一方的な敗退で幕を閉じた。


 勝敗はたった三発の魔導術で決したのだ。


 ……あれなら、カムナ騎士団にいた頃の方がまだ戦えていた。


 路地の壁を力任せに叩く。痛みはない。ゲームなんだから当たり前だ。ただ『錯覚』としての振動が伝わってくるだけ。

 しかし、そんな痛みのない力の発露は、さらに悔しさを増幅させた。


「ちきしょうっ! なんだってこんな目に合わなきゃならないんだよっ!」

 壁を蹴り、後頭部を激しく打ち付けても、痛みはなかった。


「バーナデットとかいう女だって、見張ってるより詰め所に連行して尋問したほうが早いだろうが! それをなんだ? 命令無視だと? ふざけるな! 僕はカムナ騎士団のことを思って、早期に問題を片付けてやろうとしただけだぞ!」


 何度も壁に拳を打ちつけるが、虚しい振動が伝わってくるだけだった。


「ちくしょう……」


 ずるずると壁に寄り掛かるようにして崩れ落ちていく。


「どうすりゃいいんだよ……」

 男は今にも泣き出しそうな震える声で呟いた。


 人気のない細い路地裏では、大通りの賑わいは夜風に揺れる木々のざわめき程度にしか聞こえてこない。

 男はしばらく両膝に頭を埋めて塞ぎ込んだまま、動こうとしなかった。


「――です。やめてください。お願いです。やめてください」


 数分の静寂の後、木立のざわめきのような雑踏の音の中に、か細い助けを求める声が聞こえてきた。


 ……空耳か?


 男は疲れ切った表情のまま、首だけを動かして左右を確認する。


「お願いです。やめてください。お願いです。やめてください。お願いです。やめてください」


 同じ言葉を繰り返す、抑揚のない声。


 おそらくアストラリアンだろう。


 大方、どこかの馬鹿なプレイヤーが抵抗できないNPCであるアストラリアンを路地裏に連れ込んで、ストレスのはけ口に痛めつけようというところだろう。


 度が過ぎれば『執行者エグゼキューター』がやってきて、逆に自分が痛い目を見る側になるってのに……こういう手合の小物は後を絶たない。


 ……小物、か。


 男は自嘲気味に笑う。


「お願いです。やめてください。おね……ガイデす。やメテク……ダサ……。おねガ……やメ……」


 ……なんだ? 様子がおかしい。


 アストラリアンの声が、壊れた無線機のように耳障りで非人間的な音声へと変わっていく。


 男は立ち上がり、今なお助けを求めている声の方へと進んでいく。


 どんなイタズラをしているか知らないが、声が変わるほどの外圧を加えるとなると、なんらかの違法行為をしている可能性がある。


 プレイヤー同士の対戦ならまだしも、街中でのアストラリアンへの攻撃など、通常のプレイではまず不可能だ。


 とくに正義感に駆られたというわけではない。アストラリアンがどうなろうと知ったことではない。

 男はそう自分に言い聞かせながら声のする方向を探る。

「……耳障りなんだよ、このキモい声が」

 我知らず、苛立ちに任せて声を発する。


 煌々と照らす月明かりが作り出すコントラストに紛れるように、路地の隙間からさらに狭い路地へと続く分かれ道がある。

 助けを求める声はその先から聞こえてきた。

 月光の作る濃い影に覆われて、路地の奥はよく見えない。


 男はその闇に呑まれたような路地を覗き込み。目を細めて凝視してみるが、暗闇の明度が上がることはなかった。技能アビリティの『暗視』があれば見通せるのだろうが、あいにく戦士や騎士のような戦闘職では習得にが必要である。


 ……どうする? 別に放っておいてもいい。今の僕は正義の味方でもなんでもない。


 それどころか、ついさっき非合法な装備でプレイヤーを襲撃してきたばかりだ。


 ――アンタは奴隷だよ。

 ラースの言葉。


「……違うっ」と呟く男。


 ――お前は利用されているだけだ。


「ちがあぁう!」


 男は絶叫する。


「僕は僕だ! 誰にも利用なんてされない。僕が利用するんだ! 元老院だろうが帝国だろうが!」


 男は暗がりの路地へと飛び込む。


「誰の意志でもない! 僕の意志だ! この行為だって、僕が自分で決めているんだ!」


 暗がりそのものに入り込むと、現実世界での瞳孔の調整と同じように、周囲が少しだけ明るくなる。いわゆる『目が慣れる』程度には周囲を視認できる。


 路地はさらに左に折れ曲がっていた。


 その先で物音がする。自分の大声に反応したのだろう。


「こんなところで何をしている! アストラリアン相手にくだらないことを――」


 左に折れ曲がった先は袋小路であった。


 そこにはフードを目深に被った男がひとり。さらに倒れている者がひとりいた。


「なんだ……これは? お前は……何をしている……?」


 ひと目見て、フードの男が加害者であることは理解できる。問題は倒れている方のアストラリアンである。

 どこにでもいる、店の手伝いかなにかを生業としている、普段着姿の男性型アストラリアン。


 だが、その形状は常軌を逸していた。


「……何をしたらアストラリアンがこんな姿になる!」


 倒れているアストラリアンは、驚くべきことに


 首、腕、胴で切断され、バラバラになっている。

 人間ではないし、リアルな現実での出来事ではない。

 だから当然、血も流れていない。切断面は仄かに緑色に発光しており、ハリボテの裏側のような形状が垣間見えている。


 生身の人間であれば、かなり凄惨な光景だっただろう。


 だが、月夜の静寂さの中で、ただのパーツに分解されているかのようなアストラリアンの姿は、ただただ異質な状況であることを感じさせるだけだった。


 切断されて転がっている頭部。目は開いているが、そこに感情と呼べるものは何もない。

 恐怖も、怒りもなく、時が止まったようにそこに転がっているだけ。


 首を切断された時点で、おそらくキャラクターとしての機能はすべて消失したのだろう。

 声を発することは、おそらくもう二度とない。


 それにしても不可解だ、と男は現状を凝視したまま思う。

 そもそもアストラリアンに攻撃することはできない。攻撃したとしても、ダメージは計上されない。

 もし興味本位やストレスの発散として、意図的に街中で攻撃モーションやスキルを発動してアストラリアンを攻撃した場合、視界に真っ赤な表示で警告文が浮かび上がり、注意喚起するためのアラームが鳴る。

 それでもさらに攻撃をすると、警告音がボリュームを上げて鳴り響き、攻撃を中止するように、と表示された警告文が視界を埋め尽くす。

 それでも、それを無視して攻撃を繰り返すと、いよいよ『執行者エグゼキューター』が出現し、ペナルティが執行される。


 ただし、軽く押したり、攻撃モーションとして計上されないレベルでの小突きは、ドアを開ける時のノックと同じであると判断され、警告の対象とはならない。

 その場合は、さきほど聞いたように「お願いです。やめてください」とアストラリアンが警告を発するにとどまる。


 目の前にいるフードを被った男は、おそらくこの場所までアストラリアンを軽く押して移動させてきたのだろう。だから連続して警告を発していたのだ。


 そして、この場所で、この凶行に及んだということか……。


 しかし、いったい何のために、こんなことを?


「貴様……」とフードの男が言った。

 こちらを凝視しているようだが、暗がりの中でさらにフードを被られていては表情が見えない。


 念のために相手のプロフィール・ウィンドウを確認するが、すべて秘匿マスキングされている。


 表示された画面のすべての欄に『SECRET』の文字が並ぶ。


 フードを被った男の右手に握られている短剣が目にとまる。

 見たことのない短剣だった。

 刀身は黒いようだが、月明かりを受けると鈍く赤黒い光を放つ。刀身の中央には真紅のラインが掘られていて、血管のように脈動していた。まるで生きているかのように。


 ……なんだかよくわからないが……ヤバいということはわかる。


 フードの男は、犯行現場を目撃されたというのに、慌てる素振りはおろか微動だにしない。その超然としている姿に、男は逆に恐怖を感じた。


「貴様は……」とフードの男がもう一度言った。「何者だ? なぜ貴様はそれほどにフリトトの魔素を浴びている」


「……なんだと? 何の話だ?」


「いや、聞く意味はないか」とフードの男は空を見上げる。「時が移る。見られてしまった以上は仕方がない。まだ人間相手に使うなと言われているが……これもまた灰神のお導きであろう」


 誰に言うでもなくそう呟くと、フードの男は黒い短剣を構えて突進してきた。

 その動き方は、まさしく暗殺者アサシンのそれであった。


「お、おい! 待て……なんの真似――危なっ!」


 無意識に相手を制止しようとして前に出した右手の平に黒い短剣が斬りかかる。


 別に当たったとしてもダメージは受けないと分かっていながら、やはり反射的に手を引っ込めてしまう。


 だが、黒い短剣が一瞬速く男の手の平に触れた。


「――痛ってえええ!」


 ……なんだ⁉ 痛い? なんだこれ? なんで痛いんだよ!


 男は一瞬でパニックに陥る。手の平に感じる、熱した鉄棒を押し付けられたような熱くて鈍い痛みが襲いかかる。


「いっ! 痛い! ヒィィっ! なんで痛いの? や、やめろ……いや、やめて! やめてくださいっ! う、うわぁぁっ!」


 痛みのない世界のはずなのに。今、自分は、


『錯覚』の世界。

 ゲームの世界。


 ……なのに、切られた。


 男は腰を抜かした。足に力が入らず、思わずその場に崩折くずおれる。


 ……やばい、やばい、やばい、殺される、殺される、殺される……。


 恐怖しかなかった。


「やめろ! 来るな! 言わない! 誰にも言わないっ! だから……うわあぁぁっ!」


 フードの男は冷静に、静かに距離を詰めてくる。


「命が惜しいのであれば話せ。どこでフリトトの魔素に触れた? この都市の近郊だということは知っている。どこだ?」


 ……なにを言っている? 知らない。僕は何も知らない。頼まれたことをしていただけだ。


「知らない。なにも知らない。僕は……関係ない。だから、お願い、許して……」


「それだけの魔素を浴びていて知らぬか……」と冷笑が漏れる。「愚鈍な者よ。貴様はこの世界に生きる資格なし」


 フードの男が音もなく距離を詰める。

「せめてもの救いだ。死して『呪い』の糧となれ」


 ゲーム上、見栄えの良い攻撃モーションがほとんどだが、フードの男の一撃は、実戦的で一分の無駄もない合理的な動き方だった。


「ひぃぃ!」

 男は身を丸めて両腕で顔を覆った。


 ……痛いのは嫌だ痛いのは嫌だ痛いのは嫌だ!


 そのとき、空気が震えた。


 紅の疾風が男の脇をよぎる。

 同時に激しい剣戟の音が路地に響き渡った。


 ……痛くない……生きている?

 縮こまっていた男は、恐る恐る目を開けた。


 フードを被った暗殺者アサシンが宙高く飛び、後退して構え直す。


「色気のねえ悲鳴が聞こえたから来てみりゃあ、こいつはいったいどうわけだ?」


 聞き覚えのある野太い声。


 月光の青い光さえ燃え尽くすかのような真紅に輝く甲冑。そして団長のみが着用することを許されている純白のマント。


「……カムナ……団長……」


 自分を破門にした男。この男に助けられてしまったのか……僕は……。


 男はとっさに自分の顔を隠す。


 距離をとった暗殺者アサシンは戦闘態勢を解いて直立する。


「ほう。貴様が……カムナ・リーブか」

 暗殺者アサシンの声が心なしか愉快そうに調子を上げる。カムナのプロフィール・ウィンドウを目にしたのだろう。


「確認しなくても絶対そうだと思うが」とカムナは暗殺者アサシンの言葉を無視して続ける。「そこに転がってるアストラリアンのバラバラ死体はお前がやったんだよな?」


「ふっ……だとしたらどうする? 


「ぶん殴って捕まえるに決まってるだろ!」


 指揮官用の重装備に関わらず、カムナの踏み込みは軽装備の暗殺者アサシンを凌駕するほどの速度だった。


 カムナの長剣が暗殺者アサシンの胴体へヒットして、その勢いのまま吹っ飛び、壁へ激突する。


 プレイヤー同士であれば『決闘デュエル』の申請がなされていない以上、ダメージにはならない。だが、その衝撃は多少なりとも『錯覚』として知覚される。


 威嚇としては充分である。


「こちらにはプレイヤーであっても拘束できるアイテムがある。俺はこんなモノを使いたくはないんだが、お前が大人しく連行されないってんなら、遠慮なく使わせてもらうぜ」

 カムナはそう言って手錠のようなものをアイテム欄から出現させる。


 フードから口元だけを覗かせている暗殺者アサシンは残忍な笑みを浮かべてみせた。


「カムナ・リーヴ……。思わぬ大物が引っかかったものだ。だが、今はゆっくり遊んでいる暇がない。貴様と戦うには時間が足りないのでな。ここで失礼する」

 挑発するように、貴族のような礼をする暗殺者アサシン


「逃げられると思っているのか? この俺様からよ」


「クックック……勇ましいことだな」と暗殺者アサシンが右手を広げて前に出す。「弾けろ閃光の種、深淵の闇を暴く光の傍流となれ! 『閃光ランフィシィ!』」


「なんだと――!」


 漆黒に塗られていた路地の全てが真っ白になるほどの光量。

 咄嗟に目を庇うが、光の速さにかなうはずもなく、視界は白一色になって焼き付く。


「待っていろカムナ……貴様はいずれ、我々が殺す……」

 どこからともなく声がして、視界の白焼けが収まる頃には、暗殺者アサシンの姿はどこにもなかった。


「まいったね。まさか魔導術を使える暗殺者アサシンとは……せめて『決闘デュエル』に持ち込めれば、ふん縛って詰め所に連行してやったのによ」


 カムナはそう言うと剣を納める。


「おい、大丈夫か? お前さっき、痛えとかいったな? あれは何だ? ただのゲーム上の口癖か?」


 ……だめだ……いまコイツに顔を見られるわけにはいかない。


 必死に顔を隠しながら、男はよろよろと立ち上がる。


 皮肉にも、自分が倒すはずだった相手に助けられるとは……。しかも一番見られたくない醜態までさらして……。


「おい、どうした? いったいなにが――」


 カムナが自分に手を差し伸べようとしている。


 ふざけるな……いまさら……。


「あ、アンタには関係ないっ!」


 男はカムナの手を払いのけると、そのまま走り出した。


「ちょ、おい! 待てよ! 別にお前を責めてるわけじゃ……」


 男はカムナの言葉を無視して走り続けた。


 ……俺だって、丸腰じゃなければ……くそっ!


「どうしてこうなるんだよっ! くそったれがぁあ!」


 手の平の痛みはまだ続いている。それも異常だが、何よりもこの場から居なくなりたい気持ちのほうが強かった。


 薄暗い路地を逃げ走ることしかできない男はただ悔しくて、意味のない言葉を絶叫しながらひたすらに走り続けた。

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