032 ハイウェイマン

■時間経過

■帝都ヴァンシア

凱旋大通りトライアンフ・ブルバード


「あまりお好きではなさそうですね、マルクトのこと」

 <紅月城>から一直線に伸びている目抜き通り、通称<凱旋大通りトライアンフ・ブルバード>。

 その大通りの中央を、あからさまに不機嫌な顔つきで歩くカムナを見上げながら、少し楽しそうに微笑むタチアナ。


「まあな。向こうだって、俺に好意があって頼んでいるわけじゃないだろうさ」

「そうですね」とタチアナが肯く。「マルクトにとって必要なのは結果を出せる実力者。良くわからない情だの義理だので選んだ相手に仕事を頼んだところで、結果が出なければ意味がありません。あの人ならそう考えるでしょうね」

「……何が言いたい?」

「彼が抱く個人的感情に関係なく、頼まざる得ないほどの圧倒的な実力が団長にはある、ということです。それはそれで素晴らしいことじゃないですか?」


「モノは言い様……か」とカムナが苦笑する。「別に俺とマルクトの間に、なにか因縁があるってわけでもないんだが……。まあ、はっきり言って馬が合わねえな。アイツの話し方は、いつも本心が見えてこねえし、見せるつもりがまったくない、ってのが暗に伝わってくるから、さらに面倒くせえ感を醸し出してやがるだろ」


「分かります。よく暴言を吐かずに堪えることができましたね。偉いですよ」


「子供か俺は」


「見た目よりは、ちょっと……いやかなり」とタチアナが意地の悪い笑みを浮かべる。


「やれやれ」とカムナが頭を掻く。「ところで大丈夫なんだろうな? 俺を差し置いて勝手に依頼を受けたんだから、それなりの勝算があってのことなんだろうが……」


 もちろんです、とタチアナが自信満々にメガネのブリッジを指先で持ち上げる。

「労せずして恩を売れるのなら、高値のうちに売っておきましょう……ということです」


 カムナはタチアナが何を言っているのか分からずに首を傾げる。


「正解はCMあとで……なんちゃって」


 タチアナの表情は真面目なままなので、こうやってたまに冗談を言われると、反応に困るカムナであった。



■同時刻

■紅月城

■元老院執務室


 カムナとタチアナが引き上げたあとも、マルクトはログアウトせずに仕事のデータを転送させてそのまま業務処理を続けていた。


 広々とした室内、滑らかで光沢のある重厚な机、『錯覚』としての体感ではあるが、極上の座り心地を提供してくれる革張りの肉厚な椅子。そして窓から爽やかに射し込む陽光の先には、豪奢な調度品よりもさらに目を見張る美しい城下町の景観が広がっている。


 現実世界の高層ビルから見る景色も捨てたものではないが、誰にも邪魔されずに業務をこなせる環境があるのなら、それが現実だろうと『錯覚』に基づく仮想現実だろうと問題ではない。

 そんなことを問題視している上層部の連中こそ、早く世代交代をすべきだ。


 マルクトにとって仕事は遊びであり、遊びは仕事となりえる。

 世界を創造するというのは、義務だけでも興味だけでもできないからだ。


 一通りの仕事を終えると、マルクトはカムナたちに渡した少年の画像を再び宙空へ表示させる。

 そのピントのボケた曖昧な少年の表情をしばらく眺めていた。

「……まったく。尻尾が掴めそうで掴めない。シュレディンガーの猫にでもなったつもりですかね。……誰に観測されたら、その存在をこの世界で確定させてくれるんでしょう?」

 微笑むようなマルクトの細い目つきが次第に凶悪さを増していくように、さらに細められていく。その赤黒い眼光だけが陽の光を反射させて危険な煌めきを放ちはじめる。

「……だが、そうやって超越者を気取っていられるのも今のうちですよ。必ず貴方という存在を見つけ出し、引きずり出して、事象の結果としてこの世界に定着させてやる」


 熱を帯びはじめた独り言は、弱々しく扉をノックする音によって遮られた。


「入りたまえ」

 今日、会う約束をしていた、もう一人のことを忘れていた。

 マルクトは少年の画像を閉じて、無造作に置いてあった書類の一つに目を通す。本日の業務が滞りなく終っているかを確認するための書類であった。


 重厚な扉が、怯えるようにゆっくりと開けられていく。

「あの……お呼びでしょうか?」

 震えているような男の声。


 ……名前はなんと言ったか……まあ、別にどうでもいい。


 マルクトは書類のチェックを終えて、扉の前から動こうとしない男の顔を見る。

 プロフィール・ウィンドウが自動で開くが、とくに見る必要はない。

 カムナ騎士団を除名されたところで、たまたまその場に居合わせていたから拾っただけのプレイヤー。


 ……どうせ数分後には、この男の名前は存在しなくなるのだから。


「わざわざ来てもらって悪かったね。君にどうしても頼みたいことがあるんだが、引き受けてもらえるかな?」

 心とは裏腹に、友好的な笑みを浮かべてマルクトは言う。


「な、なんでしょうか?」

 日中の陽光が差し込む部屋の中で、この男のいる場所だけが窓際の柱の影となっている。

 怯えたような声の調子は聞き取れるが、その表情は影となってよく見えない。


 もちろん、別に見たいとも思わない。


「そんなに構えなくてもいい。ちょっとしたアルバイトみたいだけなんですから」


「は、はぁ……」


「うーん……そうだねえ」とマルクトはリズミカルに指先で机を優しく叩く。


 やがてなにかを閃いたように、指をぱちんと鳴らす。


「フィールド上で追い剥ぎハイウェイマンなんてどうかな?」



■時間経過

■ヴァシラ帝国 帝都ヴァンシア

■カムナ騎士団本部


「――で、どんな当てがあるんだ?」


 マルクトの執務室と比べれば、ほとんど飾り気のない質素な団長室。

 だが、カムナにしてみれば、その方がよほど過ごしやすい場所であった。

 没個性的な実用一点張りのソファにカムナが腰を下ろすと、立ったままのタチアナがウィンドウを開いて少年の画像を再び表示させた。


「さすがに大通りでこの写真を出すわけにはいきませんからね」とタチアナがカムナの方へ画像を向ける。「団長。もう一度この写真をよく見てください」


「どんだけ見たって身元なんて分からないだろ。この帝都で不正行為をしていそうな奴を片っ端から締めて回ったほうが早いくらいだ」


「ダンジョン内の壁。抉れて、ガラス結晶化している部分です。左下の部分をご自身の最大望遠で拡大してみてください」


 弓騎士ヘビィ・アーチャーとしてのスキル『千里眼』を習得しているタチアナのようにはいかないまでも、カムナは自分ができる拡大機能を最大限にして指定されたポイントを凝視する。


 ガラス結晶に反射している何者かの姿が見えた。

 見覚えのある、オフホワイトのローブ。

 見覚えのある、割とレアな魔導師の杖。

 見覚えのある、いつものぼさぼさ頭。


 それは、見覚えのある偏屈な大魔導術師アーク・ウィザードそのものの姿であった。


「たまげたね」とカムナが目を丸くする。「どうやら最強のトラブルメイカーが誰なのか、これではっきりしたってわけだ」


「そうですね」とタチアナが言う。「もう一つ言うと、これでマルクトが我々に嘘をついているということが判明したわけです。彼は抉れた壁を誰がやったのか知らないと言いました。ですが、ここに大魔導師アーク・ウィザードが写っているのなら、その人物に言及しないのはおかしい」


「しかし……静止画の、しかもこんな小さな反射の姿だけじゃあ、気付けないということだってあるだろう?」


「そこが怪しいのです」とタチアナがメガネのブリッジを押し上げる。


「というと?」


「あれだけ自慢気に次世代型高性能監視ボットなどと言っておきながら、手がかりとして渡してくるのが静止画のみというのは腑に落ちないのです。なぜ動画ではなく静止画なのか? おそらく記録するときは動画のはずなんです。なぜなら不正行為を静止画で判定するのは不可能だからです」


「たしかにな」とカムナが言う。「どんな不正なのか、口頭で説明されたって立証はできない。動かぬ証拠を掴むなら動画で、しかも改ざんする余地がない証明コードを付けられなければ意味がない」


「つまり、我々に渡されたこの少年の画像は、その監視ボットで録画された動画のキャプチャ画像である可能性が高い。なぜ、そんな回りくどい方法を取るのでしょうか?」


「決まっている」とカムナが小さく反射しているラースを見つめながら言った。「動画じゃ俺たちに見られたくないものまで見せることになるからだ」


「それはなんでしょう?」


「さあな」とカムナが吐息と共に続ける。「少年アバターのハッキング以外にも、元老院にとって隠しておきたいスキャンダルがある……。そしてそこにラースが絡んでいる……とか」


「恩を売って、さらにこちらが優位に立てる情報が手に入るかもしれない」

 タチアナが画像を操作してラースの姿をアップにする。

「ですから即決で依頼を引き受けました。こちらにはここに写っているジョーカーがありますからね」


「ジョーカーのつもりがババだった」とカムナも不敵な笑みを浮かべてみせる。「なんてこともありえるぜ。俺たちがやってるゲームがなんなのか。それを見極めることが重要だな」


「そうですね」


「はてさて、ババ抜きなのか、ポーカーなのか」とカムナが言う。


「ジンラミーじゃないことを祈りましょう」


 カムナが、意味がわからないというように小首をかしげる。


使ですよ」とタチアナが微笑む。



■同時刻

■帝都ヴァンシア 近郊

■狂女王の試練場


 <狂女王の試練場>はレベリングを目的としたプレイヤーのためのフリー・エントリーが可能なダンジョンである。

 特にクエストを受注することなく挑戦できる屋外型迷宮フィールド・ダンジョンであり、自身のレベルに合ったルートを選択することによって効率よくレベルを上げることができる仕組みとなっている。


 ……ワギ諸島国においての<五精塔>と同じ役割の場所か。


 トラコは自分のホームにある、同じようなレベリング専用のダンジョンを思い出す。


 それぞれの国には、概ね似たような施設が姿形を変えて存在している。

 拠点ホームとする国によってキャラクターの成長に大きな偏りが出ないようにするためだ。


 ダンジョンの入口となる広場に到達すると、この場所に関する説明文フレーバーテキストのウィンドウがポップアップされた。


 トラコは一度周囲を見渡す。バーナデットの姿が見えないことを確認すると、暇つぶしを兼ねて説明文フレーバーテキストのウィンドウをタッチした。


 <狂女王の試練場>。

 ヴァシラがまだ帝国ではなく王国であった時代の都。

 旧王都の跡地である。

 古の女王、カッサンドラ・イルサ・ヴァシラの妄執によって呪いに覆われた忌むべき場所である。

 カッサンドラが恋焦がれた騎士バーリアスが他国の王女と駆け落ちしたことで彼女の心に闇が巣食い、嫉妬と憎悪によって禁忌の魔導術に手を染めていった。

 騎士バーリアスを殺すための兵を集めると、兵たちを鍛え上げるために王都に呪いをかけて殺し合いをさせる試練場へと変貌させた。

 殺された兵士は不死の傀儡となって、生きている者に襲いかかる。

 屈強な兵を集めるため、狂女王となったカッサンドラは遺跡のあらゆる場所に自分の財宝を隠し、それを欲しいままに手にする権利を兵たちに与えた。

 それから数百年たった今も、呪いは生き続けている。

 そして隠された財宝もまた、すべてが暴かれたわけではなかった。

 狂女王の財宝。その全容を知る者は、誰もいない……。


 ……まったくもってありがちな設定だな。


 トラコが鼻で笑う。


「無論、このありがちな感じが嫌いではないのだがな」


 トラコはフレーバーテキストのウィンドウを閉じる。


 広場に視線を向ける。

 これから意気揚々と<狂女王の試練場>へ向かうパーティ。うなだれて戻ってくる者たちや、嬉しそうに肩を組んで戻ってくる者たち。

 それぞれのプレイヤーが、それぞれの結果を楽しみながら――あるいは嘆きながら――広場を通り過ぎていった。


 今日は木曜日。トラコは平日休みがある仕事をしていて、今日がその休日にあたる。


 朝方、バーナデットと合流して二時間ほど一緒にプレイした。


 <狂女王の試練場>へ入る前に、まずはフィールド上で、高レベルのモンスターに遭遇したときの対処方法を確認する。

 他のメンバーの都合がつかず、昼間からインできるのが自分だけであり、それでもレベリングしたいというバーナデットの要望に添えるよう、最低限の基礎訓練を彼女に対して施していた。

 二人一組ツーマンセルという極小単位での戦闘行為は、互いの職業をよく理解して動かなれば、即教会送りゲームオーバーになりかねない危険を孕んでいる。


 ……まあ、なんとか形にはなったか。


 無理をしない。決断を素早くする。基本的に生き残るために必要なのはこの二点。


 道端に落ちている物は拾わない、と言ったらバーナデットは頬を膨らませていた。


 昨日の<廃坑>での冒険を思い出す。思わず顔が綻んでしまうので、目を閉じ俯いてそれを隠す。


 楽しかった。


 久しぶりに楽しいと感じられるプレイだった。作業的にクエストをこなすのではなく、まったく計算のできないトラブルの連続に、その場で慌てふためいて対処しなければならなかった冒険。


 ……そう、あれこそが冒険だ。自分が求めている本来の『アストラ・ブリンガー』ではなかったか。


 バーナデットとの決闘に敗れ、渋々付き合ったクエストのはずだったのに、終ってみれば彼女と同じ装飾品が欲しくなり、もう一度クエストを一緒にやる約束までしてしまった。


 ……そして、そのための基礎力向上のために、こうしてバーナデットのレベリングにも付き合っている。


 不思議な娘だ。どこか浮世離れしているというか……あるいはこの種のゲームをプレイするのが初めてなのか……。


 ゲームそのものに擦れていない、というのが一番近い表現かもしれない。

 だから危ういし、放っておけないという気にもさせられる。


 ……だから彼奴きゃつからもお願いされたのだろうがな。


 昨日の別れ際にバーナデットとレベリングの約束をしたあと、ラースが私に小声で言った。


 彼女を守ってあげて欲しい――と。


「言われるまでもない」とトラコは呟く。


 私のキャラ設定に対しても引くことなく普通に対応してくれた数少ない友人なのだ。守ることはあっても見放す理由などない。


 トラコは左手で腰に下げている退魔刀『叢雲むらくも』を軽く叩く。


「守ってみせるさ。友達なのだからな」

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