026 オーバーキル

「ちょっと、チョットォ……いくらなんでもヤバすぎじゃないデスカ?」

 リンはヨハンの袖を握りしめて激しく揺らしながら言う。

「ちょ……姫っ……その振動は酔うから……やめ……うぇっぷ」


 激しく視界を揺さぶられたヨハンは気持ち悪そうに背中を丸める。


 ポイズン・ジャイアントの絶叫は、仲間を呼ぶためのもの。

 鼓膜を突き刺すような高音。それが止んでからも、しばらく耳鳴りがとまらなかった。


「……ここからもう一戦やり合うには、準備が足りない……それに」とラースはリンを見る。


「なんデス――あっ! ラースたん! 『玄武古酒』の効力が切れそうデス」

 と、言っている間にも、身体の周囲が白く光りだし、あっという間に粒子となって大気に掻き消えていった。アイテムによるステータス上昇効果が切れるときのエフェクトである。

「……いま、切れマシタ」


「だよね」とラースも吐息混じりに言う。


 効力が切れたということは、『玄武古酒』による恩恵の代償として一定時間、防御力が下がることを意味する。これは魔導術や攻撃スキルと同じ待機時間リキャストタイムみたいなものである。


 いま再び『玄武古酒』を使用しても防御力は上がらない。しかも使用したアイテムは消えてしまうという勿体無いことになってしまう。

 攻撃力や素早さを上げるアイテムなら使用できるが、ガードを固くしてひたすらにカウンターを狙うという戦法以外に巨人族と戦える技がリンにはない。

 いくら身軽な露出の多い鎧を着ているからといって、騎士という職業自体、敏捷性に優れているわけではない。


 ……コツさえ掴んでくれれば機敏な攻撃アクションによるコンボは可能だが……。

 リンはそこまでストイックに戦闘技術を練習するようなプレイスタイルではないだろうしな、とラースは首を振る。


 何を言ってもアイドル騎士としてこのゲームを楽しんでいるのだ。ガチでやり込んでいるカムナ団長やヨハンのような戦い方を期待するほうがどうかしている。


 地面が微かに揺れる。まるで巨大な丸太で通路を叩くような音がする。


「おいでなすったぜ」とヨハンが剣を構える。


 左の通路の奥から、もう一体のポイズン・ジャイアントが姿を現した。

 たとえ二体のうち一体が瀕死の状態とは言え、毒を撒き散らす怪力モンスターに挟まれては、さすがに勝ち目はない。


「……せめてこちらの頭数だけでも六人いれば、なんとかなるが……これは無理ゲーだ」

 ヨハンが思わず愚痴をこぼした。


 ……今度こそ本当に、ここまでか。


 自分が魔導術を使えない今、ここが限界か。


 バーナデットの笑顔が脳裏をよぎる。


 楽しそうにクエストへ挑んでいるバーナデット。失敗して落ち込んでいるバーナデット。罠だと知らずにトラップを踏み、きょとんとしているバーナデット。


 ……ここは地下五階。


 ラースは二匹のポイズン・ジャイアントを交互に注視して、その動向を伺う。


 ……迷っている暇はない。地下七階のボス部屋に入ってしまえば、他のパーティは途中参加できない。


 このルールを利用すればいい、とラースは考える。

 青銀の騎士がどこまで追ってこれるのか知らないが、さすがにそこまで侵入してこれるわけがない。


 ……つまり、地下六階を最速で突破できれば、まだ望みはあるかもしれない。


 もしかしたら、仲間たちや無関係のリンまで巻き込んでしまうかも知れないが、可能性がゼロではないのなら……。


「隠れん坊はここでおしまいだ」とラースは言う。「ここから先はRTAだ」

 リアル・タイム・アタック。つまりゲームの早解き。魔導術を使用して、すべての敵を瞬殺していく。

 青銀の騎士が追いつけないスピードで進んでいけばいい。


 ……残る階層はひとつ。それくらいなら先行逃げ切りでクリアしてみせる。


 ラースが再び『異端定理の魔杖』を装備する。

「二人はそのまま手負いの方に専念して倒してくれ。リンのアーマーは下がっているからカウンターと言うよりは完全回避行動でヘイト役を頼む。ヨハンが削っていけば倒せるはずだ」


 ヨハンとリンは同時に肯く。


「お前はどうするんだ?」とヨハンが訊く。

「俺は、あっちのを倒す」


「……分かった。手負いを片付けたらすぐ戻る。無理はするなよ」

「ああ」

 ヨハンがラースの肩を叩く。そのまま膝を屈して動かない手負いのポイズン・ジャイアントへ向かって駆け出していった。


「さあ、やると決めたらとことんやるぞ!」

 ラースは魔杖を構えた。


 獄界の荒地を縛る鎖よ 

 絶望を纏いて其の枷と成れ

 鉄鎖シローリダ


 敵の行動力を阻害する『鉄鎖シローリダ』を詠唱しようと呪文を頭に思い浮かべた途端に術が発動する。


 ……やっぱり異常な強化だ。


 ラースは自分のキャラクターがどうなってしまったのかと戦慄を覚える。習熟度や上級職へのクラスアップ特典とは違う、明らかにゲーム設定を無視したスピードでの発動。


鉄鎖シローリダ』は地面から二本の鎖が伸びてきて対象の足へ絡みつくというエフェクトで表現される。

 だが、今実際に表示されている鎖の数は倍の四本。その太さも通常より三倍は太い。さらに足だけではなくポイズン・ジャイアントの全身に巻かれていく。


「これは……上位互換の『鉄鋼薔薇縛鎖アットリーシダン』より効果が上じゃないのか……」


 ラースは自分の術が想像以上に強化されていることに驚く。


 ……だが、これは今の状況では願ったりだ。


 二体の巨大な敵に対して大きく行動力を低下させることができれば、ヨハンとリンが相手をしている瀕死のジャイアントはすぐに片付くはずだ。


 こちらに向かってくる新しいポイズン・ジャイアントが棍棒を振り上げて威嚇の雄叫びを上げる。


「悪いな。お前は瞬殺させてもらうぞ」


 ラースは魔杖を身構えて詠唱のポーズをとる。


 血と魂の契約に従い

 今こそ来たれ

 絶界の焦土に君臨せし者よ 

 残忍なる蛮神 

 焔霊のアブニ・モル

 融合と消滅の渦へ誘い

 焦熱と爆風の抱擁で

 我に仇なす全ての愚者へ

 絶望と破滅を授け給え

 連鎖爆球旋転渦陣オクト・プロクス・ディーネ


 ラースの周囲に幾重もの魔法陣が怪しい光を放って浮かび上がる。

 大魔導術師アーク・ウィザードの中でも特別な条件をクリアしないと習得できない強力な火炎属性の上級魔導術。


 複雑な手指の動きで印を切り、詠唱を終える。


 それもまた、普段より格段に早い術式の発動であることをラースは体感的に確信した。


 すぐさまポイズン・ジャイアントを取り囲むようにして無数に出現しはじめる高熱の火球。

 ポイズン・ジャイアントの肌に触れた火球が次々と弾けるように小さな爆発を生み出していく。

 その爆発は、やがて連鎖反応を起こして一斉に爆発しはじめ、細かく肉をそぎ取るように炸裂していく。


 灼熱の火炎爆弾による連続攻撃。


 ……それにしても、とラースは自分が発動させた術の威力に固唾を呑んだ。


 爆発する火球の数は、術者のレベルと術そのものの習熟度によって変化する。

 レベル・マックスであり習熟度も上限まで上げきっているラースが唱えれば、通常は百個ほどの火球が敵を取り囲み、炸裂していく。

 それだけでも充分な威力であり、初級クラスのレイドボスなら一発で倒すことができるほど強力な魔導術である。


 もちろんポイズン・ジャイアントに対しても一撃、あるいは追加で中威力の術を追加するくらいで倒す目算であった。


 ……なんだ、この火球の数は……。


 自分の戦術が無意味になるほどの、おびただしい数の火球がポイズン・ジャイアントを取り囲んでいた。


 二百、三百では効かない、圧倒的な量だった。もはや火球を一つずつ識別することが困難なほどに増殖している。


 それらの火球が、まるで化学反応を起こすかのように瞬時に連鎖爆発していく。常軌を逸した高熱が敵の周囲にある空気まで焼き尽くしてプラズマ化する。爆風によって舞い上がる土煙の中で、チロチロと青く細い稲光が浮かび上がる。


 爆発の連鎖は赤い炎から灼熱の白光となる。その強すぎる焔の煌めきにラースは目を細める。

 空気を焼く超高温の熱気で、水分を含んでいる皮膚の薄皮が焦げるような『錯覚』さえ感じられた。


 突然の爆撃により絶叫するポイズン・ジャイアント。


 だが、その叫びが聞こえたのも一瞬のことだった。


 空気すらも焼き尽くす『連鎖爆球旋転渦陣オクト・プロクス・ディーネ』によって大気は暴風となり、爆風以外のすべての音を掻き消していった。爆発によって大きく揺さぶられた大気は通路の壁で何千回と反響を繰り返して不快な轟音となる。

 爆発の衝撃によって天井が揺さぶられ、土砂がパラパラと落ちてくる。


 ラースは、本気でダンジョンが崩落するかもしれないという恐怖に駆られた。


 ……この衝撃……。ダンジョンは耐えられるのか?


 もはやポイズン・ジャイアントよりも、ダンジョンそのものの耐性の方が気になるほどの威力となっていた。


 しかし、ラースの心配をよそに、荒れ狂う大気が収まっていき、壁や天井も揺れることをやめ、元の静寂へと戻っていく。


 過ぎてしまえば一瞬のことであった。

 だが、ラースには数分にも感じられた一刹那であった。


「……終わったのか……」


 自分が、かざしたままだった右手を、思い出したように引き戻し、まじまじとその手を眺める。

 この術を自分が放ったということが、未だに信じられなかった。


 目の前には、ほとんど原型をとどめていないがあるだけだった。


「ラース! 大丈夫か? なんか、すげえ音がしたけど――」


 ヨハンとリンが合流する。どうやら彼らも無事に倒しきれたようだ。


「なんだこりゃ? 焼きすぎで焦げ付いたステーキみたいになってるじゃねえか」

 ヨハンは消炭となったポイズン・ジャイアントのむくろをしゃがみ込んで、まじまじと観察した。


「こいつはちょっとやり過ぎじゃねえか? 明らかにオーバーキルだぜ。うっかりしていると属性変わっちまうぞ」


「ごもっともな意見だ」とラースも同意する。「ちょっと計算違いでね。もう少し下位の魔導術でもよかったな」


 強力すぎる力でもってモンスターを狩り続けていると、過剰殺傷オーバーキルと認定されてキャラクターの属性が悪側へとシフトしてしまう。


『アストラ・ブリンガー』の世界では善・悪・中立というキャラクターの特性があり、それぞれにメリットとデメリットがある。


 ……持っている装備品のほとんどが中立から善側だから、この場で属性が変わると面倒なのは確かだな。


 リンがヨハンの隣にしゃがんで、鞘の先端で炭化した巨人をつつくと、思い出したかのようにその死骸が光の粒子となって散っていった。


 イレギュラーな攻撃エフェクトとダメージ量のせいで、処理速度が遅延したのだろう。普段ならあっという間に消えてしまうのに、かなりの時間死骸のグラフィックが残っていた。


 ……魔導術を使ってしまった以上、あとは最短でクリアを目指すだけだ。


 どこまで青銀の騎士が追ってくるのか分からない。すでに閉じているはずの、このランダム生成型ダンジョンにも潜り込んでこれるのだろうか。


 ……分からない。だけど、分からないからこそ油断してはいけない。

 それと、ヨハンが言うように威力については調整していかなければいけない。ボス戦を前に属性が変わってしまって、装備的に丸腰状態で戦うなんてまっぴらごめんだ。


「さあ、急ごう。みんなが待ってる」

 二人へ呼びかけて、ラースは階段へと続く通路を進みはじめた。

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