022 耳を塞いで目を閉じろ

「ヨハン!」

 間違いなく彼の声だった。ラースは扉へ目を向ける。閉まっていた扉がうっすらと開いている。


「耳を塞いで目を閉じろ」

 扉の奥からヨハンの声がそう言った。

 ラースとリンは顔を見合わせると、その声の指示に従った。武器を収めて松明を投げ捨てると、両手で耳を塞いで目を閉じた。


 耳に手を添える瞬間、ラースは、ジジジ……と火種が導火線を伝う不吉な音と、火薬が燃える焦げ臭い匂いを『錯覚』として感じていた。

 次の瞬間。

 目を固く閉じていてさえ眩しさを感じるほどの激しい閃光が明滅する。さらに風圧となって空気を震わすほどの爆音が部屋の中で轟いた。


 数秒立って、恐る恐る目を開けて耳に添えていた手を離す。

 再び暗闇に戻った空間には、闇鬼たちの悲痛な絶叫が渦巻いていた。ヨハンの投げた『閃光炸裂玉』が的確にヒットした証拠である。


「早く入れ」

 何も見えない暗闇の中で、ラースは腕を掴まれて引っ張られた。

「ワワッ!」とリンの声。どうやら彼女も同じくドアの中へ引き入れてもらえたようだ。


「まったくもって、やれやれ、だな」

 扉を閉めて鍵を掛ける音がする。ヨハンが自分の松明を灯して、壁にかけられている燭台に火を灯す。

 ぼんやりと明るくなった部屋を見回すと、ラースとリンが最初に入った部屋と同じような造りの小部屋だった。


「ヨハン。無事でよかった!」とラースは安堵の声を漏らす。

 友人の無事を喜ぶラースであったが、ヨハンの反応は違うものであった。


「……これまた不思議な組み合わせだな。? ラースくん」

「……何の話だ?」とラースは首をひねる。リンの方へ向いてみるが、彼女も何を言われているのか分からずに両手を広げて肩をすくめてみせる。


「それだよ、それぇ!」とヨハンが二人を激しく指差す。「なんで俺と一緒に落ちたはずのお前がアイドルと仲良くランデブーして、挙げ句に目と目で通じ合っちゃってるんだよ。その強力な女運はどこで拾ってきた? 急にハーレム漫画の主人公みたいに女の子をとっかえひっかえ……羨ましいこと山の如しだぞ、コノヤロウ!」


「……あのな……」

 ラースはどっと疲れが出たように肩を落とす。

「代われるものなら今すぐ代わってやりたいよ。……どれだけ大変だったと思ってるんだ」


「けっ! モテ男の苦労自慢なんて聞く耳持たないもんねー」


「そんなに妬かないで下サイヨー!」

 リンがヨハンの腕に自分の腕を絡めながら言った。

「ボクはみんなのアイドル騎士ナイトダヨ。みーんな平等にラブってるから安心してほしいナ!」


「い、いや……別に妬いてるとかってわけじゃないんですけどね……えへ、えへへ」


 リンのスキンシップで一気にデレるヨハン。

 リンはヨハンにバレないようにこちらを向いて意地悪く舌を出してみせた。


 ……この人、チョロいですネ!

 という声が聞こえてくる気がした。


 ……こっちこそ、やれやれだ。


 喜びの再会は俺だけか、とラースは首を振る。


 ガリ、ガリ……と、衝撃から立ち直った闇鬼ナイト・ウォーカーたちが扉を引っ掻いている音が聞こえてきた。漆黒の闇の中で蠢く闇鬼の群れを想像すると鳥肌が立つ。


 部屋の中はプレイヤーが三人いたら狭く感じるほどの小さな空間だった。部屋の奥にはすでに開いた状態の宝箱がある


「中身はこの階層のマップだ」とヨハンが言う。


 ラースはヨハンにパーティ参加の招待状を送り、彼がそれを承諾する。

 すると、ラースとリンにもマップが共有されて、いつでも閲覧できるようになる。


 その地図のおかげで、扉を出て闇鬼が蠢く広間を抜けさえすれば、わりと近くに下へ続く階段があることが判明した。それと同時に、北東から南西にかけて対角線上に壁で仕切られていて、エリアが二分されていることも明らかとなった。

「上階で落ちた場所と、俺とヨハンが落ちたポイントを考えると……どうやらこの階で合流するのは無理そうだな」


「ああ。おそらく地下五階。最悪の場合は六階まで会えないかもしれないな」

「なにはともあれ」とラースが地図をしまう。「さしあたってはここを脱出しないことにははじまらないか」


 扉を引っ掻く闇鬼ナイト・ウォーカーの爪の音はずっと聞こえている。諦めてどこかへ去ってくれることを期待していたが、どうやら執念深い性格のようだ。


「この小部屋を見つけるまでに『閃光炸裂玉』を連射しちまった。さっきのが脱出用に温存しておいた最後の一発だったわけだが――」

 ヨハンは一息ついて腰に手を当てる。

「まさか術式遮断エリアとはね。お前が来てくれたおかげで脱出の目処がたったと思ったんだが」


「ランダム生成マップの鬼トラップ連鎖に見事引っかかって、このざまだ」とラースも肩をすくめる。「フル・パーティなら対した驚異でもないんだが、この状況だとさすがに厳しいな」


 ……一命は取り留めたものの、いまだ危機は去らず、だ。


 この部屋からの突破をどうしたものか、ラースは口元に手を当てて考えてみる。

 攻撃系アイテムも多少は持ってはいるが、目前に迫っている群れの中で使ったとしても、発動時間までに取り囲まれてしまう可能性の方が高い。


 騎士であるリンが、カムナのようなガチ勢の遊撃アサルト装備を持ち、それを使いこなせる実力であれば、ヨハンの支援攻撃と合わせて一点突破も可能かもしれないが、残念ながらそこまでの攻撃力と、群がる敵から身を守れるほどの防御力もない。


 ……鎧というよりコスチュームだもんな。


 露出過多なリンの装備では、爪や牙による削り系攻撃の連打にヒットポイントがもたないだろう。


 術式遮断エリアでなければ、最悪の場合は自分の魔導術で突破できたのだが、それができないのが歯がゆい。


 ヨハンの持つ固有スキルであれば、突破も可能かもしれないが、おそらく彼はこの状況ではそれをしないだろう。ヨハンの性格上、どれほどリンが可愛くてデレデレしていたとしても、その彼女がいずれどこかで(あるいは何らかのイベントで)敵対する可能性がある場合、自分の手の内を見せることはしない。


 それも、今回のようなとくに狙っているアイテムやスキルが得られるわけではない、自分にとってのでなければ尚更だ。


「下へ行く階段へのルートが判明している以上、やることは一点突破だとわかっちゃいるが……どうしたもんかねえ」

 ヨハンは頭を掻きながら考える。


 ……問題は、誰がどこまで何を見せるか、ということ。


 気心が知れている俺とヨハンだけなら、彼の固有スキル『超速駆動オーバードライブ』で切り抜けられるところだが。ヨハンにとっても悩みどころだろう。


 ……なにせ美少女がすり寄って助けを求めているんだからな。

 不謹慎ながら、ラースは忍び笑いを漏らす。


「ヨハンたん」とリンがヨハンの右手を両手で包み込むように握りしめる。「ここから三人で、どうにか脱出できないカナ?」


「そ、そうねえ……」とヨハンは大げさに考え込む。


「ボクね……怖いんダ」

 リンがヨハンの腕を抱きしめるように身体を密着させていく。

「お願いデス……守って……くれませんカ?」


 ヨハンの長い沈黙。そして、あれは明らかに腕に当たる彼女の胸の感触を楽しんでいるはずだ。どれほど真面目に考え込んでいても、伸びていく鼻の下は隠しようがなかった。


「うーっ……よしっ! 覚悟を決めたぜリン姫!」

 ヨハンは充分に彼女の感触を――『錯覚』として――堪能したあと、真顔になって自分のアイテム・ウィンドウを開き出した。


 攻撃力が大幅に上昇するランクAのアイテム『タイタン・ペール』を床に置く。

 さらに、素早さと攻撃回数を大幅に上昇させるランクAアイテム『ペガサス・ショット』。

 そして、物理防御が大幅に上昇するランクAアイテムの『玄武古酒』。


「ヨハン……まさか、をやるのか?」

 ラースは驚愕の表情で友を見る。


「アイドルにあそこまでサービスしてもらったんだ。もはや俺はここで朽ちても悔いはない!」


 ……いや、朽ちられたら困るんだけど……。


 完全に、バーナデットにフル・パーティでクリアする達成感と『エメラルドの腕輪』をプレゼントしてあげようという、当初の目的を見失っている。


 アイドルにあれだけスキンシップされたら、そりゃ理性も飛ぶか。


「最後はコイツだぁ!」

 ヨハンがアイテム・ウィンドウから取り出したのはランクSのレア・アイテム『酒神の黄金葡萄酒バッカス・ザ・ファイネス・ワイン』である。


 ……こいつ……マジだ……。本気と書いてマジってやつだ……。


 なるほど。確かになら固有スキルをバラすことなくこの局面を打破できるだろう。


 ……しかし。


「アイドルに触れ合った代償がSランクのアイテムとはね。大盤振る舞いだな」

「ま、二度と手に入らないって類のアイテムでもないしな。ここで時間溶かしているだけじゃ、ミアやヴィノに何を言われるかわかったもんじゃない」


「コレ……ナニをする気デスカ?」

 リンが不思議そうに、床に並べたアイテムを見やる。


「まあ見てなって」

 ヨハンはそう言うと、まずは『タイタン・ペール』のボトルキャップを外して中身を飲んでいく。さらに『ペガサス・ショット』と『玄武古酒』を立て続けに飲んでいく。


 ヨハンの顔が赤くなっていく。これらのAクラスの強化ポーションはすべて酒であるという設定から、一定以上の量を接種するとアバターの顔や露出している肌の部分に赤みがさしていく。


「ふい~」とヨハンが酔っ払ったかのように息を吐く。「仮想現実で、飲んでいるという『錯覚』だけのはずなんだけど、やっぱり腹がタポタポしてくる気がする」


「気のせいなんだろうけど、なんとなく分かる気がする」

 フレーバー・テキストで「酒である」と書かれているだけで、実際に酔うわけではないが、味や風味をある程度感じることができる半没入型の世界では、その暗示だけでもわりと酔えそうな気分になる。


 ヨハンが最後の強化ポーション、ランクSの『酒神の黄金葡萄酒バッカス・ザ・ファイネス・ワイン』の栓を開け、瓶を天井に掲げるように飲み干していく。


「スゴ……これって大丈夫なんデスカ?」

 リンもさすがに心配になってきたようだ。


「あとの反動がすごいから、あまり人にはおすすめしないけどね」とラースが苦笑する。


「完成だ」とヨハンが空になった瓶を放り投げる。宙に放った瓶は床に落ちる前に光の粒子となって霧散する。


「各種Aクラスのステータス上昇と、仕上げは意識を保ったまま狂戦士バーサーカーのステータスを手に入れられるSクラスの一級品『酒神の黄金葡萄酒バッカス・ザ・ファイネス・ワイン』をラッパ飲み」


 ヨハンは腰に収めている二刀の剣を抜き放つ。

「さらにぃ! 俺様がゲットしているレア・スキルの『両手武器』によって片手では重量オーバーで持てない広刃剣ブロード・ソードを二本同時装備が可能! これが自称『酔剣皆伝者ドゥランケン・ソードマスター』だ!」


 真っ赤な顔で目だけがギンギンに冴えている感じは、ちょっと引くくらい怖いのだが、この状態のヨハンは底なしに強い。


「行っくぞおぉぉ!」

 ヨハンが鍵の掛かったままの扉を蹴る。異常なまでに筋力値が上昇しているせいで、まったく抵抗することなく扉が勢いよく開いた。施錠していた金具が吹き飛ぶというグラフィックの演出までついているのが細かい演出だな、とラースは冷静に思った。


「喰らえぇぇ! 俺流必殺! 旋風切りいいぃぃ!」


 正面突破のラインを維持しつつ、攻撃判定が有効な敵に対して数回の斬撃ダメージ。悪魔の強化剤併用ドーピングによって攻撃回数が桁外れに増幅しているヨハンの攻撃は、叫んでいる必殺技の名前通りに、次々と闇鬼を切り刻んで消滅させていった。


「いや~んッ♪ ヨハンたん、かっこイイ!」とリンが歓声をあげる。


 暗黒が、実体化して凝固している。

 そう見間違えるほどに増殖している闇鬼ナイト・ウォーカーの群れ。

 だが、ヨハンの猛攻に対抗できるほどの耐久値を備えている敵はいなかった。闇のトンネルを掘削するかのように前進しながら敵を切り裂いていく。


「はぐれるなよ! リン姫!」

 今年度最高峰のドヤ顔をしてリンへ声を掛けるヨハン。


「ステキだよ! ヨハンたん!」とリンも調子を合わせて持ち上げる。

「わーっはっはっは! いよいよ俺にもモテ期が到来だああ!」


 ……やばい。ヨハンのテンションが予想以上に上がってる……。


 とどまるところを知らないヨハンの猛攻。その後ろを松明をかざして小走りでついていくラースは『酔剣皆伝者ドゥランケン・ソードマスター』の効果が切れたあとのことを想像して一抹の不安を覚える。


 ……だが、この突破力はありがたい。これでまだしばらく冒険が続けられる。


 ヨハンが奇声を上げて先頭で活路を切り開いている中、一緒に後ろを走っていたリンがラースへ小声で話しかける。


「ラースたん。この窮地を救ってくれた恩返しに、ひとつボクのトップ・シークレットを教えてあげまショウ」


「……なに? なんの話だ? それに恩返しならヨハンにしてくれ。俺は何もしていないよ」


「そもそも、はぐれたボクを仲間にして助けてくれたじゃないデスカ。それに……ヨハンたんには言わない方がいいことデス。……いいデスカ? は誰にもナイショデス」と意地悪な笑みを浮かべるリン。


「実はデスネ、ボク……リアルでは男なんデスヨー!」


 ……なん……だと?


「キャー! 誰にも言っちゃダメですヨー!」

 そう言うと、リンはラースを追い越してヨハンの背後へ追いつく。


「ヨハンたーん! 頑張って! もうすぐこの部屋を抜けられるヨ!」


「任せておきな! 姫は……俺が守るぜ!」

「キャー♪ そんなヨハンたんにシビレル! アコガレルー!」


 ……いや、まあ別にネット上で性別を変えている人なんてざらに居るし、俺はかまわないんだけど……。


 、孤軍奮闘、全力全開限界突破で張り切っているヨハンを見る。かつてないほどの充実感で満たされているのか、その顔から笑みが絶えることはない。


 その後ろについて走っているリンがこちらを向いて、舌を出してウィンクしてみせる。


 ラースは、そのいたずら好きな子猫のような笑顔をみて、大きなため息をついた。


 ……ホント、なんか、ヨハンっていつも幸薄いよな……。


 しみじみ思うラースであった。

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