第2話

翌朝九時に再び領主であるバルロットさんのお屋敷を訪ねた。

今度はスムーズにバルロットさんの執務室に通されて応接セットに腰掛けて話が始まった。

今度は執事さんだけではなくこちら側にノイシュくんが居てくれていた。

「ノイシュからお聞きしましたが文官志望で以前の世界でも事務のお仕事をしていたとか。こちらも人手が足りていなかったので助かります。ぜひよろしくお願い致します」

「本当ですか!?ありがとうございます!精一杯頑張ります!」

即日職が決まるのはありがたかった。

しかも俺が異世界人と分かる領主であるバルロットさんのお膝元でノイシュくんと同僚なら心強い。

「それと、これは言いにくいことなのですが…」

バルロットさんが言葉を濁し言い掛ける。

「なんでしょうか?」

「あなたが召喚されたことがこの世界と無意味だとは思えません。もしよろしければ訪れないよう願いたいですがもしもの戦いに備えて魔術や剣術の稽古もしていただけないでしょうか?その分の給料ももちろんお支払い致します」

そういえばこのキクノクスは国境にある主要都市と説明されていたな。戦力はいた方がいいんだろう。

特に俺は凄いらしいし、遅く来たけど勇者らしいし……。

戦いたくはないけれど、ここでお世話になるからには守れるならば守りたい。

最低限それくらいはしなくては、ここまでのご厚意に甘えるだけじゃ駄目だ。

「はい、分かりました。俺に出来ることがあるならこのキクノクスのために頑張りたいと思います」

俺がバルロットさんを真っ直ぐ見て答えると、バルロットさんは息を吐いた。

「本当に申し訳ありません。こちらの手違いで召喚されたというのにご無理を申しまして」

「いいえ、こちらこそこちらに住まわせていただくんです。自分の住む街を守るのは当然のことです。ですが、本当に戦ったことも何もないのでどこまでお力になれるか…」

途端に不安になる俺にバルロットさんは微笑んだ。

「なにもいきなり戦う練習をしてほしいとは言いません。まずは文官見習いとしてこの街で働いてみて好きになっていただいてからで大丈夫です。では、ノイシュ。サハラさんを職場に案内してあげてください」

バルロットさんの言葉にノイシュくんは元気良く答えた。

「はい!サハラ様、こちらです」

「サハラでいいよ。これから同僚になるんだし。よろしく、ノイシュくん」

握手をしようと差し出すとがっしり両手で包まれ、ノイシュくんはにっこり笑って答えてくれた。

「それでは僭越ながらサハラさんでお願いします。こちらこそよろしくお願いします」


「こちらです。ここが文官が仕事をする事務室となります。僕達はまだ見習いなので、移住し終わった人達の書類の整理からですね」

こちらです、と通されたところには書類が山積みにされていて、この書類を名前順に棚に並べて仕舞うのだそうだ。

「結構な量があるね」

「キクノクスは主要都市であり港も山もあります。仕事には事欠きません。なので、仕事を求めて移住する者も多いんですよ」

「そうなんだ」

そういえば俺の世界でも移住が流行っているようでよく番組が放映されていたな、と思っていたらノイシュくんに声を掛けられた。

「皆さんに紹介しますね!」

とっとこ前を進んで人が大勢いる方へと進んで行くので俺も後ろから着いていく。

「皆さん、こちらが昨日お話ししておりました本日からこの事務室で文官見習いとして働いてくださるリツ•サハラさんです」

「本日からお世話になります、リツ•サハラです。不慣れなこともあり、皆さんにご迷惑をお掛けするかもしれません。若輩者ですがよろしくお願い致します」

言い切って礼をするとあちらこちらから「よろしく」と歓迎の声が聞こえた。

とりあえず、今はこの新しい職場の人に迷惑をかけないように俺が一番下っ端だしノイシュくんにしっかり教わらないとな。

「じゃあ、仕事を始めましょうか」

「ああ」

名前順に棚に並べていくだけといってもかなりの量があるため仕分けるのに難航していったが、ノイシュくんが「昨日までは僕一人でやっていたので早く終われそうです」なんていうものだからついつい頑張り過ぎてしまった。

「この、名前順の中でも色で区別されているのはなんでだい?」

「ああ、種族ですね。キクノクスは多種多様な種族が住んでいるので、同種族でも同姓同名がいるのに他種族でも同姓同名がいたりするので、きっちり分けています」

「そうなんだ」

人数多いもんなあ。さすがは主要都市。


そんな生活が一ヶ月続いた頃。

ふと、窓の外を見ると深海魚みたいな不思議な生物が空を飛んでいた。

「はへー。異世界ってすげーな」

そうだ。異世界だ。

精霊もドラゴンも魔族も魔王も剣も魔法もある、不思議な世界。

俺が食べてきたものも最初は慣れなかったのに今では美味しく戴いている。

文官見習いの仕事にも慣れて来て今までと変わらず仕事をして帰って食事をして寝る日々をして忘れがちだったが、俺ってば勇者で異世界に来ちゃったんだよなぁ。

特に何にもしないけど。

こんな平和な世界で最強勇者なんて言われても実感なんてないし争いがないならそれでいい。

魔王様の治世万歳だ。

…というのは人類が負けて三百年、まだ複雑らしいから言わないけれど。

窓から見える空飛ぶ深海魚を指しながらノイシュくんに尋ねる。

「ノイシュくん。あれはなに?」

「あれは物資運搬用の飛行艇ですね」

「へー」

ノイシュくんもバルロットさんも俺が訊ねることに嫌な顔一つせず答えてくれる。

特にバルロットさんは俺の世界のことにも興味津々でたまに酒を飲みながら話をすることがある。

異国の事を学んでこのキクノクスをより良くしたいという姿勢には尊敬する。

最近じゃ事務所の職員からもど田舎から来たと思われてあれこれ教えて貰っている。

みんな親切でありがたい。

バルロットさんが言っていた、この街を守るのは好きになってからでいいって言った意味も理解した。

有事の際に嫌々この街を守るんじゃない、俺が好きだから守りたいと思えるようになって欲しかったんだと思う。

実際キクノクスはいい街だと思う。

海の幸も山の幸も美味いし人もいい。

最初に来たのが、受け入れて貰えたのがこの街でよかったと思う。

なんて感傷に浸りながら仕事をしていたら間違えてノイシュくんに叱られた。

失敗、失敗。


その日の昼休み、バルロットさんに声を掛けられて話があるから夕食を共にしながら話さないかと誘われた。

「はい。大丈夫ですよ」

「では、仕事が終わったら執務室に来てください」

「分かりました」

バルロットさんとの待ち合わせには彼の執務室が多い。

大体はバルロットさんの仕事が多くて終わるのが遅くなってしまうのが常だ。

話ってなんだろうな。

この間興味を示していたトンネルや鉄道、飛行機のことだろうか?

ここには鉄の乗り物がない。動物の飼育費用が抑えられると思っているんだろうけど代わりにエネルギーもないから難しいだろう。

午前中に失敗した分、午後はしっかり働いた。

間違いなく書類を仕舞い、こんな大勢が住んでいるんだなぁと改めて感心した。


「この街のこと、好きになっていただけましたか?」

バルロットさんの問いに盛大に頷いた。

「それはもう!皆さんに良くしていただいて、こんな身元も分からない俺なんかに親切にしていただいております」

「それは良かった。実は、そろそろあなたに実践訓練を受けてみていただきたいと思いまして」

いつも通り執務室からバルロットさんの自室に招かれて酒を飲んでいると、そんなことを言われた。

そういえばそんなことを言われていたな。

「はい。俺もこの街を守れるのなら喜んで力にならせてください」

まだ一ヶ月しかいないけれど、俺もこの街が大好きなんだ。

万が一があるとは限らないけれど、俺で役に立てることがあるなら役に立ちたい。

それが勇者としてとかじゃなくて俺の意思で。

快諾するとバルロットさんは微笑んで俺のコップに酌をしてくれた。

「ありがとうございます。では、明日の午後からは街の警備隊と魔術兵について習ってください。話は通しておきますので、隊長のガレットに教わってください」

「はい、分かりました。頑張ります!」


次の日の午前中はいつものようにノイシュくんについて雑務をこなした。

昼食もノイシュくんに昨夜のことを報告しながら一緒に食べた。

「そういえばサハラさんって勇者として召喚されたんでしたね」

なんて軽く言われるものだから、すっかり忘れ去られていたようだ。

まあ、俺もよく忘れるけど。

勇者としてやることが無さ過ぎる。

いや、それはいいことなんだけれど。

「ガレット団長は自他共に厳しい方ですが、おおらかでお優しい方ですから心配はいりませんよ」

「そうなんだ。なら、よかった」

新しく始まる午後の訓練ということとガレットさんという知らない人との対面にいつの間にか緊張していたらしい。

手に力が入っていた。

リラックスして。俺は俺に出来ることをしよう。

昼食が終わるといよいよガレットさん率いる街の警備隊との訓練が始まる。


結論としては、一週間でお役目御免になった。

レベル999、全ステータス最高値は伊達じゃなかった。

剣の方や魔術の使い方を教わったら勝手に次々スキルやらなんやらが覚えられてここの警備隊に教わることがなくなってしまった。

そしてまた俺は一日中ノイシュくんに付いて文官の雑務に追われることになった。


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