7、
三人は風車から少し離れた場所に座って、夜明けを待つ。
「ほら」
「ありがとうございます。って、あつ!」
宏太が沸かしていたコーヒーに一口、口をつけた途端にカーヤはヒーヒーと舌を出し騒ぐ。
「お水、お水」
「そんなに熱かったか?」
「フィまへん、わたし、へぇこで」
「ああ、猫舌なのか」
「よ、よくわかったね」
カーヤにペットボトルの水を渡す舞香が関心する。
そんな感じでしばらく三人は黙って、思い思いの気持ちで風車を見ていたが、宏太のスマホのアラームが鳴った。
「そろそろだな。おい、絹延。カメラを構えろ!」
「あ、はい」
東の空がうっすらと明るくなる。
「構図は一緒か?」
「う、うん」
フェンスや鬱蒼と茂る草木等は微妙に違うが、祖母が見せたあの写真の位置と一緒だ。
「連写機能を使うんだ。俺が言った瞬間に、撮影ボタンを押せ!」
「は、はい」
後ろに回り込み、耳元で囁く宏太の言葉に緊張しながらも、しっかりとデジカメを構える舞香。
当たりがゆっくりと明るくなる。朝日が遠くの稜線上に顔を出し始める。
すぐ横にある宏太の顔はとても真剣で、恥ずかしさとか吹き飛んだ舞香は神経を指先に集中させる。
「今だ!」
宏太が叫んだ瞬間、デジカメのシャッターボタンを押す。一気に十枚以上の写真がカメラに収まる。
緊張が途切れて、一つ息を吐いた舞香。
「ちょっと、貸してみろ」
「は、はい」
カメラを受け取った宏太は撮った写真を吟味して、とある一枚を選んでそれをカメラのディスプレイに写した状態で舞香に返す。
「これが恐らくこの写真の完成形だ」
カメラを受け取り、画面をみた瞬間に舞香は自然に「キレイ」と言葉をこぼした。
夜の青と朝のオレンジのコントラスト。その間に丁度佇むように立つ風車。東に向かう風車の羽根がまるで、太陽と向かうように真っ白な羽根がオレンジ色に染まり、円柱部分の建物の三分の一がオレンジに染まり、残りはまだ夜の青。
まるで夜明けを待っていたと首を長くして待っていたように、風車が生きているように見えた。
「これが、お爺ちゃんが、お婆ちゃんに見せたかった景色」
「恐らくな。多分、その時は曇っていて、朝日が見えなかったんだろう」
「‥‥‥今度また、登ろうって、約束した。だからまだ未完」
しかしその約束はなんらかの理由で叶うことはなかった。そしてこの先永遠に叶うこともない。
「じゃあ、まだこの写真は未完のままじゃ」
その約束を叶わなかった以上、そうなるのでは。
「さぁな、俺にはわからない」
そう言って深く白い息を吐き出す。
「ただ、それを完成と言っても良いと俺は思う」
「ど、どうして?」
「絹延が自分で写真を撮りにきたから」
「わ、私が?」
「ああ、そしたら話せるだろ?この時のことを。写真を見せて、話すんだよ。
お前がどんな気持ちになったのか。どんな感想を抱いたのか。どれだけ大変だったか。辿り着いた時にどんな気持ちになったか。それを全部お前の言葉で。
そしてようやくこの写真を完成と言って良いと俺は思う」
「おばあちゃんと二人でこの写真を」
舞香は強く口を結んだ。
「あ、ありがとうございます。室井君。あなたのおかげで、私は答えが出せそうです」
宏太は頬を掻いた。
「別に、俺は何もしてない。お礼を言うならあいつにいえ」
そう言って、先ほどから何も言わずに前方でじっと立ち尽くしているカーヤの背中を見た。
「は、はい!」
そう言って、舞香は駆け寄る。宏太もゆっくりと二人に近づく。
彼女は震えていた。
「ど、どうしたの?寒いの?」
慌てて問いかけた舞香の質問にカーヤは震える声で告げる。
「‥‥‥絹延さん。室井さん。この気持ちなんですか?」
「へぇ?」
「はぁ?」
首を傾げる二人に背を向けるカーヤの背中は未だに小刻みに震える。
目が離せない。この風景から。全く体は動かないし、瞬き一つ許されないこの感じ。
今までこんなことはなかった。
朝日は何度も見た。でも、今までと全く違う。
震えが止まらない。
吹き抜ける冷たい風が。
暖かな日差しが。
ざわめく木々が。
踏みしめる土の感触が。
彼女を今、取り巻くそのすべての環境がその場からカーヤを動かそうとしなかった。
「初めてです。こんな感覚。全く言葉が出てきません」
「‥‥‥‥自分で登った景色だからじゃないか?」
「自分で?」
振り向いたカーヤ。その姿が一瞬、全く別人に見えて、その姿がとても綺麗で、言葉を失う。だが、強い風が吹き抜けたと同時に彼の思考は妄想から現実に戻ってくる。首を傾げる橘柚月がそこに立っていた。
幻想を消そうと、被りを振った。
「どういう意味ですか?」
「‥‥‥ああ、自分で地面を踏み締めて、必死に登って、諦めずにお前はやりきってここに辿り着いた。要はあれだ微塵も後悔もしてない。それどころか、想像を超えたものを手に入れたんだよ。お前は」
「‥‥‥手に入れた」
カーヤの脳裏によぎる。
二人で宏太に頭を下げたこと。
何度も転んだ自転車の練習。
真っ暗な中。寒い中。唯一温かった宏太の背の温もりのこと。
苦しくて、苦しくて、何度も吐きそうになりながら登ったこと。
舞香に背を押されて、宏太に手を引っ張られて登りきったこと。
朝日が昇った瞬間を。
その全てが脳裏を過った瞬間、自然に涙が彼女の瞳から溢れた。
ああ、そうか。
ようやく理解した。
「室井さん。わかりました」
涙を流すカーヤに驚いていた宏太は不意を突かれた感じでびくりとする。
「な、何が?」
「私が何故こんなにも必死なのか、聞きましたよね?」
「あ、ああ」
「私はきっと思い出が欲しかったんです」
ロボットの時では絶対、手に入らなかったものを。
「ありがとうございます。二人のおかげでようやく手に入れることができました」
そう言って深々と頭を下げるカーヤの手を舞香はとる。
「ううん、私も橘さんとのううん、友達との思い出が手に入ってよかったよ!」
「まぁ、楽しかったよ。中々に」
夜が明ける。
ようやく始まった気がした。
人間カーヤとしての生活が。
「ああ、それとお二人に話さないといけないことがありまして」
「う、うん、何?」
「また突拍子もないことを言うなよ」
二人の視線を受け止めながら、カーヤはにこりと笑いながら、自然とそれを口に出すことができた。
「実は私、ロボットでした」
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