第30話 なんとかする

「はっはっは! こんにちは!」


 暗いテント内に不釣り合いの明るい笑い声が響く。

 入口に巨体の男が立っていた。


「あん?」


 なにかしらの勘が働いたのか、千代子は今にも噛みつきそうな勢いで歩き出す。


「ここは関係者以外立入禁止ですよ。どうぞお帰りください」

 容姿は幼いのに、肝は据わっている本山が堂々とした態度で話す。


「すみません。怪しい者じゃありません……ってそう言う奴が一番怪しいか。はっはっは!」


「ご用件はなんでしょうか。こちらも忙しいので手短に済ませてください」

 冷静に見えて本山も怒っているのかもしれない。くだらない冗談を一蹴する。


「失礼しました。そちらにいる天ヶ沢玲のマネージャーをしている、沼田と申します」

 沼田は寝ぐせのついた頭を下げて名刺を渡そうとする。


「元マネージャーですよね。事務所に戻るつもりはないと言ったはずですよ」

 一志は語気を強めて否定する。


「勝手にチラシを貼ったりSNSで宣伝したりしていたのは、あなたですね?」


「なに言ってるのかわからないな。俺はそんなもの知らないよ」


「SNSアカウントが作られた時期と企画が動き始めた時期がまったく同じなんです。知っているのはイベント関係者。そして僕からイベントのことを聞いていたあなたくらいです」


「だったら君の可能性もあるんじゃないか。最近の若い子は怖いねー。なんでもかんでもすぐSNSに情報を載せちゃうんだから。おじさんには理解できないよ」


 沼田はいやらしい笑いを止めようとしない。

 けれど一志も話すことをやめない。


「チラシには事務所のプロフィール写真が使われていました。でも玲はすでにやめているから残っていないはずです。だけど、元の画像データを持っている沼田さんならできますよね?」


「いい加減にしないと俺も怒るよ? チラシの写真は、事務所のプロフィール画像じゃない。アイドル声優ユニットのイベントのものだろ。そんなのネットにいくらでも転がって……」


 沼田は自らの失言に気づいたらしい。

 だがもう遅い。


「どうして使われている写真がわかるんですか? あなたはチラシを見ていないはずなのに」


 一志はゴミ箱に丸めて捨てられているチラシを指さす。


「それは……駅を降りてすぐに見かけたから……」

 沼田は、自ら吐いた言葉に足を取られるように体を左右に揺らす。


「あたしは街中に貼られたチラシを回収したけど、駅前にはチラシなんてなかったぞ」

 千代子は殺気のこもった鋭い視線を送る。


「チラシについた指紋やSNSのIPアドレスを調べましょうか」

 本山がとどめを刺すような冷たい言葉を放つ。


「知るか! 俺はやってない! ファンが勝手にやったことだろ!」

 沼田は見苦しい言い訳をまきちらし、自らのプライドを守るようにわめきたてる。


「おい玲! お前はどうなんだよ! なにか言うことないのかよ!」

 不利な状況だと悟ったのか、沼田は攻撃の矛先を変えた。


 一志は自分の過ちに気がつく。

 こんなところで犯人を見つけて糾弾きゅうだんしている場合ではない。なによりここで口論になったら玲の精神に負担を与えて体調が悪化する。苦手な人間の言葉は、聞いているだけでも不快になっていくものだから。


「お前言ったよな? 事務所はやめても自分は声優だって。ファンのためにがんばるってよ。だったらステージに立たなくていいのか? お前は周りの奴らに甘えてばかりでいいのか? お前はうちの看板商品だったんだ! 今も声優だっていうなら最後まで本気でやれよ!」


「出ていってください! 警察を呼びますよ!」

 一志は沼田の大きな体をテントから押し出す。


 騒ぎの元凶を追い出してもすぐには心のざわめきが収まらない。

 一志も、千代子も、本山も、その場に立ったままうつむいている。

 たっぷりあった時間は、もうわずかしか残されていない。

 今すぐやるべきことがいくつもあるのに動けないでいる。


 電話の着信を知らせる電子音が鳴り、本山が誰かと通話する声が聞こえる。モミジロウくんとモミコちゃんの代役の件だろう。少しでも早く来てくれるとありがたい。

 しかし、本山の声は次第に低く小さくなっていく。


「どうでしたか?」

 電話を終えたタイミングを見計らって一志が尋ねる。


「代役はしばらく来ません。早くても一時間以上はかかると思います……」


 みんなが期待してくれているのに、その期待に応えることができない。


 決して努力をおこたったわけではないのに、運の悪さを呪うしかない。


 最高におもしろいイベントにするためにがんばってきたのに、待っていたのは最悪の結果。

 これからどうしたらいいのか。なんの打開策も思い浮かばないまま時間だけが過ぎていく。


「私……ステージに立ちます……」

 玲が弱々しい声で言う。


「ダメだ。その体調で立てるわけないだろ」


「大丈夫だよ……がんばるから……」


「あの人が言ったことなんか気にするなよ」


「でも私が立たないと……みんなが悲しむでしょ……」


 一番悲しんでいるのは誰なのか。

 そんな暗い声で言われても説得力がない。

 外で働いていたボランティアスタッフがそろそろ開始時刻だと教えに来てくれた。


「ほら……もう行かないと……」


 玲が困ったような笑みを見せて立ち上がる。

 その手にはマイクが握られている。

 けれど手も足も震えていて、テントを出ることすらできないのではないだろうか。


「なんとかする」

 一志の口から思いつきのような言葉が出てくる。


「なんとかするって……どうするつもり?」


「タイムテーブルを変えるとか朗読劇の脚本を変えるとか……とにかくなんとかする!」


 相手ではなく自分に対して言い聞かせるような発言。

 まるで決意表明のようだった。


「なにか……なにかないか……」


 そこで思いつく。

 モミジロウくんとモミコちゃんの代役が来るまでの時間を稼げばいい。


 そのためにはステージでなにかやるしかない。

 図書館のあおぞら朗読劇では、子どもたちの純粋さや素直さを頼ってなんとか切り抜けることができた。だが今回は子どもたちよりも大人の方が圧倒的に多い。前回と同じ方法は使えないだろう。


 頭を抱えて悩んでいる一志の後ろでなにやら物音がする。

 振り返ると千代子がエレキギターとアンプを抱えている。

 先ほどまで怒っていたのがまるで嘘のように笑っている。


「チョコ姉。なにしてるの……?」


「なんとかするのさ。一志が言ったんじゃないか」


 千代子はいつの間にかギターのチューニングを終えて、喉の調子を確かめるように発声練習をしている。骨のずいまでしびれさせるような低く太い声が轟く。


「でも、それじゃあ……」


「ここは駄菓子屋のチョコ姉に甘えとけって。それとも、あたしじゃ頼りにならないか?」


 一志は大事なことを忘れていた。

 ここにいるのは自分一人ではない。

 イベントのためにこれまでいろいろな人が力を合わせてがんばってきた。

 すべて一人で抱えて悩む必要はないのだ。

 無意識のうちに沼田の言葉に飲み込まれていたのは自分かもしれないと恥ずかしくなる。

 

「チョコの言う通りです。誰にも甘えない頼らない人なんていませんよ」


「そうそう。あたしもリカちゃんがいなかったら中学すら卒業できるか怪しかったからな」


「バカなこと言ってないでさっさと行ってください。観客を待たせるつもりですか」


「へーい。リカちゃんが怒るからちょっくら会場を盛り上げてきまーす」


 千代子は道化を演じるようにしてテントから出て行こうとする。


「チョコ姉」


 その背中に声をかける者がいた。マイクを握りしめたままの玲だ。


「私が歌おうか? チョコ姉のバンドの曲なら、少しくらい歌えるよ」


「ありがとな。だけど……」


 玲の手からマイクが抜き取られる。


「あたしの曲は、あたしの声でしか完成しないのさ」


 千代子の言葉には、こればかりは誰にもゆずれない、という信念が感じられた。


「玲の声には玲の役割があるんだ。その時がきたら頼んだぞ」


 とびきりの笑顔を見せると、千代子はステージに向かっていく。


 その後ろ姿を見送った後、おもむろに本山も動き始める。


「そろそろわたしも行きます」


「行くって……市役所にですか?」


 一志は代役を迎えに行くのかと思って聞いた。


 だが本山は首を横に振る。


「いいえ。ステージです。この日のために特訓しておきましたから」


 本山はわかりにくい冗談を言うことはあるが、この緊迫した状況で言うとは思えない。


 それならステージに行くというのはどういう意味なのか。

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